ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

なでしこ世界一

2011-07-19 11:33:06 | Weblog

ついに咲く日本なでしこ女性魂

なえる国なでしこ如く立ちあがれ

 

女子のサッカーの環境は恵まれていないと聞く。男性のようにGリーグがなく、アルバイトしたり、パートに出たりして、経済的には大変と聞く、そんな環境の中からの快挙、見習うべきことが沢山ある。環境が良くても、成績が良くなることでもないようだ。得てして、練習時間を工面する苦境のなかからのほうが、充実感が生まれるのだと思う。昔から良き環境に生まれた子は苦労知らずで、一番大切なことが足りないと言う。今の政治家が見本となる例だと思う。大震災にあった東北人の忍耐強さといい、日本の国民は平均に健在であると思うが、アイデンチィチィのない保身に走る政治家と中央官僚だけが、どこかおかしいと思うのが私だけだろうか。

 

 


池の鯉も暑いだろう。

2011-07-19 07:09:49 | Weblog

 

炎昼やぎいと廻りぬ錦鯉

知り合いに、錦鯉の趣味を超えた道楽としか言いようのない人がいる。彼の話では今まで何千万と鯉にお金を掛けたと言う。本当か嘘か私には分からないが、錦鯉はお金がかかると以前から聞いているので、本当かも知れない。彼は錦鯉の名産地の「小千谷市」はじめ地震で有名になった「山古志村」へ良く出かけると言う。そんなにお金がかかることに趣味を持たないどころか力のない私は、彼の鯉談義には到底ついていけないでいる。ですが、彼の池を覗くと、素人の見本のような私でも、確かに普通の錦鯉ではないような気がしてくるから不思議である。確か数年前、人の顔に似た鯉の話題があったことを思い出した。

 


あーちゃんの水遊び

2011-07-18 07:31:03 | Weblog

あーちゃんのしぐさ可愛ゐし水遊び

あーちゃんの初めての水遊び

一 昨日の30度を超える暑さのなか、下からお兄ちゃん達の歓喜が聞こえてきた。「今度あーちゃんの番だよ」とお兄ちゃんの声、これは、この暑さの中、水遊びでもしているのだと思い、カメラを片手に慌てて下に降りて行く。丁度「あーちゃん」が初めての経験らしく、怖々の表情で水をかまっていた。そのうちに慣れたのか笑顔を見せながら「タライ」に沢山の水を入れてもらい、じゃぶじゃぶと、着ている服がびっしょうりになるほどの御機嫌さんで水遊びをするようになった。一歳過ぎたばかりの「あーちゃん」ですが。お兄ちゃん達のやることを見ていて、すぐに順応するものだ。「あーちゃん」はきっと気持ちがよかったのだろうと思う爺であった。


合歓の花見逃せず

2011-07-17 08:21:04 | Weblog

例の合歓の木の花びらが大分大きくなりました。あと4~5日で満開となるだろう。合歓の木のある場所が困難なため花びらを大きく撮りたいのですが、どうしたらよいか思案しています。息子にでも手伝ってもらって大きな「キャタツ」でも持ち込んでキャタツの上からと撮ろうかなと密かに計画を練っている最中です。


秋まつり

2011-07-17 07:22:08 | Weblog

秋まつりすべて流する一夜かな

  

  

  

街のはずれの「市の口」という町の「秋まつり」らしいと思う。昨日は夜宮で町あげて賑わったのだろうと思う。寺の境内の通りにお祭りらしい雰囲気が出ていた。何句も飾られている「川柳」がこれまた面白かった。


ノウゼンカズラ

2011-07-16 09:13:48 | Weblog

この家の主に負けじと凌霄の花

心太太きことほど愉しからむ

上の盛んに咲いています花は86歳に成られても、毎日一万3000歩以上「10K以上」歩かれて100歳までに2回目の世界一周の距離を歩くと言う大きな目標を掲げてておられる「高主」さんと言う方の家の「ノウゼンカズラ」です。高主さんは「ブログ」を毎日更新され、その日の歩いた歩数とその距離と、今世界のどこを歩いているかを毎日報告されながらも色々な話題を提供されている。私は高主さんの「ブログ」を毎日拝見するのが楽しみとなっている。また、人生の節目節目に大きな目標を掲げ、必ず実行されてきた。仕事も目標どうりに成功され、稀に見る「希少なる見習うべく大先輩」である。又感心なことに今から20年以上も前に掲げた「パソコン」のマスターを見事達成され、今では生徒を持つほどの86歳だ。私なんか到底及ぶこともできなく気力もありませんが、この高主さんの人生を目標にしておられる老人パワーが、多くおられることだと常々思っている。人生に目標を持ってそれに向かうことが出来たなら、高主さんのように86歳になられても青年のようなパワーがみなぎるものだとつくづく思う次第だ。

 

 

 

 


ゴーヤで涼しく

2011-07-15 11:09:31 | Weblog

大葉もてゴーヤカーテンの夏暖簾

すぐ裏の和菓子屋の御主人は、異常な暑さから逃れながらも節電と言う、その上、花が咲き綺麗さの演出。昨年までは朝顔で涼しさよ呼び込んでおりましやが、今年からゴーヤに変えた。その成長の早さに少し驚いている。大きなゴーヤの葉と黄色な綺麗な花、ゴーヤの実が、ちいさな胡瓜くらいになりはじめている。大きくなったゴーヤも食べられると言う、一石二鳥の粋な計らいの主人だ。そんなに食べきれないからと、御すそ分けの約束をしてくれた。家ではゴーヤの玉子炒めが大好きだ。今から楽しみである。今日も35度超えそうな暑さになると言う。私は私室を冷房を30度に設定し扇風機を回している。昨年までは25度に設定していましたので、かなりの節電になっていると勝手に思っている。


合歓の花

2011-07-13 12:36:00 | Weblog

今年はと思へば早し合歓の花

合歓の花の名の由来は夜になると葉を閉じ合わせる事から「眠りの木」、それが変化して「ねむの木」と呼ばれるようになった。またその事から中国では夫婦和合の象徴とされているそうです。 
 開花時期は 6月中旬~ 9月初旬頃。 7月下旬頃には花が途絶えるが 8月になると再び咲き始める、と図鑑に載っている。歩く道筋の川縁に一本だけ合歓の木がある。毎年、花が一番盛りの時に、この合歓の木の写真を撮ってブログにしたいと思い思い、時期を逸していた。今年こそはと思い気や、まだまだ花が早すぎたようだ。合歓の木は川べりなどの水々しいところに育つようですが、千曲川の合歓の木は大きいため、何時も下からかでしか見ることが出来ないでいた。この合歓の木は上から目線で見れるので最盛期をのがすことなく、ブログにしたいと思っている。


朝焼けの太陽

2011-07-12 14:05:29 | Weblog

 朝焼けやいみもなくして手を合はす

燃えるよな朝焼けあをぎ仏とも

朝焼けも夕焼けも夏の季語である。これは、朝焼けや夕焼けの色が最も鮮明だからで、特に朝焼けは東の空が紅や黄色に燃えるような色になる。朝焼けとなるのは、太陽の光が大気層を通過するときの散乱現象と言われている。朝焼けは天気が下り坂になる前兆で、夕焼けは晴天の前兆と言われていると歳時記にある。昨日の朝焼けはそれは明るく見事でした。意味もなく思わず手を合わせこうべを垂れていた。


無縁仏、無縁墓

2011-07-11 01:52:05 | Weblog

薄き世のこころそむけし夏の墓地

  

先日の日曜日、孫たちは「木島平」の欅の森公園」へ遊びがてら涼みに出かけた。家の中は爺婆が二人きりとなる。互いに年齢の重なりか、偶然にも口を合わせるように「お墓参り」に行こうかとなった。春のお彼岸は墓地にまだ雪が残っていましたので、私が代表してお墓山の登り口でお参りして、本堂にお参りを済ましただけで、先祖の墓へはお参りしてなかった。久しぶりに、父母、祖父祖母はじめ一族に感謝の心をこめて丁寧にお参りを済ませた。偶然と言っていいのか、きのうは本堂の扉が開いて各檀家に解放していた。前住職の命日かそれとも住職の御母堂の命日のどちらかと想像した。墓地にお参りの度に思うことですが、年々と「無縁墓地」が増えている。若い人たちの宗教「仏」離れなのか、墓の一家が絶えたのか、それにしましても、親戚か近親者がこの地にいることを思うと、もう何年も掃除することなく、草ぼうぼうのお墓の増えていることに一抹の寂しさを感じている。思えば十数年前に菩提寺の本堂に繋がる参道の整備と各檀家の納骨堂の完成と蓮如聖人の500回忌法要の負担金を檀家さんに御芳志していただく会計を仰せつかった時、300戸以上あった檀家は今は何戸に成ったのだろうと思う。

 ホームレス元同志が語る「管さん、もういいよ・・・・・」と題しての文藝春秋の記事の続きを続けます。

思い返せば、三月十日、管さんは外国人献金問題で、風前の灯火の状態にありました。まさにその審議を行っている最中に襲ったのが、あの大地震でした。たくさんの方が亡くなり、津波と原発事故によって多くの街が廃墟と化しました。本当に不幸な事態でありましたが、一方づは政治の力が切実に求められる局面でもありました。政治家としてリーダーシップを発揮する千載一遇の機会だったわけです。ところが、「管さんを先頭にして、日本が一丸になって頑張ろう」というムードには決してならなかった。残念ながら、国民にそう思わせるだけのリーダーシップ、あの種のカリスマスが欠落していると思わざるをえません。私個人としては、頑張ってもらいたいと思うんですが、どうひいき目にみても「管さん、もういいよ・・・・・」というのが、今の国会の気分でしょう。あの震災がなければ、永田町のコップの嵐で、「誰がやっても同じ」と世間は白けていたかもしれませんが、そんな悠長なことを言っていられる場合ではなくなりました。19996年、管さんが橋本内閣も厚生大臣として入閣すたときは、薬害エイズ問題への対応もあって一躍スターとして脚光をあびました。今して思えば、あれは「一寸法師の物語」だったんです。「さきがけ」という小政党に所属していた管さんが、お姫様を守るために打々発止とやって、見事鬼退治をして拍手喝采を受けたわけでしょう。日本人の好きな判管ひきです。ところが、この一寸法師が天下をとったらどうなるのか、というストーリーは誰も書いていない。まさにシナリオの無い物語の主人公になったわけですから、管さんが後世にまで語り継がれるようなお手本になるべきだったんですよ。しかし、どうも違いますよね。現在、永田町の政局注目されているのが、一度は「東日本大震災の復旧・復興、原発事故の収束に一定のめどがついた段階で、若い世代に色々な責任を引き継ぐ」と表明した管首相が、いつ退くのかという点だ。

 


梅雨草を歩く

2011-07-10 09:09:56 | Weblog

朝一番梅雨草蹴つて弾むかな

 

 市民運動家が市民(国民)を忘れる

 「ホームレス」元同士が語る「管さん、もういいよ・・・・・・」管さんは、サラリーマンだったお父さんのことを尊敬していて、「父親はなにも聞いても、生面から答える」「けしてはぐらかさない」と話ししておりました。照れ性だから大勢の前で「父親に憧れている」と口にすることはなかったけど、少なくても私の前ではそう言っていました。私も管さんのお父さんのことを良く知っていますが、立派な方でしたよ。ただ、今の管さんを見ていると、まさに国民を「はぐらかして」います。田中秀正さんは「あざとい」という表現を使っていましたが、国民の他の政治家に「正面から答え」ず、それを恥じようともしない管さんは、私の知っている管さんではありません。かって管さんの同志としてともに政治家を目指したものの、志半ばでホームレスになった私が言うのもなんですが、管さんは東日本大震災という未曾有の事態におけるリーダーとして結果を残せていません。ここは、潔く総理の座を追かれるのが筋ではないかと思います。田上等(61)。三年前から、横浜市寿町周辺で生活するホームレスである。フアーストフード店なので一夜を過ごす[マック難民]だ。田上は、かって同じ政治を志す若者として、当初不出馬を表明していた八十一歳の市川房枝を1974年参院選に担ぎ出し、七十六年に管直人が旧東京七区から参院選に初出馬した際には選対事務局長を務めるなど、管直人と行動を共にしてきた。いまや内閣総理大臣にまで昇り詰めて管直人の政治的原点に立ち会った人物と言える。父親は民社党で参議院議員を一期務めた田上松衛。また、田上が結婚したときには管直人夫婦は仲人を務めた。三月十一日の東日本大震災のあと、四月と六月の二度、私もボランチィアとして被災地に言ってきました。宮城県の石巻市や気仙沼市、岩手県の陸前高田市など、津波で大きな被害を受けた地域です。「ぶん殴ってやりたかった」自分でも「ホームレスがボランチィアなんて」と思わなくなかったのですが、ご縁があって「暖助」という。使われなくなったプロパンガスのボンベを加工した簡易薪ストーブを設置する作業に携わりました。そんな活動を通じて知り合った陸前高田市のある消防団員から聞いた話がショッキングでした。私が現地に行った数日前、管さんが視察で訪れたそうです。彼は私の素性は知らなかったと思いますが、その時のことを聞きましてね。消防団員が一堂に会した時、目の前にいた管さんのことを「ぶん殴ってやりたかった」って言うんです。彼は、津波で奥さんも家もなくしています。確かに、冷静に考えれば管さんが悪いわけではない。あれは天災です。でも、復興が遅々として進まないことに対する苛立ちは、どこにぶつければよいのか。そういった意味で、私にはその消防団の心情は理解できます。今、日本社会は本当に殺伐としています。行き場のない怒りを爆発させ、管さんを殺そうと企てるテロリストが出てきやしないか。そのことが私には不安で成りません。あとまだまだ続きますがこの辺で!!!」 「文藝春秋特別号」より。


奥信濃特産まつり

2011-07-09 12:09:59 | Weblog

晴れ牡丹支える茎がある如し

先週の日曜日に寺と仏壇町通りで第25回奥信濃特産まつり』が開催された。早いもので昭和60年にスタートしたイベントも今年で25回目を迎えたという。信州打ち刃物、秋山木鉢、桐下駄、中野土びな、草木染め、あけび細工など北信州地方一帯の伝統的工芸品および優良地場産業製品を一堂に展示し即売会もあるイベントだ。また、「経済産業大臣指定 伝統的工芸品の飯山仏壇」に欠かせない、蒔絵・金箔押し・彫金・彫刻などの伝統工芸体験が毎年人気を博す。また、飯山仏壇の技術の粋を集めて作られた神輿も登場した。何時も思うことですが、華やかなお祭りの陰の、目立たないところで、黙々と準備にいそしむ人があることをけして忘れてはならないと思う。私は何時も縁の下で黙々と準備に励む彼を探しては、声をかけるのを忘れないようにしている。


色つき始めた紫陽花

2011-07-08 08:22:30 | Weblog

紫陽花やこころ静かになりにけり

額の花仄かに濡れる雨上がり

このところ、ようやく北信州も「紫陽花」が色を付初めました。朝歩く神社の小高な場所に紫と白の紫陽花と額紫陽花が一緒に植わっている場所がある。以前からここの紫陽花が咲き始めるのを楽しみにしていた。今朝の小雨でしっとりと色が付いたような気がしている。これから数日、ここを通る度に、もっと花びらが大きくなり色が鮮明になった、紫陽花と岳紫陽花が私を楽しませてくれることだろう。