ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

無縁仏、無縁墓

2011-07-11 01:52:05 | Weblog

薄き世のこころそむけし夏の墓地

  

先日の日曜日、孫たちは「木島平」の欅の森公園」へ遊びがてら涼みに出かけた。家の中は爺婆が二人きりとなる。互いに年齢の重なりか、偶然にも口を合わせるように「お墓参り」に行こうかとなった。春のお彼岸は墓地にまだ雪が残っていましたので、私が代表してお墓山の登り口でお参りして、本堂にお参りを済ましただけで、先祖の墓へはお参りしてなかった。久しぶりに、父母、祖父祖母はじめ一族に感謝の心をこめて丁寧にお参りを済ませた。偶然と言っていいのか、きのうは本堂の扉が開いて各檀家に解放していた。前住職の命日かそれとも住職の御母堂の命日のどちらかと想像した。墓地にお参りの度に思うことですが、年々と「無縁墓地」が増えている。若い人たちの宗教「仏」離れなのか、墓の一家が絶えたのか、それにしましても、親戚か近親者がこの地にいることを思うと、もう何年も掃除することなく、草ぼうぼうのお墓の増えていることに一抹の寂しさを感じている。思えば十数年前に菩提寺の本堂に繋がる参道の整備と各檀家の納骨堂の完成と蓮如聖人の500回忌法要の負担金を檀家さんに御芳志していただく会計を仰せつかった時、300戸以上あった檀家は今は何戸に成ったのだろうと思う。

 ホームレス元同志が語る「管さん、もういいよ・・・・・」と題しての文藝春秋の記事の続きを続けます。

思い返せば、三月十日、管さんは外国人献金問題で、風前の灯火の状態にありました。まさにその審議を行っている最中に襲ったのが、あの大地震でした。たくさんの方が亡くなり、津波と原発事故によって多くの街が廃墟と化しました。本当に不幸な事態でありましたが、一方づは政治の力が切実に求められる局面でもありました。政治家としてリーダーシップを発揮する千載一遇の機会だったわけです。ところが、「管さんを先頭にして、日本が一丸になって頑張ろう」というムードには決してならなかった。残念ながら、国民にそう思わせるだけのリーダーシップ、あの種のカリスマスが欠落していると思わざるをえません。私個人としては、頑張ってもらいたいと思うんですが、どうひいき目にみても「管さん、もういいよ・・・・・」というのが、今の国会の気分でしょう。あの震災がなければ、永田町のコップの嵐で、「誰がやっても同じ」と世間は白けていたかもしれませんが、そんな悠長なことを言っていられる場合ではなくなりました。19996年、管さんが橋本内閣も厚生大臣として入閣すたときは、薬害エイズ問題への対応もあって一躍スターとして脚光をあびました。今して思えば、あれは「一寸法師の物語」だったんです。「さきがけ」という小政党に所属していた管さんが、お姫様を守るために打々発止とやって、見事鬼退治をして拍手喝采を受けたわけでしょう。日本人の好きな判管ひきです。ところが、この一寸法師が天下をとったらどうなるのか、というストーリーは誰も書いていない。まさにシナリオの無い物語の主人公になったわけですから、管さんが後世にまで語り継がれるようなお手本になるべきだったんですよ。しかし、どうも違いますよね。現在、永田町の政局注目されているのが、一度は「東日本大震災の復旧・復興、原発事故の収束に一定のめどがついた段階で、若い世代に色々な責任を引き継ぐ」と表明した管首相が、いつ退くのかという点だ。