政治家の低きモラルに蝉鳴かず
今年は蝉の鳴き声があまりにも少ない。
稲垣勘尚 さんという方の投稿にこんな記事があった。
蝉(セミ)と地震の関係については、古来から様々な関連性が指摘されている。
即ち、地震の前兆現象を蝉が感じ取り、七年に一度の”開花”の時期をずらすと言う訳である。
1923年(大正12)9月に起こった関東大震災では、同年の7月から8月にかけて、神奈川県橘樹郡登戸村(現川崎市多摩区)の一帯で蝉が全く鳴かない夏であったと記録されている。
同様の現象は、埼玉や伊豆半島でも見られたという。
また、1707年(宝永4)夏には伊勢国萩原(現在の三重県亀山市の一部)で「蝉の声悉く打ち止まん…一帯真夜中の様に静寂也」と記し、天変地異の前触れではないかと心配した村民の不安を庄屋が地元の郡代に申し出るという記録が残されている。
死者2万人とも言われる宝永地震はその年の10月に起こった。
更に11月には世に言う宝永大噴火と呼ばれる富士山の噴火が起こり、農作物に大被害を与えた。とあった、心配である。今日の句と記事の内容が大きく違いますが、国民は今の政治状況は期待もなにもなくしてしまった。特に東日本大災害の「管内閣の対応の御粗末さに、蝉(国民)が鳴く元気がもたない諦めの心境を含めての句です。数学者の「藤原正彦」さんは言う。政治家でも官僚でも、いま八十歳以上の人には立派な人が多いと思う。旧制高校の教育を受けたひとに教養があった。今は大違いだ学者ですら教養を失いつつある。教養がないと大局観を持てない。日本は十数年前からなにもかもうまくいかなくなっていると力説する。