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ときめきの日々を過ごしたい

消え行く街屋の音

2010-06-28 16:17:39 | Weblog

さかな屋や八百屋の声の閑古鳥

私は、末席の末席「岳」の主宰の、宮坂静生先生(信大名誉教授)がNHK俳句のページ7月号に「懐かしき昭和俳句」と題して書かれている。

町家が消え、アパートが達ち、いつかマンションに変わる。豆腐屋さん。八百屋さん、魚屋さん、がコンビニエンスストアや大型スーパーの進出で、息も絶え絶えの状態で辛うじて開いている。こんな都市を囲む農村の変貌も著しい。稲作渡米以来の田植のさまが機会植の導入ですっかり変わってしまったのである。しかも休耕田だ増え、草地化した地には背高泡立草が密生している。葡萄栽培農家は担い手が高齢化し、私の居住地周辺には後継ぎがない葡萄園が多い。

田植うるは土にすがれるすがたせり

すがれる(もつれる) 栗生純夫

 この田植の光景は長い間日本の農村の原風景であった。昭和15年の作であるが、昭和30年代まで田植は田植人が土に「すがれるすがた」をして早植えを田に植えた。早乙女を雇い、近隣や一族(まけ)が「ゆい」(結)を組んで、時期を外さず、いく日も植え合う。田植には田の神を祀る儀式が重視された

私なりに思うことは、こんな文化が大切であり懐かしく思う。そこから深い人間関係、助け合いが生まれた。現代は色々に便利になったが、人間関係が薄くなり、殺伐とした世の中は、はたして幸せなのだろうかと疑問視している。