はるにわ日記

古民家再生の記録、薪ストーブ、子供との戯れ、大好きなバイクと英国旧車のこと、サッカー、カフェ。徒然なるままに・・・・。

激走!!自転車in台湾 56 金瓜石4

2012年01月24日 23時49分54秒 | 自転車

神社跡にあったのは、2つの灯篭と、その後ろに立つ無数の柱・・・・

こんな形で残っている神社というものを見たことが無かったので、ちょっと呆気にとられてしまいました。

なんで柱だけ残っているのでしょうか・・・・
壊すのが面倒だった??
見ようによっては、ギリシアのパルテノン神殿のようにも見えなくもありません。

でも柱だけでも残されてて良かった・・・

この柱群の向こう側に、大きなコンクリートの四角い穴が開いていて、お賽銭が投げ込まれています。

大きさからいうと、穴と言うよりかは部屋と言った方が近いかも。

中に入ってみましたが、何の用途で使用されていたかは分かりません。

柱群が、多くの神社にある舞台みたいな建物だったとすると、丁度この穴の辺りに本殿があったのでしょうか?

それとも柱群が本殿だったのでしょうか?

柱群の建物に床が張ってあったようには見えないのですが、そういうのって日本の神社ではあまり見かけませんね・・・。

謎ばかりで想像は尽きません。

気持ちの良い風と、景色もあいまって、なかなか下りることができないまま、ずるずると時間が経っていきます。

ここは観光客なんてだ~れも来ないですが、台湾に行ったら、日本人なら是非行ってみて頂きたいところです。

日本中のどこよりも、日本人であることを実感する場所だと思います。

 

さて、お次は採掘現場の見学です。

周りは家族連れか、カップルばかりで、オッサンひとりで入るのにはちょっと勇気がいりますが、十份の鉱山博物館もパスしてしまったので、意を決して入ってみます。

実は、こういうの大好き

鍾乳洞なんか、絶対見逃しません。

ただ・・・・みんなで連れだって説明を受けながらぞろぞろ歩くのはちょっと・・・・

イギリスの鍾乳洞もそうでしたが、一人で勝手に歩くのでないと、せっかくの「未知の洞窟探検」気分がまったくありません。

従って、例のごとく写真を取りながらだんだん最後尾に移動し、さらに遅れて・・・・なぜか一人になってしまいました

あとは自由にのんびり見学です。

どっちみち説明を聞いてもわかりゃあしないんだから、一緒に居なくてもいいよねぇ。

 

坑道から這い出すと、お昼過ぎの太陽が照りつけていました。

「メシ食わないと・・・・・」

来る途中にあった小洒落たスパゲッティー屋のスパゲッティーがなぜか無性に食べたくなって(しかも日本では絶対食べないホワイトソース系)、少々高いし、台湾まで来てイタ飯?というココロの声も無視して、勇気を出して入ってみました。

日本人らしき、でっかいカメラを吊り下げた男性が一人、会計を終えて出て行きました。

台湾に来てまでイタ飯かよ・・・・でもボクも・・・ 今日は大目にみましょう。

椅子に座って注文しようとすると、、、、なんと店員さんがいません。

うむむ、この稼ぎ時にどこに行ってしまったのか・・・・・

しばらく待っても全然帰って来ないので、少し迷っていたのもあったし、イタ飯はやめにしました。

向かったのは、普通の食堂。すし屋の隣です。

メニューの名前だけではどんなのかさっぱり分からない、かといって尋ねても何言ってるかわからない。

なので、なんとなく「炒麺」 150円くらい。激安。

量が少ないとお思いか?! 

侮る勿れ、ちょっとでかいソフトボールくらいの塊ですが、中は隙間なくギッシリ麺だらけでかなりの重さがあり、食べた感じではUFO焼きそば(大)の1.7倍くらいのボリュームがありますね。

日本ならご飯をプラスするのですが、台湾では絶対やっちゃいけません せめて青菜の炒めものくらいです。

もう味がどんなだったか忘れてしまいましたが、見た通りの味で、間違いなくおいしかったです~

お腹がいっぱいになったところで、出発!

日本家屋の前には相変わらず行列があり、もういいや、って感じで通り過ぎます。

黄金博物館も、次の目的地九份が呼んでいるので飛ばしました・・・・

自転車に乗って走りだすと・・・・・・コビトの町が現れました。


この台湾旅行の中でも最大の見どころである九份、もうすぐです


激走!!自転車in台湾 55 金瓜石3

2012年01月24日 00時43分44秒 | 自転車

いろいろ見るところがありそうなので、黄金博物館は後回しです
昼飯を食べるところを物色しつつ歩いて行くと、太子賓館(タイツーピンクァン)がありました。
青桐にありましたねぇ、工事中で見れなかったので丁度よろしい、見せていただきましょう。
早速入ってみると、日本家屋と日本庭園が。


ちょっと違うぞ・・・と思うところもあるものの、まぎれもない日本の家。
日本人が統治していた場所に、威張りくさった日本人の偉い人のために建てられた迎賓館。
なんだかちょっとピンとこない感じです。
が、間違いなく、日本人がここに来て自分の国として治めていたのです。
日本の占領政策については、歴史では習ったことはありましたが、宗教や言語を強制したとか、あまり良いイメージはありませんでしたし、
戦時中のほんの一時的な期間だと思っていたので・・・・
50年間もの長い間統治していたということを知り、こんなに分かりやすい形でその痕跡を見られるとは。
今の日本人でこの事実をはっきり認識している人がどれだけいるでしょうか。
台湾の人はほぼ全員が知ってるのに
日本人にとって幸いなことに、台湾の方たちの多くは日本の統治についてあまり悪い印象は持っていないようです。
むしろ良かったと思っていただいている方も多い。
日本人ももっと自分の民族の歴史について、悪いことをした、と目をつぶるのではなく、もっとしっかりと事実を認識しないといけないな~と感じました。


裏に回ると弓道場が。


ここ金瓜石は有名なお隣の九份と同様、金の鉱山で発展した町。
その紹介の立て札はこのとおり。
錆び錆びです。
台湾の、こういうところがかわいくて好きです・・・(自分っぽい)


採掘した岩石を運んだトロッコでしょう。
線路のまま残っています。


採掘跡のトンネルにも入れるみたいですが、ここでまず行ってみたいところがあるのです。

日本統治時代にあった神社の跡。
鳥居や灯篭が残っているみたいです。
案内の標識に従い、山の方へ山の方へ・・・・

階段だらけです。


角を曲がったら、灯篭がありました。さらに階段はつづく・・・・


しばらく登ると、青い空と山をバックに、そびえたつような鳥居と、その守護神の様な灯篭が見えてきました。
なんだか神々しく見えます。


すでに汗だくヘトヘトで、ここで休憩です
くるりと反転して階段に腰を下ろすと、今度は下の町と、登ってきた道と、海が見えました。

あんなに高く見えたモンテカルロ(?)の山が、あんなに下の方に見えます。
登ってきたんですね・・・・

山の風に吹かれながら、こんな風景を見ていると、昔の人がなぜここに神社を建てたのかが、なんとなく分かる気がしました。
あくまでも気がするだけですが、神がいる場所に近い気がするのです。
高い場所全てがこんな感じを受ける訳ではありません。
でもここはそうです。
きちんとした神社で感じるすがすがしさというか、清涼感というか、そういうのがある気がします。
もしかしたら逆かもしれません。
神社の建物は無くなってしまったけど、ここにはまだ神様がいるのかも・・・・

ガイド本に載っていたのはこの鳥居でしたが、実は神社跡はまだこの奥。
階段を右に曲がった先です。

それを目にした時、少なからず度肝を抜かれました。
なんじゃこれは・・・??
(つづく・・・)