浜床のふろしき

尾道市因島から日常を記します

日本人に最も愛される花木

2005年03月23日 | 日常
”さくら”の季節がやってきます。
多くの日本人が愛し、大切にしてきた花木と言って過言ではないでしょう。その証拠に日本各地で桜の名所と呼ばれる場所があり、また人の名前などにも好んで使われてきています。

日本に生息する桜の種類は220種類以上とも300種類以上とも言われますが、現在、日本各地で見られる多くの桜は「ソメイヨシノ(染井吉野)」という品種だそうです。これは江戸時代に江戸染井の植木職人が吉野桜と称して売り出したものらしく、明治になってから染井吉野と名づけられたそうです。その花の美しさとともに散るときの潔さが万人に受け入れられたのでしょうか。

ここにも出てきましたが、吉野(奈良県)は桜の名所として有名です。「吉野の千本桜」といって山が殆ど桜で埋め尽くされていて、満開時には壮観の一言です。(上千本・中千本・下千本・奥千本と分かれています)。
京都では円山公園のシダレザクラ(枝垂桜)や平安神宮の「紅八重枝垂桜」、嵐山や大原の「山桜」などがあり、大阪では造幣局の通り抜けや大阪城公園などが名所と呼ばれるだろうか。それぞれ素晴らしく、ただただ感動するばかりです。

個人的な思い入れとしては奈良の佐保川沿いに並んでいる桜の木。僕はこの近くに住んでいたことがあり、春になると散歩をして歩いたものだ。この中に樹齢150年を超える古桜もあって見応えがあります。

これだけ日本人に愛されている花木ですから、人それぞれに思い入れのある桜の名所があるにちがいありません。花見も良いですが、その場所を大切にしてほしいと願います。


プリンスリーグ開幕

2005年03月23日 | スポーツ
プリンスリーグが先週から始まっている。Jリーグの開幕に比べれば地味に始まったな、という感はあるが、サッカーに興味がある方なら楽しみにしている人も多いのではないだろうか。

ところで、参加チームを見ていると
Aグループ         
   サンフレッチェ広島ユース(PL中国2004・1位)
 多々良学園高等学校(PL中国2004・4位)
 広島県立広島工業高等学校(PL中国2004・6位・残留戦勝)
 立正大淞南高等学校(島根県代表)
 岡山県立玉野光南高等学校(岡山県代表)
 広島県立広島国泰寺高等学校(広島県代表)
Bブロック
 広島県立広島観音高等学校(PL中国2004・2位)
 広島県立広島皆実高等学校(PL中国2004・3位)
 岡山県作陽高等学校(PL中国2004・5位・残留戦勝)
 米子北高等学校(鳥取県代表)
 山口県立西京高等学校(山口県代表)
 如水館高等学校(中国大会優勝県vsクラブ代表戦の勝者)
となっている。クラブチームはサンフレッチェ広島ユースだけで、他は全部高校チームである。見ていただいたら分かるが、去年の上位チーム(6チーム)が残留し、各県(中国5県)から1チームずつ代表チーム、そして中国大会優勝県vsクラブ代表戦の勝者の計12チームである。この中国大会優勝県vsクラブ代表戦の勝者で決定した如水館高校であるが、決定戦で安芸FCに7-0という大差で参戦を決めている。
なぜ、そんな結果になるのか。検証してみると明らかである。
まず、クラブチームの絶対数が少ない。この年代(U-18)のクラブチームはこの地域で数えるほどしかない。たぶん両手の指があれば足りるくらいかな。これに対して、高校は山ほどあるわけだ。広島県はU-15のクラブチームが30チームほどあるのに、高校生になった時に受け入れしてくれるクラブチームが明らかに少ない。加えて高校選手権などによる高校サッカーへの憧れもある。こうして、クラブチームで育った選手が高校へと流れるわけだ。
実際、プリンスリーグに参加している高校の選手の出身を見てみる(こちら)とクラブ出身者のなんと多いことだろう。

まあ、それは置いといて、将来のプロ選手がこの中にいるかも知れないし、自分の地域出身の選手が出ているかも知れない。サンフレユースなんて、この中の何人かは必ずプロになるはずだからね。そういう楽しみもあるプリンスリーグ、時間があれば観に行きたいです。


しまなみ海道塔頂ツアー

2005年03月21日 | 因島
3月19日発行の「せとうちタイムズ」を見ていたら、”しまなみ海道塔頂ツアー”の記事が載っていた。記事を引用させてもらうと『しまなみ海道の春の塔頂体験ツアーが4月23日(土)24日(日)、多々羅大橋と来島海峡大橋である。・・・・・・・・。募集対象は小学4年生以上で小学生は保護者の同伴が必要。集合場所は、多々羅大橋が道の駅「多々羅しまなみ公園」、来島海峡大橋が来島海峡SA。参加費用は500円。応募締切は3月25日(金)。』とのこと。

橋のてっぺんに登れるのだ。普段は登ることが出来ない場所に行き、景色を観たい。・・・と沢山の人が思っているでしょう。でも僕は高所恐怖症なので、「なんて恐ろしいツアーなんだ。わざわざお金を払って怖い思いをするなんて、正気じゃない。」と思ってしまいました。残念ながら(幸運なことに?)、息子はまだ5歳であり、対象外。残念!(ふ~、良かった)

あと5年くらいして、同じツアーがあり、息子が参加すると言ったらどうしよう・・・。
参加した方、感想をお願いします。


春分の日

2005年03月20日 | インポート
今日は彼岸の中日にあたり、春分の日です。夜と昼の長さが同じで、気候的にも一番過ごしやすい季節ということらしいです。彼岸といえばお墓参りですよね。息子と一緒に行ってきました。息子は水をかけるのが嬉しいらしく、他のお墓まで・・。 もう一つ、おはぎも忘れてはいけません。この地方だけなのか知りませんが、彼岸にはおはぎを作ってお供えします。僕は食べる方が好きですが・・。


つくし(土筆)

2005年03月19日 | 日常
050319_134701今日は非常に天気が良くて、気持ちいいので散歩をしてきました。そこでこれを発見しました。随分と暖かくなってきているし、もしかしたら・・・と思い、つくしの出てきそうな場所を探してみると、探すまでもなく発見!かなり広範囲にわたり群生していました。

摘んで帰って、おひたしにして食べようかなぁと思いましたが、せっかく春が訪れたことを告げてくれているのですから、もうしばらく他の人にも見てもらってくださいな。050319_134601


想い出と共にある歌たち

2005年03月19日 | 音楽
今日も音楽について。
人には必ず「想い出の歌」というものがあるんじゃないだろうか。素敵な想い出と素敵な曲ということもあるだろうし、悲しい想い出とその時に聴いた曲もあるだろう。日常の中で聴いて、その頃を思い出す曲もあるに違いない。それは例えヒット曲ではなくても自分だけの大切な歌だったりするのだ。

僕が音楽を聴くようになったのは小学5年生くらいの時にラジカセを買ってもらったときだったように思う。その頃にラジオで聴いて印象に残っているのがKUWATA BANDの「BAN BAN BAN」だった。他に好きな曲もあるのにこの曲を聴くと、あの頃のことが思い出される。
中学生になると友達(それこそアキヒトたち)が聴いていたCOMPLEXの「ビー・マイ・ベイビー」の印象が強烈で、中学3年の頃の思い出へと繋がる。(吉川晃司と布袋寅泰が組んだバンドだと知ったのは随分後だった。)
高校では卒業前に運転免許を取りに通っていた自動車学校の有線でTHE虎舞竜の「ロード第1章」が延々と流され、苦い想い出とともに刻み込まれている。
別れた妻が好きだったアーティストの歌は当分の間、感傷的にさせてくれた。

どちらかと言えばバラードを好むのだけれど、想い出の歌は必ずしもそれとは限らないらしい。嬉しいとき、悲しいとき、頑張ったとき、苦しんだときに聴いた歌は想い出と共にずっと僕の心に残っているんだろうな。



楽器への憧れ

2005年03月18日 | 音楽
音楽を聴くことはあっても、自分が歌ったり、演奏したりすることには縁がない。周りの皆が毎日のようにカラオケボックスに通っている頃、僕は人前で歌うなんて恥ずかしくて(音痴を自覚しているだけマシ?)、とてもついて行けなかった。楽器の一つでもと思うのだが、音感が無く、不器用な僕は必ず途中で挫折してしまうのだ。

思えば、中学生の頃、5つ上の兄がギターを弾いているのに憧れ、兄に教えてもらったことがある。単音で音を出す分には慣れてくれば、ゆっくりと出来た。(曲に合わせようとするとパニックになるんだけど)。しかし、あのコードで挫折した。Fコードなんて指が短い上に不器用なので、手が引きつりながら顔も引きつりながら押さえるが、音はバラバラ。続けて頑張れば良かったのだろうけど、自らの音楽的才能を自覚してしまったのだ。

月日は流れ、就職した。福祉の現場では音楽を活用した「音楽療法」が取り入れられている。特に奈良県では「音楽療法推進室」なるものがあり、活発に活動している。当時勤めていた奈良の老人保健施設でも音楽療法士に来てもらっていたので、否が応でも音楽に触れる機会が増えていったのだ。そして僕の周りにはピアノやエレクトーンを弾く友人がいたので、一念発起してピアノを弾けるようになろうと思い立った。
さあ、バイエルを借り、毎日のように職場のピアノを使って練習。
くっ薬指がつりそうだ・・・。右手と左手がシンクロしてしまう・・・。
全然、上達しない・・・。
結局、今回も挫折してしまった。

自分は演奏する側ではなく、聴く側なんだろう、そう自覚するのです。でも楽器を演奏することへの憧れは依然としてあるのです。


プロ野球の指導者たち

2005年03月17日 | スポーツ
僕は野球に関してはプレーを観て楽しむことを主にしており、表事情・裏事情など殆ど知らないと言ってよい人間なので、もし的外れなことを書いていたらすみません。先に謝っておきます。

さて、プロ野球の監督たちの名前を挙げてみましょう。
巨人-堀内恒夫    西武-伊東勤
中日-落合博満    福岡-王貞治
阪神-岡田彰布    オリックス-仰木彬
広島-山本浩二    日ハム-ヒルマン
ヤクルト-若松勉   ロッテ-バレンタイン
横浜-牛島和彦    楽天-田尾安志
ヒルマンとバレンタインは外国人監督なので対象外ですが、他の監督は皆、プロ野球で活躍した人ばかりです。それも所謂一流選手として結果を残してきています。(仰木監督を除いて)。たぶんコーチ陣を見ても同様のことが言えるのではないでしょうか?プロ野球は長い歴史があるから一流選手を教えられるのは元一流選手だけなのでしょうか?

大リーグやサッカーなど他のスポーツの世界を見てみると、指導者=一流選手(元プロ選手)ではないのです。もちろんジーコ監督やクライフ監督のように選手として超一流だった人が監督をするケースも多くあります。
しかし、そういったプロ選手から指導者になる道とは別に、初めから指導者を目指す道も開かれているといった点では日本のプロ野球よりJリーグの方が体制が整っているように思います。誰が岡田監督(マリノス)や小野監督(サンフレッチェ)の選手としての活躍を知っていますか?知っているはずがないのです。だって選手として活躍していないんですから。
でも彼らは一流の指導者であり、プロの監督なのです。

プロ野球は色々と規定があって、例えばプロ野球選手が自分の子(高校生)に野球の指導をしてはいけないとか難しいことがあるみたいですね。サッカーはその点、比較的オープンで、トレセンなどに入ればJリーグチームの指導者から指導を受ける事だって出来ます。
今、サッカーが随分地域に根ざした形で広がっています。それは自分がプロ選手になれなくても様々な形で関わることが出来るからではないでしょか。
野球も改革を進めるなら、こういったことも考えてみては如何でしょうか?



息子を怒る

2005年03月16日 | こども
久しぶりに息子を怒り飛ばし、泣かせてしまいました。普段は比較的、聞き分けが良く、あまり親を困らせない息子ですが、もちろん子どもですからふざけたり、言うことを聞かなかったり、間違った判断をしたりなんてことが度々あります。それは素晴らしい経験をしているんだと普段は思うようにして(我慢できない時もあるけど・・)、なるべく見守っているつもりです。

しかし、人間として間違った時にはしっかりと怒ってやろうと思っているのです。
平気で人を傷つけたり、間違っていても謝らない、感謝することが出来ない等など、僕が思う許せない人間性っていうのがあるわけです。それは子どもも大人も関係ないので、小さいうちから怒ってやろうと考えるんですが。

でも一人親だと怒る人間とフォローする人間が同じ人間だし、僕の価値観だけで怒ってしまうので良くないなぁとは感じます。偏った価値観になるんじゃないかと心配もします。また子どもに嫌われたら嫌だなとかも考えてしまいます。
だから、怒り飛ばした後は、子どもが分かってくれたと思ったら僕も怒ってしまった事を子どもに謝って、二人でギューってして仲直りするようにしています。(これが僕と息子の仲直りの方法なのです)

子どもを躾けられない親が多いと聞きます。怒ることが良いとは決して思いませんが、親が怒って教えてあげることも必要だと思います。だって、いずれ子どもは成長して自分の力で生きていかないといけないわけですから。大人になって初めて怒られて、自分を見失う人間にはなってほしくないですから。
でも同時に怒る以上に愛情を注いであげることも必要だと日々感じるわけです。(なにせ出来の悪い親なので・・・)


因島の村上さん

2005年03月15日 | 因島
もうかなり前になるが、職場に「因島の村上ですが・・・」という電話がかかってきたことがある。一見、丁寧のように思われるこの電話、実はかなりの曲者である。う~ん、例えば「日本の鈴木ですが・・・」とか「アメリカのマイケルですが・・・」というのと同等の意味を持つのだ。
そう、因島には村上さんは実にありふれた苗字なのである。(村上水軍っていうのがあるしね)そもそも因島内に電話をするのに「因島の村上」は無いだろう。別に「株式会社○○の因島支社の営業部営業課で○○を担当しています村上です」までは言わなくても良いけど、せめてどういった関係の人か教えてくれてもいいんじゃない?

日本全国どこに行っても、その地域に根ざした苗字はあるもんだと思う。例えば「比嘉さん」なんて聞くと沖縄かなぁと思ってしまうしね。因島はこの村上さん以外にも「岡野」さん(アキヒトも「岡野」だなぁ、そういえば)や「宮地」さん、「松浦」さんなんかが多いかな?これは地域が育ててきた伝統みたいなものが感じられて素晴らしいものだと思う。たまに県外で村上さんなんて聞くと、つい「因島出身ですか?」と聞きそうになったりするもんね。

まあ、自己紹介するときには、くれぐれも注意してください。さすがに「因島の村上ですが・・」って言われたら一つや二つの突っ込みを入れたくなりますから・・・。