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銀河鉄道拾遺

SF、かふぇ及びギター

在りし日の茨城鉄道

2011-04-05 08:13:47 | 今も思い出の中を走ってる
ひょんなことから往年の鉄道写真をネット上に公開されている方のホームページに行き当たった。軽便鉄道の項など興味深く拝見していたが、今後の公開リストと目される中に我が「茨城交通」の名も見える。早速、記事お願いします!的メールを送ってしまったが、先方はこれを快諾してくださり、昨日めでたく公開となった。
たまにブログにもその思い出を書いているが、一体どんな鉄道だったの?と思われてる方は是非、足をお運びあれ。特に3番目の写真にご注目。左後方に貨車を牽くディーゼル機関車が写りこんでいるのがお判りになるだろうか。現在はスーパーになってしまった上水戸駅の裏手には製材所への引込線が延びており、そこで入れ替え作業に勤しむ件の車両をよく眺めたもんだ。この引込線の写真はあまり公開されたことがないので、貴重な資料と言える。ところで、いつぞやブログでひたちなか海浜鉄道の那珂湊駅ホームに留置されていた機関車についての項(2009.12.19 さようなら)があったが、あれはこの機関車のこと。
また、走行中の横揺れに合わせて車内の吊革が一斉に振り子運動をする様について書いたのは(2010.1.27 ローカル線に乗って)、記事中盤に出てくるケハ401というディーゼルカーでの体験である、どうぞご覧ください。

 ※ ブログ左下のブックマーク「はーさんの鉄道・旅・よしなし草」をクリック、40年前の鉄道風景 ⇒ 茨城交通(茨城線・大洗線)で入れます。

はーさんにはこの場で改めてお礼を述べさせていただきます、どうもありがとうございました。
コメント (4)
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haunted heart

2010-03-06 16:17:28 | 今も思い出の中を走ってる
雨の降り出しそな曇天のした、田んぼの中の一本道に立ち、旧常北町から旧桂村へとカーヴを描いて連なる低い丘陵を遠望している。緩やかな下り坂が眼前180度に渡って展開する。その昔、茨城鉄道線はこの地形に沿って敷かれていた。背後の那珂川方向から引かれた高圧線が巨大な鉄塔の連なりとなって、いま見えているカーヴのちょうど真ん中あたりで、かつての鉄路と交差し、丘の向こうへと消える。石塚駅を発った列車は木々の間に見え隠れしながら左手方向に現われ、ゆるゆると勾配を下りながら正面付近の築堤に差し掛かる。そして高圧線の下をくぐりながら、同時に割と高度のある橋を渡り、やがて常陸岩船の停車場へと入ってゆく。これといって何もない寂しい場所であるから、夜ともなれば星を除いて辺り一面は真っ暗だ。田から沸き起こる蛙の合唱のなか、煌々と明かりを点けた列車が一斉に吊り革を揺らしながら丘を下ってゆく眺めはきっとすばらしかったに違いない

小さい頃に見た茨城鉄道に、きっと心を奪われたに違いない。昭和40年代の早いうちにそれがなくなって以来、空白は埋まらない。久しぶりにエヴァンスのかの曲が聴いてみたくなった(散財じゃー)
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