桜前線ひと日阻みし大河あり 菅原鬨也
只今、桜前線の北上中だが、前線の北上を何かが「阻む」という発想がこれまであっただろうか?北上を阻んだものが、「大河」であったという具象がこの句のポイントだが、桜前線の縦の動きに対して、「大河」という大いなる横の存在・・・。大河の前に足踏みしている桜前線が見えるようだ。先師の俳句の上手さを物語る一句を発見して嬉しい。第5句集『曲炎』より抄出。(Midori)
只今、桜前線の北上中だが、前線の北上を何かが「阻む」という発想がこれまであっただろうか?北上を阻んだものが、「大河」であったという具象がこの句のポイントだが、桜前線の縦の動きに対して、「大河」という大いなる横の存在・・・。大河の前に足踏みしている桜前線が見えるようだ。先師の俳句の上手さを物語る一句を発見して嬉しい。第5句集『曲炎』より抄出。(Midori)
必ず飲み会があって活気があったようですね。
皆さん、お酒がとても強くていらっしゃって。
でも晩年は、お酒も煙草も厳禁・・・
今頃、湘子先生、省二先生とお酒を酌み交わしているのかな~☆
先生は皆の先生だから、抜け駆けはしたくありませんでした。歴史の話とか、テレビの話とか、病院の話とか、お孫さんの話とか・・・。
いつも「ケーキ好きだよなぁ」とあきれたように言われました。
兎に角、新しい先生と、俳句の勉強を一生懸命致します。
鬨也先生はもっと有名になってよかったと、
私も今更ながら思いますが、
常識では括ることのできない人だったのかもしれません。
もっと俳句の話をしておけば良かったと後悔しますが、
先生は、意外と俳句の話は少なかったようですね。
ずっとそう思ってきました。
立ち上がって来る詩情を壊しはしないかと心配しながら書いていた「主宰十二カ月」の鑑賞文でした。「今年も博子」と言ってくださった先生。一応合格ということだったのでしょうか?
先生の句の詩情を少しでも自分の句に活かすことが出来たらと、心して詠んで行きたいと思いますが、自分の中にない物は出て来ませんね。
まだ「鬨也」という字を見るだけで涙が湧いてきます。