ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

チェルノブイリ「友の写真」

2011年02月15日 | 世界の問題
 皆さんのご記憶にある方と全くない方がいらっしゃると思いますが、今から約25年前の1986年4月26日に起きた、当時ソビエト連邦のウクライナ、チェルノブイリの原発4号機が大爆発を起こして、全世界に放射能汚染の恐怖を撒き散らしたのですが、特に風下にあったベラルーシ地方では、多くの人たちに被害が出て、特に小児癌や白血病の発症が多発したのでした。

 それから4年数ヵ月後のウクライナ共和国のチェルノブイリに日本の仲間たちと私は、日本チェルノブイリ連帯基金のお世話で現地に行ったのですが、目に見えない放射能の恐怖よりも、多くの子供たちが白血病や小児癌の病気と闘っている現実を見て、やはり「原子力発電」が如何に原子力の平和利用といわれても、やはり事故や事件が起きる危険性が大であることを改めて知って、私たちの生活、原子力発電に依存した生活を見直すべきだと痛切に感じたのでした。

 その日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)が松本に拠点を置いて活動しだしたのが、1991年1月でしたので、以来丸20年が経っていますが、現在も創立したときのメンバーである鎌田實氏が理事長を務めておられて、「グランドゼロ」というJCFの機関紙が送られて来ています。

 その巻頭に、友の写真と題する、プラート・オクジャワ(1924~1979)の氏が同じくJCF事務局長を長年になっていただいている神谷さだ子さんの訳で掲載されていたので、ここに記したいと思いました。

 友の写真

 お金を浪費し、亡者になる
 
 言葉は荒く

 タバコを吸う

 ただ面影だけが残っている

 そして見覚えのある眼差し・・・

 泣いているのだろうか、彼らは

 笑っている 彼らの声は聞こえない

  
 写真からは

 海辺の情景が漂う

 何もかもが ほんとうに

 僕らが織り成した人生

  
 そこに見えるのは

 苦しみでも涙でもない

 ただずまいからは羨望や不幸は感じられない

 ふと興味がわくこともなく   

 新たな感慨もない


 光ーそれは、何物にも変えがたく

 時代ーそれは、奇跡ではない

 僕たちは今生きている彼らを抱きしめよう

 彼らを愛し、彼らのために杯をほす


 ・・・ただ残念なことに、

 気づくのはいつも少し遅いのだ


   非常に意味深い詩を読んで、私は新たな闘志とやさしいエネルギー、モチベーションに包まれた。
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「グラミー賞」発表!

2011年02月14日 | イベント
 アメリカの音楽界での最高の栄誉とされているグラミー賞の第53回の授賞式が、日本時間の今日バレンタインデイにロサンゼルスのステーブルス・センターで行われ、現在全米で最も支持されているバンド、レディ・アンテベラムがノミネートされていた主要部門の最優秀楽器賞、最優秀レコード賞を含む5部門でグラミー賞を獲得し、今回のグラミー賞では最多受賞となった。

 最優秀楽曲賞に選ばれたシングル「ニード・ユー・ナウ~いま君を愛してる」は、本国アメリカで「恋愛成就ソング」として大ヒット中で、アルバムは全米で335万枚を売り上げ、全米アルバムチャートでは四週連続一位を獲得し、世界中でのアルバムセールスは、390万枚、日本でも5万枚が売れていて、シングルは全米で625万ダウンロード、ビルボードホット100のシングルチャート最高位2位となってます。

 グラミー賞は、1958年から始まった米国音楽界の最大イベントで、非営利団体の全米レコード芸術科学アカデミーが主催し、アーティスト、作曲家、プロデューサーら同アカデミー会員の投票で決まるのだそうだ。

 選考では、売り上げ他かチャートの順位よりも、作品の質や芸術性が評価されるらしく、音楽の全ジャンルが対象のため、現在はなんと109部門もの受賞枠があり、最優秀アルバム、同レコード、同楽曲、同新人の賞が主要4部門とされているらしい。

 グラミー賞授賞式でのパフォーマンスはメドレー形式で3曲、「If You Don’t Know Me By Now」、邦題、二人の絆で始まり、「アメリカン・ハニー」と「ニード・ユー・ナウ」が披露されたそうである。

 サポートミュージシャンなしのアコースティック演奏で、メンバーのヒラリーによると、「私たちメンバー三人だけで、楽器もピアノとギターだけにしたといい、バンドを組んで三人で曲作りを始めた頃と同じカタチで演奏したかったんだとのことであった。

 その他の受賞作や受賞者は、ベストカントリーソング、ベストカントリーパフォーマンスとして、バイ・ア・デュオ・オア・グループが受賞したそうで、5部門を制覇したレディ・アンテベラムの日本版はEMIミュージック・ジャパンから「ニード・ユー・ナウ~いま君を愛してる」として好評発売中とのことである。

 最後に、日本ではこのアカデミー賞に、B’zの松本孝弘さんが最優秀ポップ・インストゥルメンタル・アルバム賞を受賞したとしてトップ記事になっているが、松本さんの作品「テーク・ユア・ピック」はジャズフュージョン界の名ギタリスト、ラリー・カールトンさんとの共作として発表されたもので、本人は、「グラミー賞の受賞は大きな目標だった」と喜んでいて、B’zのボーカルの稲葉浩志さんも喜んでいることだろう。

 日本人受賞者としては他にもクラシックピアノの内田光子さんやジャズピアニストの上原ひろさんがいるのだが、管弦楽団やバンドの一員としての受賞のため、あまり大きくは報道されていないようだが、過去にはシンセサイザーの喜多郎や坂本龍一さんらも受賞したこともあって、日本人の音楽家が世界的に認められるイベントのひとつとなっているともいえよう。

 
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エジプトの民主化。

2011年02月13日 | 世界の問題
 ここ一ヶ月、世界的ニュースとして伝えられ続けていた、エジプトのムバラク大統領の退陣を求める、大規模なデモによる抗議活動が実を結んだ形で、ようやく30余年の独裁体制が続いた「ムバラク政権」が崩壊した形で、軍部に政権の権力が移行されて、次の新大統領選挙に向けての民主化の波が大きく動き出したと報道された。

 オバマアメリカ大統領をはじめ、主要先進各国の首脳は、これを評価し中には国民の勝利として絶賛している首脳をいて、世界はチュニジァ、エジプトにつぐ、こうした民衆の蜂起による独裁政治の終焉に向けてのムーブメントが、アフリカ、中近東諸国に波及する可能性を示唆しているのだが、果たしてエジプトの今回の大統領退陣が、素直に国民が望む「民主化」、生活の向上につながるのかどうかは、まだまだ見通しは見えていないと言ってもいいと思うのである。

 インターネットの「フェイスブック」が代表されるソーシャルネットワークサービスが世界的に有名となり、今回の数十万人から二百万人といわれた首都カイロに集まった群集たちの情報源は、新聞、テレビなどのマスメディアではなく、世界中がネットで結びついている「SNS」が、今回の底辺を揺るがす地殻マグマを掘り起こして結び付けたらしいとされている。

 私も最近知ったばかりなのだが、果たして本当にこうした民主化と言われる台頭がインターネットでの結びつきだけで起きたのかは定かではないのだが、少し藪にらみ的視点から見ると、そもそも「民主化」といわれているが、本当に「民衆の手に」政権運営が譲渡されたり移行されるとは思わないのである。

 結局長期独裁政権であった「ムバラク大統領」の退陣そのものは一歩前進だと思うのだが、この背景にはいろんな世界的な思惑がからんでいると見た方が良いのではないだろうか。

 つまり一説では、アメリカは経済的にも世界をリードする先進国を自認する民主的国家として、親米派のムバラクを最初は擁護していたように思うのだが、民衆の大きなムーブメントの盛り上がりを見て、違う新たなシュミレーションを描いたのではないだろうか。

 つまり、ムバラク政権が退陣して、イスラム原理主義的な新政権が野党的な立場から成立したとすると、新たにイスラム社会とイスラエルとの中東戦争の構図が再び起こりかねない状況となって、新たな戦争、対立が起き、アメリカ経済の背景にある軍事的産業や、中東の石油生産や企業の業績が高騰し、結局は資本主義経済の大親分である、あめりか経済にプラスをもたらすというシナリオが見え隠れしているのである。

 決して「民主化」を否定するものではないが、一見良かった!と賛美したくなる結論は、あくまで一ページを群集の力でめくっただけであり、そのエネルギーや行動を盾に、世界の経済や権力を維持しようとするフィクサーたちは、違うステージで、ひそひそとまたは堂々と自分たちの論理の利害の計算で着々と、この期を利用しようとしていると思うのだが、ひねくりすぎた感想だろうか。

 いずれにせよ、世界のトップニュースとしてのエジプトの民主化だが、その背景を冷静に見ながら、日本の政権もしっかりとした本当の「民主政治」を進めていただきたいものである。
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みんな「いい人」になるな。

2011年02月10日 | 感じたこと
 昔から初めて会った他人やら、紹介された人との出会いがあつたあと、「いい人ですね」とか「感じのいい人」、「頭のいい人」などと相手を褒める言葉として、よく「いい人」とち語られることが多い。

 三十年ほど前に、西岡たかし氏が「みんないい人」という曲を演奏していたことがあったが、私にはどうしても皮肉交じりの「いい人」呼ばわりだと感じていたのだが、この「いい人」というのは多くの場合は「自分に都合のいい人」の前段を略した「自分勝手ないい人」である場合が主である。

 つまり、私たちのひとりひとりの生まれ持った個性やDNAに起因する性格や他人への対応振りなどは、意識せずにも「嫌われたくない」、できれば「好かれたい」との潜在意識からか、常に「いい人」になったり、演じようとしてしまうものであるのだが、この「いい人」は、組織や会社などにとっては、大変好都合の存在となっている場合が多いのである。

 先日某テレビ局の夕方のニュースで紹介された、大阪市の河川管理の公務員が、川ざらえや清掃時に発見した「落し物のカバンや財布」から、現金やカードを猫ババしたり悪用したりしている実態が映像と共に告発者によって報道されるに至って、多くの視聴者や市民の目に留まって、結局この光景の中にいた職員だけでなく、内部告発した職員までもが「懲戒免職」という形で市職員をクビになったのであった。

 その勇気ある行動でもあった告発した元職員が、大阪市に対して「復職」を希望する旨の嘆願とともに、裁判に訴えたらしいのだが、我々視聴者にとってはものの本質、実態まですべてがわからないので定かでない部分もあるのだが、なぜ勇気ある不正を告発した者までもが「懲戒免職」になったのかが腑に落ちないでいたところであった。

 大阪市の平松市長の説明によれば、告発した元職員も同僚職員に対する恫喝や脅迫、パワハラとも呼ばれている「パアフルハラスメント」があったとして懲戒免職としたというのだが、告発者によると、今回の不正事件だけでなく職員のいい加減な仕事ぶりや怠慢、怠惰な実態を叱った時もあり、厳しい口調でものを言っただけで、恫喝や脅迫ではないとの主張であった。

 いずれにせよ、この元職員が告発したことには間違いがなく、以前から清掃事業担当の部課所では常識化していた不正の実態は過去からの伝統のように繰り返されていて、告発した者までもが懲戒免職になるようでは、誰も不正を告発すらしなくなるというのである。

 つまり、不正があっても何が行われていようが、何も語らず見ても見ぬふりばかりの「いい人」ばかりでは、結局組織は変わらないし、ちっとも良くならないばかりか、組織は腐ってしまうといっても過言ではないのではないだろうか。

 組織や団体にとってばかりではないが、都合のいい人、つまり「いい人」とは、何があっても不正や疑問を正すこともせず、上司や組織にとっては都合のいい存在として、上司や組織のために黙って働いたり、問題視をしない存在が「いい人」なのではなかろうか。

 ぜひ、自分の責任や言い出しべえの突出を嫌うのではなく、見たこと、感じたことを適切に指摘したり告発できる勇気と正義感を持って、決して「いい人」と呼ばれるために生きたり働いたりするのではなく、自分らしく正々堂々と「正しく生きる」ことを敢えてお薦めしたいと思うのである。

 そういう人が少しでもいなければ、「みんなおんなじ」では、社会は変わらないし、ちっとも良くならないのである。
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二月九日といえば・・・。

2011年02月09日 | とんでもない!
 二月九日といえば、漫画家、手塚治虫氏の命日ということで「漫画の日」と言われたり、2と9から「ふくの日」河豚を下関では「ふく」と発音することから「福」と同音で縁起の良い魚とされて下関ふく連盟が制定したという。

 また日本ファッション教育振興会などが「服の日」としたり、そのままで「福の日」とか、風が「ふく」から風の日だとか、2(に)9(く)、肉の日だとかの語呂あわせが続くのである。

 そんな記念日か業界の宣伝の日ばかりではなくて、私たちの記憶に新しい「2月9日」の大事件としては、2001年のハワイ沖での宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」が、急浮上した米海軍の原子力潜水艦「グリーンヒル」に衝突されて、死者9人もの犠牲者を出した事件があった日である。

 また1982年には、福岡発東京羽田行きの日航機が、心身症の機長の逆噴射操縦によって、着陸寸前の羽田沖に墜落して、24人もの死者をだした事件も、この日の出来事であった。

 いずれも死者に何のミスや問題はなく、一方的な人災事故であり、賠償金や裁判での罪に加害者を問うたところでどうにもならないやるせない事件、事故であった。

 特にアメリカ海軍の原子力潜水艦は、見学者を同乗させていて、その案内などに夢中になっていて、水上を行く「えひめ丸」の進行を見落としての急浮上という、とんでもない考えられない人為的ミスによって、まだ若き将来を嘱望される高校生たちを含む日本人が犠牲となったという、割り切れない事件であり、慰霊塔や賠償金で片の付く問題ではないと思われる、とんでもない事故、犯罪ともいえる事件であった。

 また日航機の羽田沖着陸寸前の、心身症の機長が逆噴射するという考えられない操作ミスも、加害責任のあるなしで裁判されたのだが、機長の責任は病気のため問えないという結論に達したらしく、亡くなった方々のご遺族にとっては、やりきれない持って行き場のない悲惨な事故となったと思われるのである。

 確かに、責任者が罰せられようと、亡くなった犠牲者が還るけではないので、罪を問えといいたいのではないのだが、米海軍の運行管理も日航の機長の病気についても、組織として事前に察知して対応していれば、未然に防げた可能性のある間違いなく「人災」と言われるべき犯罪行為であったと思われるので、何年経ってもありふれた言い方で恐縮だが、「二度と起こしてはならない事件」として記憶にとどめ、特にメディアはこの事件、事故の真相を記念日前後には詳細報道を記録と共に何度も報道していただきたいと思う事件であった。

 ついでだが、二月九日生まれの有名人の中で、1979年2月9日生まれで今年32歳になる方々が大変多くおられることに驚いたのだが、ロシアのフィギアスケートのスルツカヤ選手、中国女優のチャンツィイー、ドラゴン、アッシュのボーカル、ギターの降谷建志、漫才コンビ、オードリーの春日俊彰、元メジャー野球選手、楽天の岩村明憲選手などが同い年で同じ誕生日であるらしい。

 もうひとり、大相撲の35代横綱、双葉山定次(元時津風)もこの日の生まれであり、日本相撲協会の八百長事件による春場所中止をはじめとする一連の不祥事に、草葉の陰から双葉の声がする思いである。
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「針供養」って?

2011年02月08日 | 季節の話題
 今日は「針供養」の日だそうで、全国各地の何か謂れのあるお寺や神社では、お豆腐やコンニャクに使い古しの裁縫の針をさして、「労を労う」という、とっても日本的な行事が伝統的に行われているようである。

 夕刻のテレビニュースでも大勢の主に女性たちが針を持参して、コンニャクに自分の針に飾りの布切れをつけて刺し、手を合わせて「感謝」と「労を労う」祈りをささげておられる光景が映し出されていた。

 私自身の経験からすると小学生の頃に「家庭科」で雑巾を縫ってきなさいとの宿題、課題があったために「縫い針」を始めてもって、母に教えられるままに蛇行した縫い目を、少し恥ずかしく感じながらも一生懸命に縫った思い出があるが、世の女性たちも明治、大正、昭和と多くのオカァサンが針を持っては靴下やズボンの修理をしたり、取れたボタンをつけたりと結構、家庭で針を持つ機会があったと思う。

 しかし、平成という時代に入って、バブル経済とやらの経済的好景気を経て、いまや靴下を修理したりボタンをつけたり、ましてやズボンの穴をかがったりと、女性たちが家庭でどれほど針を持つ機会があるのかどうか甚だ疑問を感じるような、「使い捨て」的時代に突入したようで、修繕や修理よりも安いから新しいのを買った方がいいという時代になったのではないだろうか。

 特に百円ショップとやらに行くと、雑巾やハンカチ、布巾などの小物から、中には下着や小児用のズボン、シャツに至るまで、とっても安い、いや百円均一で販売されているのには驚くばかりなのだが、とにかく「かぁさんが夜なべして手袋編んでくれた・・・」などという歌に出てくるような光景や姿はほとんどなくなったのではないかと思うほど見なくなったといえよう。

 昔のおかあさんは、ミシン掛けも含めて、掃除、洗濯、炊事、育児の次に必ずと言ってもいいほど「裁縫」が家事のひとつとして意識されていたと思うのだが、現在の多くのママたちの中では「裁縫」という世界そのものが少なくなっていると思えるので、「針仕事」をしているママの姿を子供たちが見ることも稀となっていると思われる。

 そんな現状、いまの家庭状況の中で、伝統的行事としての「針供養」が、どんな意味を持ち、どうし影響や刺激を与えるのかどうかと、ついつい老婆心ながら思っていまったのである。

 テレビの映像取材でも着物姿の「和装教室」の生徒と見られる中年の女性たちが、「針供養」に参加していて、どうも教室や和裁の先生と一緒に「針供養」をイベントとして参加しているに過ぎない様子であったと報道されていたと思われるのであった。

 確かに時代が変化し、家庭で本格的には「針を使わない」時代となった現代の日本で、いつまで「針供養」が死語とならずに続く行事、イベントとして残っていくのかは定かではないが、大きなコンニャクに長いきれいな色とりどりの布をつけた太い針が何本も刺されている風景は、少し滑稽にも見えたのである。
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行動と交渉なくして返還なし。

2011年02月07日 | 日本の課題
 1855年2月7日に、日露通商条約が締結されて、歯舞、色丹、国後、択捉の四島は日本の領土だと両国が確認したことから、今日2月7日は、北方領土の日とされているらしいのである。

 しかし、菅首相は東京都内での集会で、ロシアのメドジェーエフ大統領の国後島への訪問は、わが国領土への侵入なのにもかかわらず、犯人扱いや無許可訪問についての抗議にはいたらず、厳しい言葉は投げかけたものの、北方四島に住んでいた日本人たちにとっては、益々返還への期待が薄れていく感じではなかっただろけうか。

 一方の国後島や択捉島ではロシアのインフラ整備が着々と進んでいて、全く地元に住むロシア人にとっては、2月7日が北方領土の日だと日本側が指摘しても、何処吹く風の如く、大統領に次いで政府の担当者なども続々と島にやってきているようで、益々既成事実化していく一方で、たぶん故郷を北方領土の四島に持つ人たちは忸怩たる思いでいられることだろう。

 一月にもこの北方四島のことはブログで書いたのだが、世界的にはなかなか問題視されることも少なく、どんどんロシアが経済的発展と共に、ロシアの全土の中で比較的暖かい領土だとの思いもあって、この北方領土の周辺海域での漁業権のみならず、海底資源の発掘や未曾有の期待をかけて積極的なインフラ整備をすすめているらしいのである。

 かつて、鈴木宗男氏を中心として、日本政府が税金でいろんな地域的なインフラ整備に一役買った時代もあったのに、ここ数年のロシアの経済発展かが拍車をかけた感じて、もはや日本に「こんな美味しい領土」を返そうなんて話は皆無に近い状態となっているというのが実際なのだろう。

 自民党政権時代から、たぶん2月7日の「北方領土の日」は、少なくとも抗議の集会や政府主催の行事はされてきたと思われるのだが、やはり日本外交の手ぬるさを察した感がロシアサイドにはあって、どんどんと土足で日本の固有の領土を、日本の敗戦期の混乱に乗じて、規制事実化していく作戦が功を奏したといっても過言ではない、戦後66年目の「北方領土の日」となっていて、非常に空しく感じざるを得ないのである。

 この戦後66年間に、果たして政府はどのような計画で、北方四島の返還を迫ってきたのかも甚だ疑問に感じざるを得ないほど、一時は歯舞色丹の二島返還論も出て、少しは前進したかのように感じた時期もあったのだが、現在は全くロシア側に返還の意思は感じられず、残るはロシアの主張する日露共同での地域開発といった形で、「お茶を濁されつづける」のであろう。

 相手国ロシアがそういう作戦と行動を繰り返すなら、日本の首相や担当大臣が突然でも北方四島に行く段取りをして、現地での両首脳や担当大臣の会談や、具体的な現状視察を行うべきだと思うのだが、全くそういった策や計画が感じられないままの、不法占拠よばわりだけではどうにもならないのではないだろうか。

 政治家の勇気と粘り強い交渉が外交には必然だというべきだろう。
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「辛い」は、「幸せ」への通り道。

2011年02月06日 | 感じたこと
 いろんな人生観があると思うのだが、若くても老いていても「自分の人生は辛い」と思っている人が意外と多いのではないだろうか。

 今日行った場所で少し時間があったので和室の炬燵に入って休んでいると正面の床の間に誰が書かれたのか「掛け軸」がかかっていて、そこには「辛いという字に一本足すと幸せになる」という意味のことが墨字で書かれていたので、ふと気づいたのだが漢字文化はやはり面白いものだ。

 確かに「幸せ」という字は、「辛い」と言う字に一本横棒を足すと「幸せ」と言う字になるのだが、必ずしも「幸せ」になるためには「辛い」人生や経験を積まないとなれないとは思わないのである。

 「幸せ」は、簡単に手に入ると言っているのではなく、人生は決して辛いことばっかりではなく、出会いや経験を楽しむことが出来れば、結構「幸せ」を感じることが多いものなのだが、人はどうしても「辛い」と思った時には、なぜ「自分だけがこんな辛い目にあわねばならないのか」と思ってしまう場合が多いからなのだろう。

 確かに、その一瞬やその出来事と遭遇したことは「辛い」と感じる経験だったかもしれないが、ちょっと時間が経ってから考えて見れば、そんな経験が出来た自分が頼もしく思えたり、貴重な経験から教わったことがあって、逆に嬉しくなることもあるのではないだろうか。

 つまり、人は決して「幸せ」だけを追い求めて生きているわけではないのだが、「不幸せ」と「幸せ」とどちらがいいですか?と尋ねられれば、誰もが「幸せ」になりたいですと答えるものだろうが、「幸せ」感にも千差万別の様子があって、美味しいスイーツヲ食した時に「幸せ!」と感じる思いと、「結婚できた!」、「子供に恵まれた!」、「仕事がうまくいった!」「彼氏(彼女)が出来た!」などと人生での大きな出会いや成功が「幸せ」を感じさせてくれる場合もある。

 しかし、私はそんな大げさな「幸せ」だけでなく、日常の日々の健康といろんな人との語らいや出会いを、とても「幸せ」と感じる人間なので、朝起きて一日が始まり「朝食を美味しく食べれた」ことに始まって、一日に何度も「幸せ」を感じていると言っても過言ではない。

 何が言いたいというほどのことではないのだが、常に自分は「不幸せだ」とか「辛い」とか思っている人にとっては、「幸せ」は遠いだろうと感じるのだろうけれど、小さな「幸せ」をたくさん感じて生きている者にとっては、小さな「辛さ」なんか、どうでもよくて、すぐに忘れてしまうために、「幸せ」に通じるためには「辛さ」が通り道なのだとは全く思わないのである。

 「幸せ」は、作るものではなくて感じれるかどうかであり、ちいさな幸せの積み重ねが「人生の幸せ」に通じるのではないだろうか。

 家族、友人、知人との出会いに「感謝。」多くの与えられた食物と語らいと健康に「幸せです。」辛くなんてありません。
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「母さんの下駄」を聴いてください。

2011年02月05日 | イベント
 昨年にもお知らせをかねて、このブログ「ガリバー通信」で記したように、来週の12日(土)午後6時半より、京田辺のJR京田辺駅前の商工会館きららホールで「中村ブン・かあさんの下駄コンサート」が開催される。

 翌日の13日(日)は午後1時半から、JR宇治駅前の「ゆめりあ宇治」の大会議室で同じくライブコンサートが開催される「中村プン」さんなのだが、話題の「かあさんの下駄」は、昨年暮れのNHK紅白歌合戦で話題となった、植村花菜の「トイレの神様」と同様に、日本人の親子や家族の情愛や大切な絆を歌った曲で、たいへん話題となって二年前のNHKテレビの「歌謡コンサート」でも紹介され、漫画家の故石森章太郎氏が大絶賛の詩だったので、昨年絵本としても発売されています。

 ともかく、昭和の貧しい家庭に育った「としお少年」の実話で、田舎の小学校の授業参観に男物の下駄を履いてきた母親に「赤い鼻緒の下駄」を買ってやりたくて、弁当代としてもらう小銭の中から毎日「五円玉」をタコ糸に通して貯めて、やっとこさ300円の下駄を買って帰って「母さんこれ!」と渡したら、「いくら貧乏してても他人の物に手を出すなんて!」と母が叱ったので、「違うんだよ!」と説明したら、初めて涙を流して母さんが謝ったというストーリーなのだが、「泣ける歌」であるだけでなく、少年の母を思う気持ちと母の子を思う気持ちが交錯した、日本人の心を描いた名曲となっている。

 「中村ブン」さんは、幼い頃から生まれ育った福島の東北訛りを、東京に出てきてから笑われたことから、一生懸命標準語を話したいために児童劇団に入って、「柔道一直線」や宇津井健さんの「たんぽぽシリーズ」などにも出演していた俳優さんなのだが、三十数年前から自分で詩曲を書いてギターで歌うシンガーソング゛ライターとしての活動を始めて、多くの小学校から老人ホームまで、小さなコンサートの傍ら全国を回っているタレントでもあります。

 ぜひ、この「かあさんの下駄」を生のライブコンサートで聴いてほしいと思います。

 いつもは関東圏でのコンサートや活動が主なので、関西地方でコンサートが聴けるのは、めったにない機会ですので少し遠い方も土曜の夕刻か日曜のお昼間ですので、足を延ばして聴きにきてください。

 とっても温かい中村ブンの世界に魅せられて、立春は過ぎたとは言え、まだまだ寒い気候の中で、温かな気持ちを運んでくれること間違いなしと思います。

 子どもたちから大人まで一緒に楽しく時間を過ごせる「中村ブンコンサート」に一度足を運んでください。お薦めです。

 コンサートの参加協力券は、一般ひとり2500円、障がいのある方と中、高校生は2000円で、小学生以下は無料ですので幼稚園以上のお子さん連れでお母さん、お父さんもご一緒にお越しになってお楽しみください。
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如月、節分。

2011年02月03日 | イベント
 今日は「節分」、そして明日は「立春」である。

 二三日前からの天気予報で、二月一日までは寒さが厳しいが、節分、立春を迎える頃になると、ちょうど「春」を感じるような陽気がやってきて、気温も京都の日中でも十度を超すという予報だったので、ほんとうに暦どおりに天気が変化するのかと不思議というか、驚いていたのだが、昨日と今日の日中は間違いなく春を感じるような陽気になって、車で行き来していても午後は眠たくなるほど車内温度が上がっていたようである。

 二月を如月というのだが、「きさらぎ」の由来は、寒さが厳しくて着物の上からさらに重ね着をして過ごすところから、「衣更着」、すなわち「きさらぎ」。または「生更ぎ」(いきさらぎ)が訛って如月(きさらぎ)となったようで、私が東京に出て若い連中で創立したフォーク系の音楽事務所に参加した時期があったのだが、二月にスタートしたこともあってか「如月ミュージックファミリー」と称して、岡林信康をはじめとした日本のフォークシーンのマネジメントをしていたこともあった。

 今では1970年代の若き時代の思い出のひとつとなってしまったが、「如月」という二月の古い呼び名には、苦い思い出と共に懐かしさ、そして日本の古の歴史や文化を感じてしまうのは私だけではあるまいと思うのである。

 そして今日の「節分」は、全国的に「節分」を祝って、豆まきや鬼が登場したり、最近ではコンビ二まで参戦する商戦としての「恵方まき」と称する「海苔巻き」の一本を恵方と呼ばれる、その年の方角に向かって、なぜか黙って食べれば、その年の健康や幸が訪れるというイメージのイベントが庶民に広く流行っていて、私の家でも早速夕食に太巻きを食べたのであった。

 今九時を回った時刻だが、向かいの家から子供たちが生活道路に向かって「鬼は外!、福は内!」という掛け声と共に、煎られた豆が何粒がまかれていて、なんとも子供たちの声は幸せの証のようにも感じられた。

 二日前に仕事でお訪ねした京都市内の古いお宅では、四歳になる男の子が通っている保育園で前日に「節分」の行事があったそうで、誰が扮していたのかは知らないが鬼がやってきて、豆まきをしたというのだが、私の三歳の孫R君は、今朝幼稚園に行く前に、「鬼が怖い」と感じていたのか、「今日は幼稚園」に行きたくなかったらしく、体調不良を訴えていたというから、幼い子供の中には、やはり「鬼は怖い」存在だと感じていて、あまりリアルな鬼の登場は、いくら季節行事といえども控えた方がよさそうである。

 一方の「恵方まき」に関しては、寿司業界の秘策であったとしても、いわしの頭とヒイラギを飾ることと共に、ちょっとした遊び心でやって楽しいものなので、おおいにお子さんも交えて楽しんだらいいと思うのである。

 寒さが和らぎ、明日は「立春」ということで、やはりなにやら春の訪れが近づいて来ると実感する日々を一日、一日過ごせることは、この上ない喜びであり、スイセン、梅、そして桜と春に向けての花咲く季節の移ろいを楽しめる季節なので、しっかりと如月、弥生、睦月のうつろいを感じながら過ごせたらいいなと思っている。
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