ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「針供養」って?

2011年02月08日 | 季節の話題
 今日は「針供養」の日だそうで、全国各地の何か謂れのあるお寺や神社では、お豆腐やコンニャクに使い古しの裁縫の針をさして、「労を労う」という、とっても日本的な行事が伝統的に行われているようである。

 夕刻のテレビニュースでも大勢の主に女性たちが針を持参して、コンニャクに自分の針に飾りの布切れをつけて刺し、手を合わせて「感謝」と「労を労う」祈りをささげておられる光景が映し出されていた。

 私自身の経験からすると小学生の頃に「家庭科」で雑巾を縫ってきなさいとの宿題、課題があったために「縫い針」を始めてもって、母に教えられるままに蛇行した縫い目を、少し恥ずかしく感じながらも一生懸命に縫った思い出があるが、世の女性たちも明治、大正、昭和と多くのオカァサンが針を持っては靴下やズボンの修理をしたり、取れたボタンをつけたりと結構、家庭で針を持つ機会があったと思う。

 しかし、平成という時代に入って、バブル経済とやらの経済的好景気を経て、いまや靴下を修理したりボタンをつけたり、ましてやズボンの穴をかがったりと、女性たちが家庭でどれほど針を持つ機会があるのかどうか甚だ疑問を感じるような、「使い捨て」的時代に突入したようで、修繕や修理よりも安いから新しいのを買った方がいいという時代になったのではないだろうか。

 特に百円ショップとやらに行くと、雑巾やハンカチ、布巾などの小物から、中には下着や小児用のズボン、シャツに至るまで、とっても安い、いや百円均一で販売されているのには驚くばかりなのだが、とにかく「かぁさんが夜なべして手袋編んでくれた・・・」などという歌に出てくるような光景や姿はほとんどなくなったのではないかと思うほど見なくなったといえよう。

 昔のおかあさんは、ミシン掛けも含めて、掃除、洗濯、炊事、育児の次に必ずと言ってもいいほど「裁縫」が家事のひとつとして意識されていたと思うのだが、現在の多くのママたちの中では「裁縫」という世界そのものが少なくなっていると思えるので、「針仕事」をしているママの姿を子供たちが見ることも稀となっていると思われる。

 そんな現状、いまの家庭状況の中で、伝統的行事としての「針供養」が、どんな意味を持ち、どうし影響や刺激を与えるのかどうかと、ついつい老婆心ながら思っていまったのである。

 テレビの映像取材でも着物姿の「和装教室」の生徒と見られる中年の女性たちが、「針供養」に参加していて、どうも教室や和裁の先生と一緒に「針供養」をイベントとして参加しているに過ぎない様子であったと報道されていたと思われるのであった。

 確かに時代が変化し、家庭で本格的には「針を使わない」時代となった現代の日本で、いつまで「針供養」が死語とならずに続く行事、イベントとして残っていくのかは定かではないが、大きなコンニャクに長いきれいな色とりどりの布をつけた太い針が何本も刺されている風景は、少し滑稽にも見えたのである。
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