ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

如月、節分。

2011年02月03日 | イベント
 今日は「節分」、そして明日は「立春」である。

 二三日前からの天気予報で、二月一日までは寒さが厳しいが、節分、立春を迎える頃になると、ちょうど「春」を感じるような陽気がやってきて、気温も京都の日中でも十度を超すという予報だったので、ほんとうに暦どおりに天気が変化するのかと不思議というか、驚いていたのだが、昨日と今日の日中は間違いなく春を感じるような陽気になって、車で行き来していても午後は眠たくなるほど車内温度が上がっていたようである。

 二月を如月というのだが、「きさらぎ」の由来は、寒さが厳しくて着物の上からさらに重ね着をして過ごすところから、「衣更着」、すなわち「きさらぎ」。または「生更ぎ」(いきさらぎ)が訛って如月(きさらぎ)となったようで、私が東京に出て若い連中で創立したフォーク系の音楽事務所に参加した時期があったのだが、二月にスタートしたこともあってか「如月ミュージックファミリー」と称して、岡林信康をはじめとした日本のフォークシーンのマネジメントをしていたこともあった。

 今では1970年代の若き時代の思い出のひとつとなってしまったが、「如月」という二月の古い呼び名には、苦い思い出と共に懐かしさ、そして日本の古の歴史や文化を感じてしまうのは私だけではあるまいと思うのである。

 そして今日の「節分」は、全国的に「節分」を祝って、豆まきや鬼が登場したり、最近ではコンビ二まで参戦する商戦としての「恵方まき」と称する「海苔巻き」の一本を恵方と呼ばれる、その年の方角に向かって、なぜか黙って食べれば、その年の健康や幸が訪れるというイメージのイベントが庶民に広く流行っていて、私の家でも早速夕食に太巻きを食べたのであった。

 今九時を回った時刻だが、向かいの家から子供たちが生活道路に向かって「鬼は外!、福は内!」という掛け声と共に、煎られた豆が何粒がまかれていて、なんとも子供たちの声は幸せの証のようにも感じられた。

 二日前に仕事でお訪ねした京都市内の古いお宅では、四歳になる男の子が通っている保育園で前日に「節分」の行事があったそうで、誰が扮していたのかは知らないが鬼がやってきて、豆まきをしたというのだが、私の三歳の孫R君は、今朝幼稚園に行く前に、「鬼が怖い」と感じていたのか、「今日は幼稚園」に行きたくなかったらしく、体調不良を訴えていたというから、幼い子供の中には、やはり「鬼は怖い」存在だと感じていて、あまりリアルな鬼の登場は、いくら季節行事といえども控えた方がよさそうである。

 一方の「恵方まき」に関しては、寿司業界の秘策であったとしても、いわしの頭とヒイラギを飾ることと共に、ちょっとした遊び心でやって楽しいものなので、おおいにお子さんも交えて楽しんだらいいと思うのである。

 寒さが和らぎ、明日は「立春」ということで、やはりなにやら春の訪れが近づいて来ると実感する日々を一日、一日過ごせることは、この上ない喜びであり、スイセン、梅、そして桜と春に向けての花咲く季節の移ろいを楽しめる季節なので、しっかりと如月、弥生、睦月のうつろいを感じながら過ごせたらいいなと思っている。
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