ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「辛い」は、「幸せ」への通り道。

2011年02月06日 | 感じたこと
 いろんな人生観があると思うのだが、若くても老いていても「自分の人生は辛い」と思っている人が意外と多いのではないだろうか。

 今日行った場所で少し時間があったので和室の炬燵に入って休んでいると正面の床の間に誰が書かれたのか「掛け軸」がかかっていて、そこには「辛いという字に一本足すと幸せになる」という意味のことが墨字で書かれていたので、ふと気づいたのだが漢字文化はやはり面白いものだ。

 確かに「幸せ」という字は、「辛い」と言う字に一本横棒を足すと「幸せ」と言う字になるのだが、必ずしも「幸せ」になるためには「辛い」人生や経験を積まないとなれないとは思わないのである。

 「幸せ」は、簡単に手に入ると言っているのではなく、人生は決して辛いことばっかりではなく、出会いや経験を楽しむことが出来れば、結構「幸せ」を感じることが多いものなのだが、人はどうしても「辛い」と思った時には、なぜ「自分だけがこんな辛い目にあわねばならないのか」と思ってしまう場合が多いからなのだろう。

 確かに、その一瞬やその出来事と遭遇したことは「辛い」と感じる経験だったかもしれないが、ちょっと時間が経ってから考えて見れば、そんな経験が出来た自分が頼もしく思えたり、貴重な経験から教わったことがあって、逆に嬉しくなることもあるのではないだろうか。

 つまり、人は決して「幸せ」だけを追い求めて生きているわけではないのだが、「不幸せ」と「幸せ」とどちらがいいですか?と尋ねられれば、誰もが「幸せ」になりたいですと答えるものだろうが、「幸せ」感にも千差万別の様子があって、美味しいスイーツヲ食した時に「幸せ!」と感じる思いと、「結婚できた!」、「子供に恵まれた!」、「仕事がうまくいった!」「彼氏(彼女)が出来た!」などと人生での大きな出会いや成功が「幸せ」を感じさせてくれる場合もある。

 しかし、私はそんな大げさな「幸せ」だけでなく、日常の日々の健康といろんな人との語らいや出会いを、とても「幸せ」と感じる人間なので、朝起きて一日が始まり「朝食を美味しく食べれた」ことに始まって、一日に何度も「幸せ」を感じていると言っても過言ではない。

 何が言いたいというほどのことではないのだが、常に自分は「不幸せだ」とか「辛い」とか思っている人にとっては、「幸せ」は遠いだろうと感じるのだろうけれど、小さな「幸せ」をたくさん感じて生きている者にとっては、小さな「辛さ」なんか、どうでもよくて、すぐに忘れてしまうために、「幸せ」に通じるためには「辛さ」が通り道なのだとは全く思わないのである。

 「幸せ」は、作るものではなくて感じれるかどうかであり、ちいさな幸せの積み重ねが「人生の幸せ」に通じるのではないだろうか。

 家族、友人、知人との出会いに「感謝。」多くの与えられた食物と語らいと健康に「幸せです。」辛くなんてありません。

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