ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「政局」って誰の都合なの?

2011年02月19日 | 日本の課題
 最近、会う人ごとに政治の話になると、「もううんざりだね」という言葉を聞かされるのである。

 菅直人首相の無責任発言だけでなく、あの小沢一郎元自民党幹事長とその一派の行動と言動、また鳩山前首相の沖縄辺野古地区への普天間飛行場の移転地決定の背景に米軍の抑止力をあげたのは「方便だつた」とかいう発言やら、もう国民の多くはうんざりなのだが、野党自民党の口撃ぶりも、「あんたたちのせいだよ」とでも言いたくなるくらいの自分たちの長年の政治のツケには無頓着な発言の数々と、言い出したらきりがないくらいの体たらくぶりである。

 今年は統一地方選挙の年ということもあって、町のあちこちには既成政党の立候補予定者が党首や地元出身の国会議員、府県議会議員たちのとツーショットでのポスターが目白押し出し、もう選挙が始まっているがごとき「政党」や「政治団体」のスピーカーによる宣伝行為が始まっている。

 しかし、国民、有権者の関心は、もはや「諦め」ムードに変わっていて、菅首相の退陣や衆議院の解散の兆しが出てきたと言われても、「お好きなように・・・」と言った感じの「我関せず」か、「勝手にしろ」ムードと言っても過言ではない感じである。

 そんな中、「○○党の××」をよろしくと住宅街を走る選挙モードの宣伝カーに、なんともギャップを感じているのは私だけだろうか。

 ある高齢のご婦人がつぶやいておられたのだが、政党や派閥の内向けの権力闘争とでも言うべき「政局」の動きばかりで、本当に「生活者優先」や「国民のため」と言いながら、自分たちの保身と組織、党の利害しか考えていない政治家たちの自己満足な言動に、もういい加減「堪忍袋」の緒が切れてもいいはずなのだが、日本人はエジプトやチュニジァの人々の様な行動やデモにはならないのである。

 日本国民は我慢強いのか超越しているのか、もう政府や政治に期待しても仕方がないとでも思っているのか、静かなムーブメントすら起きる兆しすら感じられないのである。

 果たして、来年度予算の成立を目指す現民主党政権と野党自民党を筆頭とする他の政党、グループの駆け引きや政局と言われる政党間やグループの利害の調整ばかりが目立っている、昨今の政治状況は、どの党に置いても明らかであり、東京都知事選挙に対する立候補者の出方も、いつ出馬を決めれば都合がいいかばっかりの「後だしじゃんけん」的実態である。

 石原慎太郎都知事は3選で終わりだと言っていたのに、息子の自民党幹事長に進言されたカタチで、80歳になろうともする爺さんが再度出馬する動きを見せて、東国原前宮崎県知事をけん制したり、「和民」のオーナーの都知事選立候補宣言や共産党小池氏の出馬も冷静というよりも冷ややかに見ている感じてあり、テレビやマスコミの対応も全く毅然としない。

 つまり、日本のマスコミ、新聞、テレビを中心とする報道機関も、全く主義、主張が影を潜めて、スポンサーやお上の機嫌を損なわない程度の事実追認的報道ばかりで、ジャーナリストと呼ばれるコメンテーターと称される人たちも、人気商売が故にか「はっきり物言う」人がほとんどいない現状では、この国の行く末を庶民は何に頼ればいいのか不確定である。

 とにかく、既成政党や既成の概念に取り込まれない、自由でかつ自分自身で考え、行動する人間として、今の政治の実態を憂いつつも、これからの子ども、孫たちのためにも大人たちよ、しっかりと見つめて範を示すべき時が来ているのではないか。
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