ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

幸せのちから

2007年02月15日 | 感じたこと
 黒人俳優、ウィル・スミス主演で、イタリア人監督、カブリエル・ムッチーノがメガホンをとったハリウッド映画「幸せのちから」を観た。

 原題は、the PURSUIT of HAPPYNESS となっているので、幸せの追求、若しくは幸せの営みだと思うが、邦題を「幸せのちから」としたところが何故か魅力を感じた。

 ストーリーは、アメリカンドリームとも言うべき、実際に1980年代半ばにあった実話をもとにされた作品で、ウィル・スミスが脚本を気に入って、製作にも関与して、監督を指名し、実の息子である、ジェイデン・スミスとの初の共演で、楽しく素晴らしい作品になっている。

 テレビの白黒映像には、レーガン大統領が映っていた時代なのだが、ウィル・スミス演じるクリス・ガードナーは、医療用の新型スキャナーの販売をしているが、なかなかうまく売れなく、日々の生活費をも欠く貧しい生活をしていた。

 家賃や息子の保育料も滞納し、洗濯屋で働く奥さんも日に16時間も働いても、生活は苦しい状態に耐え切れず、家を出て行ってしまう。

 ガードナーは、とある証券会社の社員養成のチャンスに応募するが、なかなか面接の機会も与えられない。そんなある日、採用担当者にじか談判し、タクシーに同乗して、その担当者が格闘していた「ルービックキューブ」の全色合わせを車内でやり遂げて、一目置かれる。

 そして研修生としての六ヶ月が始まるのだが、その後ニューヨークに行ってしまったママの変わりに、息子との二人暮らしを、給料のない仕事の合間に、残った医療用スキャナーを売り歩くが、息子との生活はどん底に落ちて、アパートも追い出され、トイレで一晩を過ごしたり、教会のホームレス用の宿舎に世話になる日々が続いた。

 ベッドもパンもママも無くした父と子が、手を繋ぎながら、最も困難な時期を乗り越えて、天才でも英雄でもない落ちこぼれかけた男が、前向きに明るく真剣にチャレンジをして、たった21ドルしかない生活から、現在は独立した証券会社を立ち上げて、億万長者になったという実話である。

 第79回の全米映画作品の「アカデミー賞」の主演男優賞にウィル・スミスがノミネートされているが、私は息子のジェイデン・スミスのかわいらしさと演技に賞賛を送りたいと思う。

 「幸せのちから」とは、言わずもがなであるが、「信じること」「愛すること」「諦めないこと」である。

 いつも「ポジティブにチャンスを捉えて、まっしぐらに挑む勇気と情熱がありさえすれば、世の中は捨てたものじゃないよ」と、ウィル・スミス演じる、クリス・ガードナーは、証券会社に採用された喜びを抑えながら語っているようだった。

 息子を保育園に迎えに行く場面で映画は終わって、エンドロールで、その後の彼の出世振りが文字で紹介されていた。

 出て行ったママが、その後どうなったかが気がかりだが、幼い息子にとっての「幸せ」は、お金だけでなくママが帰って来ることが大きいと感じたのである。
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へらへら通信

2007年02月14日 | ガリバー旅行記
 年が新しくなって、節分、立春も過ぎで、世は地球温暖化の影響もあってか、早や春の暖かさが感じられる気候が続いて、そこら中で「おかしな天気ですね」「やっぱり地球は今世紀末まで持たないでしょう」とか、日常的会話として地球温暖化への危惧が語られ出している。

 確かに日中の気温が、まだ2月の半ばだというのに16度とかで、どう考えても春の気候であり、全国各地から桜が咲いたとか、何とも「ひまわり」が咲いたとか、とんでもない話題が伝わってくるくらいの天候異変は地球温暖化が原因だろう。

 そんな中、年賀状の整理もとっくに終わって、春の心の準備が始まっている今日この頃なのだが、タイトルにある「へらへら通信」なるものが、姫路のイラストレーターのおじさん、岩田健三郎氏から届いた。

 この岩田さんは、ほのぼのとした絵を描かれる画家であり、私は今から20年以上も前に、当時子どもの遊び場活動に関わっていて、「遊び場情報誌」の取材で、兵庫県姫路市に彼を訪ねたことから知人となった方である。

 その当時から独特の風貌と共に、現代社会の経済優先の、しかもバブル経済まっただ中での出会いではあったが、何とも微笑ましいと感じるような、のんきで楽しい生き方をされている方だとの印象を強く感じた人であった。

 それ以来、年賀状だけの行き来の関係なのだが、私にはほんとに心温まる便りを下さるアーチストのひとりとして、とっても親しみを感じつつ、楽しみながら彼の生き方、そして大切な価値観に学ぶところが多いのである。

 今回の便りにも、その日その日のなんやかんや「へらへら通信」と書かれていて、へらへらと縦書きすると、今、今通信とも読めるという、へらへらの意を改めて知らされたのである。

 封筒の裏に、自筆で「賀状いただいていて、わたしはいまごろに。こよみがほんとうに はるになって 今年もお元気で 岩田健三郎」とやわらかく温かいペン文字で書かれている、「心にコトンと届く」文面が添えてあった。

 年が明けて、ようやくに いまごろに わたしの今年。早々に賀状をいただき ありがとうございます。わたしは年末・年始、年ごとに かたずけものが増え、かたずかず ジタバタ。で、賀状がつくれませんでした。そのかわりに、このつうしんを。どうにかこうにか、元気にやっているという報告に。

 2007年 新しい年が明けた。ことさらに何をということもないのやが わたし、今年六十歳で。まだピンと来てへん。けれど「老い」への始まり。はて、どうなるのやら・・・が新しい。老いていく自分が新しい。

 と、掲載した写真の如き、最初のページに添え書きとして書いておられる。とってもゆったり、スローライフの典型の様な生き方を地でいく、岩田健三郎さんとの出会いに感謝である。
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六カ国協議が合意?

2007年02月13日 | 世界の問題
 今夕のテレビニュースも新聞夕刊も大々的に、「北朝鮮核問題」を巡る六カ国協議が北京での米朝などの二国間協議で合意に達し、議長国である中国が核放棄に向けた合意文書の最終案を各国に提示し、各国も合意に同意して、正式合意がされる見通しと報道した。

 これは素晴らしいニュースなのだろうか。私にはどうも胡散臭い匂いが漂う、国際外交の間で、隠れた米国と北朝鮮との裏約束のようなものがあると思えてならないのである。

 最終案は、初期段階として、北朝鮮は核施設閉鎖と国際原子力機関(IAEA)の査察を受け入れることを明記し、その見返りとして北朝鮮に重油5万トンを提供することになっている。

 さらに核施設の不能化措置をとった段階で、重油百万トンの提供に相当するエネルギー、経済支援を提供することにしており、六カ国が五つの作業部会を設置すると合意したとされている。

 よーく考えてみれば、六カ国協議の米国、ロシア、中国は既に歴然とした核保有国であり、彼らにしてみれば北朝鮮が核保有を断念すれば、他の経済援助、特に北朝鮮が求めている「金融緩和」と称される、北朝鮮マネーの規制緩和が約束されているように思うのである。

 金正日北朝鮮朝鮮労働党総書記は、何を一番望んでいるのであろうか。自分と家族一族郎党の身の安全と豊かな生活の保障であり、北朝鮮全土で飢えや生活苦で苦しむ人民全ての幸せや生活を保障しようなどとは考えていないはずである。

 所詮、人間の権力欲と人間的他のあらゆる願望や欲望は、国家元首と言えども、国民の犠牲の上で、自分達の虚勢が成立しているなんては考えていないと思われるからである。

 日本は、この六カ国協議でほとんど実質的な協議に参加していたとは思えないし、北朝鮮側からすると、日本はアメリカの属国であり、実質的な協議する相手ではないし、すぐに「拉致問題」をテーブルに載せようとするので、彼らには対応したくない相手国となっている。

 日本の経済制裁などは、実質的にはザル状態であり、新潟港への北朝鮮船舶の入港は、昨年10月から禁止されているが、北朝鮮との行き来に、多国籍の船舶が多く利用されていて、第三国の船が北朝鮮経由で頻繁に寄港している事実が確認されている。

 すなわち、日本の北朝鮮への経済封鎖や高級品などの輸出禁止措置などは、表面的なものであり、北朝鮮にとってはほとんど影響がないのかも知れない。

 また10ヶ月ぶりに日朝会談がされたらしいが、拉致問題はまたしても解決済みとする北朝鮮側の対応に終始し、何らの進展も見られなかったようである。

 つまり、今回の六カ国協議は、日本も参加だけはしているが、実質的には日本に何の成果も無く、米朝が中国の仲介で、一定の取引をしたに過ぎない、茶番劇ではなかったのだろうか。

 またもや、北朝鮮の思う壺、言いたい放題、やりたい放題に、アメリカが妥協しただけの成果ではなかったかと、大いなる危惧と疑惑を感じている。
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畑にタクシーが・・・!

2007年02月12日 | とんでもない!
 わが町は、緑豊かな田園都市とうたわれている。その南部の農地の真ん中、畑の中に、何も無かったかの様に「タクシー」が向こう向きで止まっていた。

 一昨日の朝、東大寺二月堂への「竹送り」行事に参加したおり、早朝に竹を掘り出しに竹林の山に入ろうと、みんなで府道沿いを歩いていて、「何だろう!」と不思議に思ったので、携帯電話のカメラで一枚撮影したのが、この写真である。

 ちょうど府道、生駒井手線と呼ばれる幹線道路の普賢寺・多々羅地区の一角、生駒方面の山側から勾配のある下り坂道となっていて、しかも下り車線は大きくカーブしているところで、狭い歩道と田畑の間には鉄製のポールのガードレールの柵がも設置されているが、その柵が大きく田畑側に折れていて、10メートルほど先にタクシーがダイブしたものと思われた。

 タクシーの車体はトヨタクラウンと思われる黒い自動車だったが、前部のバンパーとフロントボディーが少々破損しているのが見受けられたが、段差も2メートルほどあるところを跳んだと思われるが、大破は免れて畑に道路と直角に着地した様子であった。

 私達が竹を切り出して帰る約一時間後には、パトカーがタクシー会社の関係者と思われる人と共に、現場確認にやってきた感じで、数人が調査のために降りて来られていて、やはり事故は一昨日の夜に発生したものと思われた。

 この事故は、何とも奇跡的な事故だと思われるのだが、運転手の怪我や容態までは聴く由もなかったが、たぶん怪我をされていたとしても自動車の損傷の軽さから見て、たいした怪我ではなかったのではと思われる見事な着地の姿で畑に居座った形だった。

 しかし、想像するにタクシーは乗客を乗せていたかどうかも定かではないが、
慣れぬ夜道を相当のスピードで深夜に走っていて、下り坂とカーブを曲がりきれずにジャンプして、鉄柵を突き破って畑に不時着したものと考える以外に想像がつかない状態だった。

 昨今は飲酒や酒酔運転は厳しいご時勢だし、まさかタクシードライバーが酒酔い運転するわけはないと思われるので、たぶん深夜の勤務で疲れか何かでウトウト居眠り運転をしていたのではないかと思われる。

 とにかく真相は全く謎なのだが、事故は事故でも、こんなに見事にジャンプしているのに、ほとんど事故車だと気づかないほどの姿で畑にタクシーが止まっているといった感じに、改めて仰天したのである。

 よっぽど運のいい運転手で、しかも眠っていたためにあらぬハンドルやブレーキでの回避をしなかった分、幸いしたのかも知れないと思う様な結果に、さぞ関係者も驚きと共に、運転者の幸運に感謝したことだろう。

 こんな奇跡的な単独事故は起こそうにも起きない「万が一」のケースであるので、十分、ドライバーの皆さん、安全運転には気をつけましょう!
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東大寺二月堂へ竹送り

2007年02月11日 | 季節の話題
 今朝、二月十一日の恒例行事となって30年目の、京田辺市普賢寺の「東大寺二月堂、竹送り」に参加した。

 例年なら早朝の寒さの中、雪が舞っていたり凍てついていたりと、寒さが厳しい時期だが、今年は何とも暖かい気温の中たくさんの見物客と共に私も、竹送り保存会の講の方々の揃いの青い法被を着て、午前7時半頃から普賢寺周辺の竹林の中へ、ぞろぞろと入って行った。

 前日から用意されていた孟宗竹が観音寺大御堂の本堂前に、根っこ付きで5本揃って並べられていて、竹林に入るともう既に一本が準備されていて、昨日ほとんど根っこが掘り出され、最後の根っこ切りをするだけの全長15メートルはあろうと思われる立派な真っ直ぐな孟宗竹が天に向かって立っていた。

 テレビ局や新聞社と共に多くの年配のアマチュアカメラマンが取り囲む中、「松明講」の法被姿の方々が、竹の子掘りの道具とショベルで、孟宗竹を切り出される様が、フラッシュやシャッター音と共に進行した。

 地元にキャンパスを持つ同志社大学の女子学生たちも、数人駆けつけていて同様の青い法被姿で、この竹林からの寄進竹の担ぎ出しを手伝う形になって、なかなか派手な「竹送り用」の竹の山からの搬出となった。

 生憎前日の雨の影響で、少し足元が悪いところもあったが、総勢100人以上が見守る中を、二本の奉納竹が山道から国道沿いを行進して、竹送りの染め文字の入った「のぼり旗」と共に、近くの普賢寺ふれあい市と称する、地元の産直の農産物の市場へと入った。

 今朝は「ふれあい市」の皆さんが前日から仕込んで準備されていた「大根焚き」の接待があり、美味しい大根と油揚げが参加者全員に振舞われた後、この「竹送り」に縁が深い、観音寺に寄進竹は運ばれた。

 奈良東大寺二月堂で、毎年三月1日から14日間行われる、春を告げると言われる、修二会(お水取り)の行法は、天平勝宝4年(752)に、実忠和尚によって始められ、今年で1256回目で、この間一回も途絶えることがなかったそうだ。

 「二月堂竹送り」の風習の復活は、地元の写真仲間や有志によって30年前からこの地域で始められたもので、二月堂を舞台に松明が勇壮に駆け巡るところから、「お松明」とも呼ばれている行事なので、寄進竹を送る会を「山城松明講」と称して続けておられるのである。

 その後、大御堂本堂前でご住職らによって道中の安全祈願がなされて、旧24号線奈良坂まではトラックで運び、そこからは旧街道筋を人の肩と大八車で転害門広場迄運び、奈良街道まちづくり研究会の人々が「お茶とぜんざい」の接待をされ、東大寺二月堂に正午過ぎ到着した模様だ。

 この様な時代を超えた、庶民の習慣、風物詩の一こまが、大勢の市民の協力の下で行われていることに、深い感銘を改めて感じたのである。
 
 

 
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合唱の定演が一週間後だ!

2007年02月10日 | ファミリーイベント
私の所属する田辺混声合唱団の第8回定期演奏会が、あと一週間で本番となった。

 今回の定期演奏会は京都市呉竹文化センターホール(近鉄・京阪、丹波橋駅下車西出口前)で、来週の日曜日18日の午後2時開演で行われる予定だ。

 田辺町時代の今から15年ほど前に「田辺混声合唱団」は発足し、その当時は男女合わせて150名近くの団員を抱える大きな合唱団としてスタートしたが、よる年波には叶わず、少しづつ団員が減り始め、死亡、病気、転勤などと共に、音楽的志向性や団員との相性や指揮者や役員の方向性とのギャップなど、いろんな理由でメンバーが減り、現在は40名ほどの団となっている。

 ベースとテナーの男性で辛うじて10名、女性はソプラノが18名ほどとアルトが12名として、総勢40名なのだが、当日の健康状態やアクシデントも考えれば、40名を割るかも知れない。

 私は家人と共に、気がつけば唯一の夫婦団員として辛うじて残っており、過去7回の定期演奏会も何とか末席を汚しつつ参加してきたのである。

 しかし、毎回のステージの合唱曲を、なかなか暗譜することは出来なくて、いつも残り一週間となって、ようやく本気で「覚えるための」多様な試みをし出すという、学生時代の試験勉強の前日の一夜漬けと同様の、スタートの悪さが信条で、いつも瀬戸際まで、自分ではらはらドキドキなのである。

 今回のステージは三部構成で、第一部の童謡、唱歌の四季のメドレーの「冬のメドレー」「春のメドレー」と第二部のミュージカルアラカルトは、楽譜を持ってのステージだが、第三部の混声組曲「心の四季」は暗譜であり、アンコール予定曲とあわせて、絶対覚えないといけないのである。

 今日の練習では、暗譜の楽曲「心の四季」を中心に歌ったのだが、概ねの団員は全く楽譜を持たずに練習に没頭されていたが、恥ずかしながら私は歌詞を覚えきれてないので、片手に楽譜を持って、チラチラ見ながらの練習で、やっと「いけない!」という自覚に至ったのである。

 一週間後の本番のステージを想像しながら、明日は自分で出来るだけ覚える練習をして、明後日の午後の特別練習では、間違っても歌詞くらいは覚えて、練習に参加しなければと強く思った。

 少ない団員数になっているので、ひとり一人のパートにおける歌唱力というか、歌えるかどうかが、全体的な混声合唱としての表現力に大きく影響があることは言うまでもないのだが、今まで多くメンバーがいたので、しっかり歌える人をメインに、ついて歌うという、ちょっとした安心感があったが、今回は、そんな甘えは通らない。

 今自分でしっかり歌えてないと自覚している、第三部の「心の四季」の歌詞と暗譜と、第二部のミュージカルソングの英語の歌詞で、歌えていない部分があるので、特訓を自分に課して、この連休は頑張ろうと思う。
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出でよ、市長候補者!

2007年02月08日 | 感じたこと
 最近の春の様な陽気に誘われてか、自分の気分の高揚からか、富に多くの人と話すことが増えている。

 統一地方選挙が近づいているが、一番大切な「わが町」の行政のかじ取り役である市長候補が見えてこないのである。

 昨年の夏前から議員の一人として、私なりの市長候補者を絞って、ある方に接近して私なりの期待と共に、諸般の事情と環境が整えば是非立候補して戴きたいと要望をしてきたのである。

 私自身の市議への5度目の挑戦、立候補準備もぼちぼち気持の上では始まっているのだが、自分のことよりも、この春からの大事なわが町、わが市の市長を誰に委ねるべきかの選択肢が見えてこないことが、大きな問題であり忸怩たる思いなのである。

 今日も、多くの方と直接ないしは電話で話したが、どちらからともなく、我が市の市民、関係者である限り、この話題を避けて通ることは出来ない。

 先にあげた私の推す御仁は、残念ながら今春の市長選への立候補を断念せざるを得なくなったと1月下旬に聞かされたのである。

 その理由は、多くの他の会派の議員達からの要請もあり、客観的な見地から見ても、出来れば、その方に立候補を委ねて、是非わが市の地方自治並びに財政健全化に基づくリーダーシップを担ってほしいとの思いは、生憎の「時」のタイミングがうまくかみ合わず、本人の最終的な決断に至らなかったのである。

 私は、今迄もささやかな経験から、行政マンや政治家、議員、民間の会社を経営する人、大学の研究者、先生と出会い、お話しする機会を得て、その方の「人物」を感じ、話し、見てきたつもりなのだが、なかなか「市長」にと心から推したい人には出会わなかった。

 自分の名誉欲や金銭欲、権力欲などではなく、6万有余の地方都市の住民たちと共に、自分達のまちづくりと住民サービスを、どの様にしていくかを、厳しい地方財政事情の中で、知恵とアイデア、住民参画で積極的にリードして行くことの出来る人には、なかなか出会えなかったのである。

 でも、私の人を見る目が間違っていなければ、その人は適確な適任者になり得る方だと、今も期待と共に信じているのである。

 しかし世の中は、ひとりの人間が望んだからと言って、他人の人生における多様な可能性の中での決断を強いるわけには行かないし、ご本人が多様なお考えの中で、「時は今だ」と感じていただいて「決断」して戴かない限り、実現への第一歩はスタートしないのである。

 今、私は天の声を聴きたい心境である。何処かに素晴らしい市長になられる可能性のある方がおられるはずなのである。

 多くの市民、事業者、市職員、議員、関係者達との出会いと会話の中から、彗星の如く、わが市のリーダー役としての「市長候補」の登場を、今か今かと望みながら、日夜頭を巡らせている。

 出でよ!市長候補者。期待しているよ。
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談合入札の疑惑!

2007年02月07日 | ちょっと可笑しいよ
 臨時議会の本会議が昨日開かれて、南部の大型住宅開発に伴う調整池(約5500㎡の敷地に、16220㎥の容量の池)を築造する計画で、この工事請負契約についてが提案されて、本日、私も所属する建設常任委員会で、現地確認の上、審議したのである。

 昨今に始まったわけではないが、国、都道府県、市町村に至るまで、全国中で「談合事件」が発覚し、宮城県、福島県、和歌山県では、知事が収賄容疑で逮捕され、辞任するという結果にまで及んでいる。

 私は、議員として16年間機会ある毎に、また請負契約案件が、議会に上程される度に、公正、公平で透明性のある公共事業の減量化、すなわち、公正な競争入札による、税金の無駄使いをなくす、談合入札防止策について、提案し、問題提起し、多くの質疑を行ってきた。

 今回も、議案としての「調整池工事請負契約について」が提案される前の、すなわち入札前から、「談合なき、公正な競争による入札」をと警告を発しつつ、談合防止のための行政側の手法と努力についても聞いていたのであるが、裏切られた心境で、今回も写真の様な「入札結果表」を見ることとなった。

 つまり、予定価格2億5604万円に対して、7つの共同企業体が入札に参加し、地元の現職議員の弟が経営する企業と構成員としてのもう一つの会社がJVと言われる合同で落札したのである。

 今回の落札額は2億2750万円で、いわゆる落札率は88.85%と90%を下回ったのだが、他の入札参加企業体の入札書記載金額との差が最大でも、たった250万円だったのである。

 ようするに、10000円の予定価格に対して、この工事を請け負うことになった業者は、8885円で契約を結んで工事をすることになったのだが、他の6社も何と最高額でも8983円と、98円の差しかなかったのである。

 つまり、7つのグループが相談をして、1グループの落札額を決めて、他社には、それ以上の額で入札するように指示したとしか思えない様な、落札結果になっていたのである。

 委員会での審査で、私は「明らかに談合の結果だと疑わざるを得ない」としたが、行政側は、談合情報もないし、公正に行われたものと信じているとの答弁をしたのである。

 こんな状況を見ていて、本当に行政は「談合防止」をしようとする意欲や意思がなく、所謂結果的には「官製談合」と言われても仕方がない様な現状を放置しているとしか思えない対応であり、私は明日の本会議で、この議案に対して「反対討論」をした上で、同僚議員と二人だけ「反対」する予定である。

 2001年に日弁連、日本弁護士連合会が入札制度改革への提言として、談合防止策としては、一般競争入札を前提に地域制限や入札企業の総合評価点などの大幅な緩和と共同企業体での入札の廃止等と談合業者へのペナルティを厳しくすること等をあげた。

 日本ではまだ業者には「談合はやり得」という意識があり、行政は真剣に「談合防止策」を講じていない現実がある。

 「談合は必要悪ではなく、税金の無駄使いをする犯罪である。」
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力強い「鬼の叫び」

2007年02月06日 | 季節の話題
 突然、久しぶりに大阪へと出かけた。臨時議会の提出案件が工事請負契約の一件だけのため、提案理由の説明も含めて本会議は、何と10分ほどで終わったからである。

 ちょうど年賀状の返信として、友人の西村公泉氏と若手彫刻家4人による、アトリエ遊木民舎の「木彫5人展」が大阪で開催されており、今日までだったので、何とか間に合うと思い、片町線の快速に飛び乗ったのが2時半過ぎであった。

 私の手帳のメモには、2/6(火)まで心斎橋大丸6F、西村公泉・木彫五人展とあったので、京橋から環状線に乗換え地下鉄でと思ったが、久しく大阪へ出かけてないので、何故か鶴橋から千日前線で難波、御堂筋線に乗換え、漸く心斎橋に着いた。

 改札を出て、大丸の地下売場の入り口へと足を向け、受付嬢に「木彫五人展」の開催について尋ねた。

 いろいろ調べてくれたが、やっていないと言う。梅田店でもやっていないと言う。よもやとは思ったが自宅に電話してみると、何と「高島屋」での開催だッたのである。

 「あぁ・・・」と溜息をついてはいられない。美術関係の最終日のギャラリーの展示は4時までなので、急いで再び地下鉄で難波へと向かった。急いで改札を出ようとすると、200円で購入した地下鉄の切符が見当たらない。

 あと20分しかない。こんな時間のない時に、とんでもないことだが、間違いなく百円玉二個をいれて買った切符だ・・・。自動改札ではなく駅員に事情を話すと、「ゆっくり探して下さい」とのたまう。それどころではない、時間が無いのだ。

 「今日のところはいいです」と駅員の許可が出て、急いで高島屋の六階へ。エレベーターは、こんな時に限って各階止まりののんびりタイプである。

 ようやく会場に着いたのは、3時45分頃だったと思われる。

 西村公泉氏は私より少し若いが、著名な仏彫刻の大家、西村公朝氏の息子で、現在は宝塚造形大学の教授で、ご夫人もアーチストであるユニークなご夫婦なのである。

 私は今回は、彼と四人の若手の作家の木彫作品から、多大なエネルギーを受けたいとの個人的願いから、この会場に是が非でも行きたいとの一心で向かったので、短い時間だったが強いテレパシーとエネルギーを感じる作品達に出会うことが出来た。

 西村公泉氏の製作された木彫のメインは、「雷神鬼吹」という楠、桧、桂を使った幅47×奥行34×高さ99cmの作品であり、ふんどし一丁で叫んでいる力強い「鬼の裸の姿」であった。

 私には切り株の中から、ちいさな鬼が天を見上げて叫んでいる作品などと共に、現代社会と人間と自然に対する「怒り」と「現実の疎外感」を鬼を借りて表現されているように思えたのである。

 作者本人と暫し歓談することが出来たのだが、彼は体調を崩した中で「雷神鬼吹」を製作したと聞いて、益々作品の持つ背景に病気との闘いもあるのだと察することが出来たのである。

 人間も正直に叫んだり、怒ったりする時も必要である。

 
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英国の実際を知ってるかな?

2007年02月05日 | 地域の話題
 現代はネコも杓子もと言えば失礼だが、家族ぐるみの海外生活から高校生、大学生のちょっとした留学まで、海外への渡航や経験はブームを通り越して、誰にもある話になっている。

 また、世界のあらゆる国からの留学生や観光客、ビジネスマンたちの日本滞在も日常的に行われていて、ちっとも特異なことではない時代となっている。

 わが町、京田辺にもささやかな国際交流協会があって、年に何回かイベントを開催されていて、私もそのメンバーのひとりなので、たまにはと留学生たちとの交流会に参加した。

 留学生は、カナダ・ブリティッシュコロンビア州出身のダスティン・ストレンサン、28歳、男性と、アメリカ・バージニア州出身のブレッド・ヤングサン、26歳、男性、そしてイギリス・イングランド、北ヨークシャー州出身のタムジン・ダーンリーさん、21歳、女性の三名であった。

 日本側の参加者は、国際交流協会の役員的メンバーが5,6人と一般参加の家族が二家族と個人としての5,6名の参加で、全員でも20名ほどのささやかな懇談会であった。

 しかし、たまたま英語圏の三つの国からの留学生たちだったこともあって、海外生活の経験があると思われる二つのご家庭の子ども達も含む、達者な英語を話す日本人達と国際交流協会のメンバーたちも質疑をしながらの日本語と英語の交流で会は進行された。

 カナダからのダスティンさんは、アメリカ大陸を西海岸から東海岸までを自転車旅行した時のスナップ写真をスクリーンにパソコンから映写しながら、いろんなエピソードや感想を自己紹介を交えて語った。

 アメリカからのブレットさんは、ノバで働きながら同志社大学に学ぶサッカー好きな青年だが、世界の企業で一番就職したいのはGoogleというインターネット検索の会社であり、理由は巨額な会社の利益、保険、給与、賞与、利益率などの条件だと語り、日本の女性が何故「額に汗もせず儲ける会社」が一番なのかと疑問を呈して議論となった。

 最後に自信なげに自己紹介したイギリスからの女性留学生、タムジンさんは、イギリスの連邦としての国の成り立ちと文化、歴史の違いを語り、スコットランドは独立すべきとの政治的見解をも紹介し、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド、スコットランドなどからなるイギリス連邦の複雑な実情の一端を知ることとなった。

 ともかく私は、英語圏の代表的な彼らの母国である、アメリカ、イギリス、カナダには行ったことがなかったので、行ったり、住んだことのあるファミリーが彼らと流暢な英語で会話するのを聞き、半分くらいしか分らない悔しさを感じながら楽しんだのである。

 世界は広く、地球上には英語圏以外の国の方が人口も多く、未知の文化や習慣、歴史が多種多様にあるのだが、日本での国際交流が「欧米か?」中心になっている現状を感じつつ、彼ら英語圏の青年達の心に触れる機会として感謝であった。
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