ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

内蒙古からの留学生

2005年04月04日 | 感じたこと
 私の友人でもある中国内蒙古自治区からやって来たモンゴル人の包海岩(バオハイヤン)君は、2001年春に来日して以来、丸4年が経過して一昨年には弟の海嶺君、そして今春、妹の海霞さんが来日したので、兄妹3人が京都に暮らしながら、それぞれの留学目的での勉学にいそしむこととなった。

 兄の海岩君は1991年の春に、私達が企画した内蒙古地球学校のモンゴル側の交流学生のひとりとして、中国内蒙古自治区赤峰市郊外のダライの町の中学校の校門付近で、初めて会ったのである。

 それから91年夏の大草原での一週間のパオ野外生活で合流し、93年には再び私達が企画、実施した日本海地球学校に、モンゴル族の代表学生20数名のひとりとして、初めて来日したのである。

 京都を中心とするホームステイ先で2泊3日の交流をしたり、日本海の宮津海岸での海遊びを初めて体験した合宿生活を日本の小中学校の児童、生徒と愉しんだり、約1週間の日本滞在で、彼はすっかり日本の魅力に取り付かれた様で、数年後、日本への留学を志したと言うのである。

 4年前の3月30日の夜に突然国際電話がかかってきて、たどたどしい日本語で「ガリバーさん、宝海鷹(バオハイヤン)です、覚えていますか?」と電話口で元気な声がしたのである。

 私は91年以来、約10年が経過していたが、幸い彼の名は、内蒙古の交流学生の名簿のトップにあったことと、宝の海の鷹という、すばらしい漢字が並んだ印象的な名前であったため、しっかりと記憶にあったので、「覚えているよ、どうしたの?」と聞いたところ、「僕は日本に留学します、京都の大学、同志社大学に行きます」と言うではないか。

 突然の知らせにビックリしたが、とにかく喜ばしいことなので、日本に来て京都で落ち着いたら連絡をおくれ、一緒に食事でもしましょう」と言って、ひとまず突然の国際電話を切ったのである。

 翌日の夕刻、全く予想もしていなかった電話が私の自宅にあったらしい。大阪に住むモンゴル人がバオハイヤン君を一晩預かっているので、連絡してほしいとのことだったのである。

 またもやビックリして電話をすると、彼自身が既に日本にやってきており、関西空港に到着したのだが、それからどうしていいのか分からないでいたところ、モンゴル語を話す声が聞こえてきたので、近づいて同じ民族、同じ言語を話す人間として救いを求めて、とりあえず、大阪の長居に住まわれて7年になる蒙古人の世話になって、一泊一食の恩義に預かったらしいのであった。

 私は驚きながらも、翌日正午に京都の今出川の同志社大学正門で待ち合わせることを約束して、急遽バオハイヤン君の日本での引受人になって、対応したのである。

 それから4年、彼は留学生別科での日本語習得過程を優秀な成績で卒業し、大学の特別学生を経て、昨年春から、同志社大学神学部大学院の修士課程の学生として奨学金も受けて、学究生活に没頭しているのである。

 そして現在、弟海嶺君は大阪の観光ビジネスの専門学校で学び、妹の海霞さんは兄と同様に、同志社大学留学生別科で今年度から日本語習得に専念し、来年度は同志社女子大学の音楽学科を目指すというのである。

 中国、内蒙古自治区の小さな町ダライからやって来た3人の兄妹の日本での留学生活を歓迎し、各々の目的、志望に近づけくための学習と生活を、ささやかではあるがサポートしながら応援したいと思っている。

 仲のいいモンゴル人の若い兄妹の頑張りにエールを送り、元気に目的へと努力することを願いつつ、見守りたいと思っているのである。

 
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学校に行かない自由

2005年04月03日 | 日本の課題

 小学校6年間と中学校3年間計9年間は義務教育であり、親は子どもを学校に行かして教育を受けさせる義務を背負っている。

 しかし、現代の教育のあり方や現状の公教育の多種多様な問題を思うと、果たして学校に子どもをやることが本当に親の義務とされているが、子どもにとっての人格形成と学習において一番ふさわしいかどうかは分からないのではないかと思ってしまう人が多くおられるのではないだろうか。

 実は、私も時折そう思わざるを得ないことがある。それは小中学校における具体的な出来事を聞いたり、学校現場に立っている教師達の話を克明に聞けば聞くほど、そう思わざるを得ないのである。

 今日、久しぶりに子ども達の遊び場活動をしていた頃の同僚であったAと称する男がわが家にやってきたのである。彼は京都で我々と共にプレイリーダーと称する、子ども達の遊ぶ気持ち、すなわち「遊気」を引き出し、子ども達と共に遊ぶ大人のリーダーとして何年間か一緒に仕事をした仲間である。

 彼は10数年前アメリカ人の女性と再婚し、現在10歳になる女の子がおり、奥さんと3人で京都に関東圏から自家用車で家族旅行している間に、わが家に立ち寄ってくれたのである。

 私は偶然昼休みのために家にいたので、再会を喜びながら暫くいろんな話しをした。そして彼のお嬢さんの話になって、聞いてみれば、彼女は学校には行かず基本的には自宅で勉強しているというのである。

 深い話しと言うか理由は聞かなかったが、私なりにすぐ理解がてきた。私自身、現代の公教育としての小中学校の現状を少なくとも知っている者としては、「学校に行かない選択肢」を素直に認めると同時に、ご両親としての決断というか、わが子に対する広い意味での教育理念を理解できたような気がしたのである。

 明るくて物怖じしない10歳の女の子に対して、「そうだよ、学校の小さな教室だけが勉強ではないし、先生も担任として出会った人だけでなく、周りで出逢う全ての人が先生になり得る」とちょっと彼女には難しかったかも知れないが、私自身の「学校に行っていない」彼女への理解とエールを送ったつもりだったが、彼女がどう感じたかは聞く由もなかった。

 常日頃から、私は、例えば不登校の児童、生徒の問題に対して、学校や教師にその原因があることが多いことを知っているため、教育委員会や現場の多くの先生方が考えておられる様な、不登校の子どもを何とかして学校に行けるようにしたい、との考え方に対して、決して学校に戻ることが課題ではなく、各々の個性と生き方に合う、居場所や心地よい学び方があればいいのだと思っているのである。

 日本国内でも多くの従来の公教育と言う、お上と言うか、国が決めて全国的に共通認識で、学習指導要領に従って授業をすすめたり、学校運営を一律的に進めるような文部科学省の教育に対する指導や指示は決して好ましいとは思っていない保護者、教師、学校関係者も多くいるのである。

 アメリカでは、地域の住民、大人たちが発起人となって地域の学校としてのチャプタースクールとしての私学が州や合衆国の認可を得て、支援されているケースが多くあると言う。

 日本でも文部科学省の内部では、相当検討もされ議論もされているらしいが、地方の教育委員会には全くと言っていいほど、そうした教育の主体を地域住民に委ねるという発想すらないのである。

 私は地方の行財政改革や規制緩和の中で、指定管理者制度やNPO法人格の学校などが地域の教育として認められて、子ども達の教育の多様な選択肢として、受け皿として活用されることを強く望んでいる。

 国際社会、地星人としての次代を担う、子ども達がいろんな選択肢の中で、人格形成と知識や歴史、文化を学ぶと共に、大いに自然環境の中での遊びや体験をすることを通して成長してほしいと願っている。

 学校に行かない自由も保障する、教育のキャパシティーを広げて見守りたいと思っている。
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花粉症に泣く。

2005年04月01日 | 感じたこと


 今年の花粉は数ヶ月前から昨年の天候異変で大量に出ると予測され、花粉症の人たちへの警鐘がメディアを通して再三再四されていたのだけれど、この一、二週間の花粉の量がすごいのか全く情けなくなるほど、典型的な花粉症症状に突入してしまっている。

 鼻水、くしゃみの連続、目の痒みが主な症状である。八百屋のお客さんたちの中には、花粉症対策のために、酷い方は外には出られない方もおられるようであるが、私は外に出ないわけには行かないので、マスクを時折して外出しても愛用のめがねが曇ったり、どうもおしゃべりがしにくかったりするので、すぐにはずして顎にマスクと言った感じになってしまうのである。

 見えない花粉が非常に多く飛び交い、外に出て活動する我々にとっては、回避できないやっかいな状況になっているが、そもそも花粉なんぞ太古の昔からあったはずなのに、現代病のように昨今問題になったのには深いわけがあるはずである。

 とにかく人類の地球上での、あらゆる産業活動と自動車交通を中心とするエネルギーの消費による排出ガスなどで大気を汚染させた上に、空気中の二酸化炭素をはじめとする成分の増加で地球上の大気温度が上昇して、あらゆる生命の生態系に大きな影響を及ぼしており、このアンバランスなリスクが植物の自然の交配や増殖にも陰を落として、植物の異常な花粉の排出にも繋がっているのである。

 スギ花粉、ヒノキ花粉がこの時期の主な花粉症の原因とされているが、自分自身の症状がどうしたメカニズムによって起こっているかは、定かには分からないのである。

 現在、京都の南部で活動している私だが、大阪に注射一本で花粉症を忘れさせてくれる医者がいることを丁寧な地図まで提示して、高齢のご夫婦ご両人共に注射で何ともなくなったから行きはったらと電話番号なども紙に書いて教えて薦めてくれるのである。

 ある方はテレビでやってたと前置きして、北海道か沖縄に暫く行ったらいいよとアドバイスをいただいた。「北海道や沖縄には杉や檜がなくて、花粉症になれない」そうなのである。

 花粉症脱出ツアーも旅行業者が企画されており、中には奥さんと娘さんとで約1ヶ月間、沖縄に静養で滞在されるケースも紹介されていた様で、簡単に「ガリバー!沖縄に行ったら直るよ」と言われるのである。

 どうも根本的対処としては花粉が飛んでいない地域や国に行くのは結構なことだが、日常的生活や仕事をほうりださねばならないので、簡単には出来ないのである。

 今もブログ原稿をパソコンで打ちながら、鼻水をすすり、時折大きなくしゃみを繰り返して、のどの奥まで痛くなりテッシュで鼻をかんだり、タオルで鼻水を拭ったり、クシャミの連発に口鼻を同時に抑えて防御したりしながら、体中が熱を帯びてくるのを感じながら作業をしているのである。

 またむずむずと鼻の粘膜に痒みが伝わり、何とも言えぬ不快感と共に、次にはクシャミか鼻水が出て、そのうちに目が痒みに覆われていくのである。

 たまったもんではない。しかし今日は4月1日で多くの社会人や学生が新しいスタートをきる時期で、あるFMラジオ番組では、入社一年目の社員に対して非公式に先輩社員が言ってくれたこととして、あるDJが新人は「一に我慢、二に忍耐、三、四がなくて、五に辛抱」なんてことを言っていたのである。

 「花粉症」も同様で、我慢、忍耐、辛抱するしかないのである。暫くの間、この植物達の自然界で子孫を残すための精一杯の生物活動に対して、人間が自らしてきた緑や山林、自然の破壊と共に、自動車交通などの利便性を優先するが故に大気を汚染してきたツケが今、我々自身に還ってきているだけなのだろう。

 「花粉症」を通して、人類の愚かな近代の産業革命以降の歴史と、現代人の自然界の免疫性の欠落したひ弱な身体や鼻口のど耳などの機能低下を感じながら、我慢、忍耐、辛抱の1ヶ月余を送らねばならないと覚悟しているのである。

 若くてかわいい女性が「私、花粉症」と言った風情だと同情も買う場合があるが、50代のおっさんが、「僕、花粉症」と言っても似合わないためか、「あぁそうなの」でおしまいなのである。

 早く花粉がその目的である子孫繁栄のための手立てを全うして、罪深い人類の中の特に鼻、のど、耳などの耳鼻咽喉科系器官の弱い、我々への集中攻撃を止めて、静かに桜の花を愉しむ「春到来」を心待ちに待っている人々への最大イベントに邪魔をせず、花を添えてほしいと願っている。

 「花粉症」に泣くおじさんの独り言である。
 
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