ガリバー通信

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また「幼い命」が・・・!

2010年08月03日 | テレビマスコミ
 またとんでもない事件が発覚し、テレビや新聞での報道を通じて、若い母親が一歳と三歳のわが子を自宅に放置したまま、長期にわたって「ほったらかし」し、水も食事も与えられず、泣き叫びながら「ママ・・・」を呼んでいた「幼い子ども」の命は、餓死という形で亡くなったのである。

 この事件の23歳の若き母親は、どう考えても「母親」以前であり、人間としても全く非人間的な行動を繰り返していたとしか言いようがない。

 一分、一時間でも「幼い子ども」から目を離したりすることすら危険であり、親としての「子育て」の楽しさや喜びを、確かに一瞬は「いなければ・・・」と思うことがあっても、多くの母親は、不安と愛らしさの中で、子ども優先の生活を余儀なくされているのが当然なのだと思う。

 なのに、この逮捕された女性は、風俗店の職員として仕事をしていたのかどうか定かではないが、子どもたちを放棄して、水や食べ物を与えるという、「生きる」ための基本的なことすらしていなかったのである。

 その上、長期間の放置によって「泣き叫んだり」「水や食べ物」を求めていた幼い「命」は、「餓死」という最悪の結果を招いても、この女性は二人の遺体を放置して、「死体遺棄」事件として逮捕されているのである。

 「死体遺棄」ではなく、我が子への「殺人」事件そのものである。

 犬や猫、猿などの動物界においても、こんな愚かな事件は聞いたことがないほど、非人間的な全くやりきれない、言葉にならない寂しさ、悲しみがこみ上げてくる事件である。

 いつから、現代社会はこんなにも猿や犬にも劣る様な、愚劣かつ命を粗末にしても平気な「感性の無さ」を持つ傾向が強くなったのであろうか。

 経済優先、自分の享楽や「自分勝手」が優先される、「我が儘社会」にどっぷりと浸かった「悪病化」が進んで、今や子どもたちの中にも、「命」の重さや大切さを理解出来ない子供がいると思う。

 テレビゲームなどの中にいる「ヒーロー」や「主人公」たちは、「リセット」すれば蘇るし、かぶと虫や鍬形を飼っていても、「死んだら電池を替える」と、また動き出すと思っている場合があるのだという。

 大人社会においても、多くの電化製品やIC部品が埋め込まれたり、所謂「デジタル」化された製品や道具に慣らされていて、心の通った「思いやり」や「心遣い」が薄れてきていると思われる傾向が強くなってきていると言えよう。

 この事件の容疑者女性の非人間的感性は既に「犯罪」そのもので、我が子に対する「殺人」事件そのものだが、彼女の両親や友人、知人、関係者にとっても、同罪と言わざるを得ないほどの、無関心、無干渉が招いたとしか言いようのない、とんでもない殺人事件である。

 日本社会が経済優先で、人の優しさ、賢さ、命を大切にする思いやりやサポートを忘れた「自分勝手」だけが許される、全く信じがたい事態に突入しているのを、何とか抜け出すための人々の助け合い、声の掛け合い、おせっかいや親切が重要なのではないだろうか。


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