ガリバー通信

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みんな昔は子供だった

2005年03月04日 | テレビマスコミ
 「みんな昔は子供だった」は、関西テレビと共同テレビの制作で、毎週火曜日夜10時放送のテレビドラマである。

 あのNHK連続朝のテレビ小説「ちゅらさん」で初めて見た,国仲涼子の初々しくてキラキラ光るようなキャラに魅せられていたので、このドラマを見ることになった。

 アイ子先生とタッペイたちが通う「森の水小学校分校」や子供たちが暮らす「子どもの家宿泊センター」そして、龍平と親父である矢吹昭平の食堂が主な舞台となる、この山村留学物語は、最初からどうも脚本の甘さなのか、キャスティングのミスなのか、どうも不自然というか、しっくり来ないのである。

 脚本は、水橋文美江と永田優子となっており、私は全くの素人だし、お二人を知る由もないのだが、どうも甘い。失礼を省みず感じたままに言わしていただければ、この村の廃校寸前の学校に山村留学を企画して、学校の存続を期する校長や教頭、また担任として村にやってきた照崎アイ子先生、影ながら応援する高木ナツという女医さん、登場人物がどうも全てしっくりしないのである。

 東京方面からやってきたという想定の山村留学の男女5人の子ども達は、ひとりひとり個性的であり、タッペイと共になかなかの好演である。

 よーく考えてみると、一番のミスキャストが主演である、国仲涼子なのではないかと私は感じているのだ。ちゅらさんを演じた女優と言う先入観もあると思うが、田舎の山の中の学校に、あまりにも色白で繊細なお嬢さんと言った感じの女教師の存在が似合わないのだと思っている。

 何も国仲涼子の演技が下手とか言っているのではなく、このドラマの設定の中での女教師は、ちょっとどっこい男にも負けないよといった感じの気の強そうな女性、すなわちジーンズのつなぎをいつもはいている様なお姉さん的先生像が、一番ぴったりするのではないかと思うのである。

 私は、このドラマで描こうとされている、現代の教育に欠けていると思われるエッセンスや、取り巻きの人間関係やエピソードも脚本家のイメージは、決しておかしいとは思っていないし、何か忘れていた大切なものをたくさん思い出させてくれるドラマとして、ほんとうに見る大人たちにとっても、「自分も昔は子供だった」と気づかせてくれるドラマであってほしいと心から願いながら、文句を言っているのだ。

 TVドラマの脚本を離れても、現代の大人たち全てが昔は子供だったことは間違いないのだが、社会生活での多くの困難や仕事、家庭、人間関係の複雑さの中で、いつのまにか「大人」を演じることに慣れたり,ならされたりしているのではないかとふと思うことがある。

 私は地方自治体議員として3期目の当選をした頃、先輩の保守系議員が、私のそばにやって来て、私の肩に手をまわして、「なぁ、あんたも、そろそろ大人になりいな」と言われたことを思い出した。

 先輩議員は私に、こう言いたかったのだと思う。「君が僕等の仲間になったら、君の言ってることも市長や執行部に充分伝えて、実現できるようになるよ」と。

 しかし、私は間違いなく心の中で自問自答しながら「彼らの言う、大人にはなりたくないし、なってしまったら、自分らしくないし、そんな大人になるくらいなら、私は子どもの様でも結構だ」と思ったのである。

 ちょっとひねくれた様に感じられるかも知れないが、私は素直にそう思うのである。

 みんな昔は子供だった。私は今も子どものような感性と素直さで、人間関係、仕事、家庭、あらゆる社会的出来事や事象に対応したいと思う。決して大人を演じて、責任のなすりあいや他人のせいにするような、ずるい大人にだけはなりたくない。

 「みんな昔は子供だった」は、大人たちに昔の子供時代の素直さとするどい感性を思い出させ、現代を生きる上でも、大切な心、つまり人間としての優しさや思いやりなど、みんなが心に秘めてる想いをよみがえらすキーワードなのだ。

 ちょっとミスマッチなキャスティングや設定と脚本も、愉しく見るものにとっての、考えさせてくれるきっかけなのかもしれない。子ども達はほんとに輝いているし、名演技である。

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