「堪忍袋」ってやつを皆さんもお持ちではないかと思いますが、最近「堪忍袋の緒が切れた!」ってことはありませんか。
若い頃と違って誰もが年を取ると「堪忍袋」が大きくなるのか、ちょいやそっとで「緒が切れる」ことが少なくなっていると思われるのですが、大事なことやここぞと言う時には、たまには「堪忍袋の緒を切る」必要も感じるのですが、「まぁいいか」とか溜息混じりに「あぁあ・・・」と口には出さずに胸にシマってしまったり、諦めてしまったりしているのではないでしょうか。
13年前に山口県光市で起きた若い母親と生後11ヶ月の女児殺害事件で、当時18歳1ケ月の少年が容疑者として逮捕され、被害者の夫の本村さんが切々と訴え続けられてきた裁判ですが、山口地裁、広島高裁では被告は「無期懲役」とされてたのですが、最高裁が差し戻しの判決をし、広島高裁での再審理の結果、「死刑」が求刑され、昨日被告側の控訴によって再び最高裁での裁判、審理の結果、「残虐で非人間的」との見解から、「死刑」が確定したというものです。
もともと「堪忍袋」の語源としては、落語が出処とされていますが、「我慢できる限界」を示す例えとして、布袋さんが背負っている袋とも言われている「堪忍袋」なのですが、長屋に住む熊五郎夫婦が朝から夫婦喧嘩を繰り返しているのですが、隣から聞こえてくる声を聞いていると、ものすごい喧嘩に聞こえて、見かねた隣人が仲裁に入ろうと行くのだったが、熊さん本人はケロッとしていて、ビックリするのである。
熊さんは怒り心頭、腹立たしい時には「堪忍袋」に向かって、「やい、このアマッ、亭主を何だと思ってやがるんだッ」と怒鳴ったりして、気持ちを収めていたということから、これが大変評判となって、熊さんの家は門前市をなす大混雑となり、堪忍袋は、訪ねてきた多くの人たちの喧嘩の憤りで三日も経たない内にいっぱいとなって、これ以上吹き込んだら大爆発を起こしかねない状態となってしまったので、仕方がないので戸締りをして寝たとたん、「開けろ!、あけろ!」と大騒ぎとなったというのであった。
同じ長屋に住む酒乱の六が叫んでいたので、仕方なく戸を開けると、「仕事の後輩が若いのに生意気で、俺の仕事にケチをつけやがるから、ポカポカ殴ったら皆は俺ばかりを止めるので、こっちばかりが殴られ放題だった」と叫び、堪忍袋に我慢ならぬから「ぶちまけさせろ!」と要求し、「ダメだって、袋がいっぱいだから」と断ろうとしたが、「やかましい、貸せ!」とたくさんの怒りでいっぱいになっていた、袋の紐を引っ張ったら、中から喧嘩がいっぺんに飛び出してきたというのである。
三代目の三遊亭金馬師匠の十八番であったらしいが、江戸時代の「堪忍袋」は、処世術というよりも、功利的な意味合いで使われることが多かったようだが、現代人はどれほどの「堪忍袋」を持っているのだろうかと考えてしまった。
確かに肉親を殺められた遺族である本村さんの「怒り」は、到底堪忍袋如きには収まらないものだろうが、私たちの日常生活での「堪忍袋」は、使い様によっては、とっても必要な術かもしれないし、最近に始まったわけではないが、余にも理不尽かつ身勝手な「怒り」を突然の様に他人にぶつけて来る人が多くなった現代だと感じているので、本当に怒るべき相手かどうかを見極めるためにも、「堪忍袋」の自前のものを持ち歩く必要があるのではないかと感じている。
自転車で歩道を走る人、歩きタバコを平気で吸う人、犬の散歩で糞の始末をしない人、挨拶が出来ない人、優先座席に堂々と座る人、「すみません」と言えない人、自分の主張だけする人、人の話を聞けない人など、日常生活の中だけでなく国会や地方議員や行政マン、公務員にもたくさんいるのですよ。
「堪忍袋」の緒を切って「怒るべき時」には怒りましょう!
若い頃と違って誰もが年を取ると「堪忍袋」が大きくなるのか、ちょいやそっとで「緒が切れる」ことが少なくなっていると思われるのですが、大事なことやここぞと言う時には、たまには「堪忍袋の緒を切る」必要も感じるのですが、「まぁいいか」とか溜息混じりに「あぁあ・・・」と口には出さずに胸にシマってしまったり、諦めてしまったりしているのではないでしょうか。
13年前に山口県光市で起きた若い母親と生後11ヶ月の女児殺害事件で、当時18歳1ケ月の少年が容疑者として逮捕され、被害者の夫の本村さんが切々と訴え続けられてきた裁判ですが、山口地裁、広島高裁では被告は「無期懲役」とされてたのですが、最高裁が差し戻しの判決をし、広島高裁での再審理の結果、「死刑」が求刑され、昨日被告側の控訴によって再び最高裁での裁判、審理の結果、「残虐で非人間的」との見解から、「死刑」が確定したというものです。
もともと「堪忍袋」の語源としては、落語が出処とされていますが、「我慢できる限界」を示す例えとして、布袋さんが背負っている袋とも言われている「堪忍袋」なのですが、長屋に住む熊五郎夫婦が朝から夫婦喧嘩を繰り返しているのですが、隣から聞こえてくる声を聞いていると、ものすごい喧嘩に聞こえて、見かねた隣人が仲裁に入ろうと行くのだったが、熊さん本人はケロッとしていて、ビックリするのである。
熊さんは怒り心頭、腹立たしい時には「堪忍袋」に向かって、「やい、このアマッ、亭主を何だと思ってやがるんだッ」と怒鳴ったりして、気持ちを収めていたということから、これが大変評判となって、熊さんの家は門前市をなす大混雑となり、堪忍袋は、訪ねてきた多くの人たちの喧嘩の憤りで三日も経たない内にいっぱいとなって、これ以上吹き込んだら大爆発を起こしかねない状態となってしまったので、仕方がないので戸締りをして寝たとたん、「開けろ!、あけろ!」と大騒ぎとなったというのであった。
同じ長屋に住む酒乱の六が叫んでいたので、仕方なく戸を開けると、「仕事の後輩が若いのに生意気で、俺の仕事にケチをつけやがるから、ポカポカ殴ったら皆は俺ばかりを止めるので、こっちばかりが殴られ放題だった」と叫び、堪忍袋に我慢ならぬから「ぶちまけさせろ!」と要求し、「ダメだって、袋がいっぱいだから」と断ろうとしたが、「やかましい、貸せ!」とたくさんの怒りでいっぱいになっていた、袋の紐を引っ張ったら、中から喧嘩がいっぺんに飛び出してきたというのである。
三代目の三遊亭金馬師匠の十八番であったらしいが、江戸時代の「堪忍袋」は、処世術というよりも、功利的な意味合いで使われることが多かったようだが、現代人はどれほどの「堪忍袋」を持っているのだろうかと考えてしまった。
確かに肉親を殺められた遺族である本村さんの「怒り」は、到底堪忍袋如きには収まらないものだろうが、私たちの日常生活での「堪忍袋」は、使い様によっては、とっても必要な術かもしれないし、最近に始まったわけではないが、余にも理不尽かつ身勝手な「怒り」を突然の様に他人にぶつけて来る人が多くなった現代だと感じているので、本当に怒るべき相手かどうかを見極めるためにも、「堪忍袋」の自前のものを持ち歩く必要があるのではないかと感じている。
自転車で歩道を走る人、歩きタバコを平気で吸う人、犬の散歩で糞の始末をしない人、挨拶が出来ない人、優先座席に堂々と座る人、「すみません」と言えない人、自分の主張だけする人、人の話を聞けない人など、日常生活の中だけでなく国会や地方議員や行政マン、公務員にもたくさんいるのですよ。
「堪忍袋」の緒を切って「怒るべき時」には怒りましょう!