昨日の国会予算委員会で、例の沖縄宜野湾市の市長選を前にして、沖縄防衛局の真鍋氏が呼ばれて、事前の「講話」をしたという問題が取り上げられて、下地国民新党幹事長が「自民党時代からやっていたことだから、その様に言えばいい。」と真鍋氏に迫っていたのが、印象的であったのだが、まるで「ヤラセ」があったかなかったかを質疑しても埒が明かないのであった。
今回の宜野湾市長選挙は昨日告示されて、元宜野湾市長で前回の知事選に立候補し落選した伊波候補と前県会議員で自民党、公明党などが推薦する候補との一騎打ちで選挙戦が一週間続いているのだが、いつもの様に沖縄防衛局では恒例の如く、普天間基地の移設問題で政府の方針とそりれに反する案とでもめている最中であるので、少しでも有利に推薦候補が当選することを願ってか否か、定かではないが、例の「選挙には行きましょう!」とする講話があったというのである。
またかっと言った感じであり、ちっとも驚きはしないのだが、普天間基地の移転先として日米合意とされている辺野古地域のある名護市の市長選挙でも、同様な事前の説明会?が開催されていたらしいし、沖縄県各地で自治体の首長を決める選挙の折だけかもしれないが、通常業務の如く、同様に特定地域内の防衛省関連施設や公務員の家族をも含めた有権者を対象とした講話がなされていたらしい。
つまり、真鍋氏に限らず沖縄に置かれた防衛省関連の施設、事務所に勤務する国家公務員とその家族に対する、国側にとって望ましいとされる候補への直接的な投票依頼には至らないとしても、説明や選挙への参加を促す中で、いずれの候補者が望ましいかを悟らせるというか、暗に感じてもらうための講話だったに違いないのである。
今日のニュースで、昨秋に行われた大阪市長選を巡って、明らかに前市長の平松氏の当選を期して、交通局関連の組合組織で、内部的に平松陣営への協力を求めるための調査と依頼がなされていて、もし協力が得られなければ「不利益が生じる」こともあると脅迫、もしくは恫喝しているという文書が内部告発で耀に出た。
いずれも「氷山の一角」であろうと思われるのだが、九州電力の原発を巡る「やらせメール」や公聴会での発言の数々もそうだし、だいぶ以前に問題となった国民に重要課題についての説明をし意見を聞くという建前の「タウンミィーティング」とやらの大半に、事前に準備された政府や国にとって都合の良い意見や、賛成を述べる人物を要請し出席させていたという問題も、同じ様な体質の行政が、いつもやる手である。
昔の映画だが、黒澤明監督で志村喬が主演した「生きる」という白黒映画で、ある役所の市民課の課長が長年の懸案だった公園建設に、自分の胃がんの末期を悟ってからまい進し、完成させたその公園で死をとげるというストーリーであるが、その映画で主人公の通夜の席で、同僚たち地方公務員たちの話に、役所の人間は「何もせんことが仕事や」というセリフが出てくるのだが、まさに「何もしないか、するとしたらヤラセだ」と言わざるを得ないほどの状況もあり、役所の人間は「人間のクズだ」との自問自答さえ出ていたのである。
決して全ての公務員が「何もしない」とか「人間のクズ」だとか言っているのではないが、役所における常識としてまかり通っている仕事や現実のやり方などが、あまりにも事態錯誤であったり、国民感情や常識とはかけ離れた実態すである場合が、今でも多く存在しているという事実は、私も地方議員として地元の役所の実態を長年見て来て感じているので、やむを得ず言わざるを得ない面があるのである。
何でも過去のやり方を踏襲し、前例主義とまで言われている役所の掟の様なやり方の数々にメスを入れなければ、そして役所で働く公務員の人たちが、自らの仕事の目的と主権者である有権者、住民の視線と思いに立たないとイケナイノデアル。
今回の宜野湾市長選挙は昨日告示されて、元宜野湾市長で前回の知事選に立候補し落選した伊波候補と前県会議員で自民党、公明党などが推薦する候補との一騎打ちで選挙戦が一週間続いているのだが、いつもの様に沖縄防衛局では恒例の如く、普天間基地の移設問題で政府の方針とそりれに反する案とでもめている最中であるので、少しでも有利に推薦候補が当選することを願ってか否か、定かではないが、例の「選挙には行きましょう!」とする講話があったというのである。
またかっと言った感じであり、ちっとも驚きはしないのだが、普天間基地の移転先として日米合意とされている辺野古地域のある名護市の市長選挙でも、同様な事前の説明会?が開催されていたらしいし、沖縄県各地で自治体の首長を決める選挙の折だけかもしれないが、通常業務の如く、同様に特定地域内の防衛省関連施設や公務員の家族をも含めた有権者を対象とした講話がなされていたらしい。
つまり、真鍋氏に限らず沖縄に置かれた防衛省関連の施設、事務所に勤務する国家公務員とその家族に対する、国側にとって望ましいとされる候補への直接的な投票依頼には至らないとしても、説明や選挙への参加を促す中で、いずれの候補者が望ましいかを悟らせるというか、暗に感じてもらうための講話だったに違いないのである。
今日のニュースで、昨秋に行われた大阪市長選を巡って、明らかに前市長の平松氏の当選を期して、交通局関連の組合組織で、内部的に平松陣営への協力を求めるための調査と依頼がなされていて、もし協力が得られなければ「不利益が生じる」こともあると脅迫、もしくは恫喝しているという文書が内部告発で耀に出た。
いずれも「氷山の一角」であろうと思われるのだが、九州電力の原発を巡る「やらせメール」や公聴会での発言の数々もそうだし、だいぶ以前に問題となった国民に重要課題についての説明をし意見を聞くという建前の「タウンミィーティング」とやらの大半に、事前に準備された政府や国にとって都合の良い意見や、賛成を述べる人物を要請し出席させていたという問題も、同じ様な体質の行政が、いつもやる手である。
昔の映画だが、黒澤明監督で志村喬が主演した「生きる」という白黒映画で、ある役所の市民課の課長が長年の懸案だった公園建設に、自分の胃がんの末期を悟ってからまい進し、完成させたその公園で死をとげるというストーリーであるが、その映画で主人公の通夜の席で、同僚たち地方公務員たちの話に、役所の人間は「何もせんことが仕事や」というセリフが出てくるのだが、まさに「何もしないか、するとしたらヤラセだ」と言わざるを得ないほどの状況もあり、役所の人間は「人間のクズだ」との自問自答さえ出ていたのである。
決して全ての公務員が「何もしない」とか「人間のクズ」だとか言っているのではないが、役所における常識としてまかり通っている仕事や現実のやり方などが、あまりにも事態錯誤であったり、国民感情や常識とはかけ離れた実態すである場合が、今でも多く存在しているという事実は、私も地方議員として地元の役所の実態を長年見て来て感じているので、やむを得ず言わざるを得ない面があるのである。
何でも過去のやり方を踏襲し、前例主義とまで言われている役所の掟の様なやり方の数々にメスを入れなければ、そして役所で働く公務員の人たちが、自らの仕事の目的と主権者である有権者、住民の視線と思いに立たないとイケナイノデアル。