本日の毎日新聞朝刊に、昨年2011年の年間賞の発表があり、グランプリ、準グランプリ、特選、準特選とあるのだが、当然と言えばそれまでなのだが、ほとんどの作品が東日本大震災、しかも震災後の大津波が襲った様子を、たまたま撮影された被災地で被災された方々のものとなっていた。
グランプリ、毎日新聞社賞を受賞されたのは、現在は岩手県盛岡市在住の大型トラックの運転手である澤田幸三さん52歳で、大型保冷車で東京から生鮮食料品を運んだ夜勤明けの昨年3月11日、当時は釜石市にあった自宅で東日本大震災に遭遇し、手元にあったカメラバッグを手に、隣人の老夫婦を連れて、港湾事務所に避難し、屋上や監視塔から一眼レフのシャッターを押し続け、記録した写真の枚数は総計で233カットあったという。
ものすごい音を上げて襲い掛かる津波、逃げようとする自動車、藻屑の様に流される家々、生々しい連続写真は、毎日新聞に掲載され、今回年間グランプリを受賞したというものだが、残念ながら受賞された5連続ショットの写真は、このブログには掲載できなかつたが、新聞紙上で観る限り、当日「午後3時21分、湾口防波堤を乗り越え、釜石市港町になだれ込む津波」から始まる、大津波の被害の実態を順に撮影されたドキュメンタリー写真である。
彼は流される家の窓に人影を見た時は、シャッターを押せず、へたり込んだと言われているのだが、目の前で実際に展開する大津波の被害の一部始終を全て冷静に撮影されていたわけではなく、とんでもない厳しい心境の中、現実を出来るだけ直視して記録しておく必要を感じて、シャッターを押されたのだろうと推察できるのである。
同じ毎日新聞の「ひと」の欄でご本人がインタビューを受けられ紹介されているのだが、撮影された当日の夜、すなわち大地震と大津波が発生した日の深夜、停電していた町の上空に広がる満天の星を見たと仰っていて、翌朝は光の中に浮かび上がる瓦礫の海で、カメラの「ファインダー越しの風景は、音や臭いとともに、今も脳裏に染み付いて離れません」と語っておられる。
その後、ご本人は避難所で便所掃除や炊き出しをさりげなく買って出る人柄を、避難所にいた仲間たちの記憶に残っているというのだが、昨年の6月中旬には盛岡市の営業所勤務となったために、避難所を離れることとなり、引越しの日に自宅のあった家の跡地に生き残った「アヤメ」を掘り起こして、内陸に住むお姉さんの家に移植したといい、「根付いたみたいで、咲くのが楽しみ」と語り、眼差しは穏やかだったと記されている。
最近は、道端の花や山の彩をカメラに収め、「この頃、自然の営みが、一層いとおしく思えるようになりました。家や町並みは消えても、故郷には掛け替えのない大地と海と仲間がいます」と語っておられ、釜石市の元居た営業所が再開するのは数年後になる予定だが、「そのあかつきには、また釜石に戻りたい」と仰っている様です。
澤田幸三さんは、釜石市生まれの52歳で、県立釜石南高校卒業後、運送会社に勤務し長距離トラックに乗る生活をされ続けて来たらしいが、趣味が写真撮影と音楽鑑賞という方で、とても穏やかな顔立ちのメガネをかけた男である。
いずれにしても、この「あなたのニュース写真」のグランプリ受賞だけでなく、昨年の3/11の大地震と大津波と福島原発事故が多くの人たちの人生に大きなターニングポイントを与えたことは事実であり、逆境であれ、悲しさであれ、転機であれ、自分の人生に訪れた予期せぬ出来事だったとしても、受け止めて前を向いて生きて行くことしか道はないのだから、改めて受賞した写真を見ながら、家や建物、町の復興だけでなく、被災された多くの方々の心と人生の復興を改めて祈る気持ちでいっぱいである。
グランプリ、毎日新聞社賞を受賞されたのは、現在は岩手県盛岡市在住の大型トラックの運転手である澤田幸三さん52歳で、大型保冷車で東京から生鮮食料品を運んだ夜勤明けの昨年3月11日、当時は釜石市にあった自宅で東日本大震災に遭遇し、手元にあったカメラバッグを手に、隣人の老夫婦を連れて、港湾事務所に避難し、屋上や監視塔から一眼レフのシャッターを押し続け、記録した写真の枚数は総計で233カットあったという。
ものすごい音を上げて襲い掛かる津波、逃げようとする自動車、藻屑の様に流される家々、生々しい連続写真は、毎日新聞に掲載され、今回年間グランプリを受賞したというものだが、残念ながら受賞された5連続ショットの写真は、このブログには掲載できなかつたが、新聞紙上で観る限り、当日「午後3時21分、湾口防波堤を乗り越え、釜石市港町になだれ込む津波」から始まる、大津波の被害の実態を順に撮影されたドキュメンタリー写真である。
彼は流される家の窓に人影を見た時は、シャッターを押せず、へたり込んだと言われているのだが、目の前で実際に展開する大津波の被害の一部始終を全て冷静に撮影されていたわけではなく、とんでもない厳しい心境の中、現実を出来るだけ直視して記録しておく必要を感じて、シャッターを押されたのだろうと推察できるのである。
同じ毎日新聞の「ひと」の欄でご本人がインタビューを受けられ紹介されているのだが、撮影された当日の夜、すなわち大地震と大津波が発生した日の深夜、停電していた町の上空に広がる満天の星を見たと仰っていて、翌朝は光の中に浮かび上がる瓦礫の海で、カメラの「ファインダー越しの風景は、音や臭いとともに、今も脳裏に染み付いて離れません」と語っておられる。
その後、ご本人は避難所で便所掃除や炊き出しをさりげなく買って出る人柄を、避難所にいた仲間たちの記憶に残っているというのだが、昨年の6月中旬には盛岡市の営業所勤務となったために、避難所を離れることとなり、引越しの日に自宅のあった家の跡地に生き残った「アヤメ」を掘り起こして、内陸に住むお姉さんの家に移植したといい、「根付いたみたいで、咲くのが楽しみ」と語り、眼差しは穏やかだったと記されている。
最近は、道端の花や山の彩をカメラに収め、「この頃、自然の営みが、一層いとおしく思えるようになりました。家や町並みは消えても、故郷には掛け替えのない大地と海と仲間がいます」と語っておられ、釜石市の元居た営業所が再開するのは数年後になる予定だが、「そのあかつきには、また釜石に戻りたい」と仰っている様です。
澤田幸三さんは、釜石市生まれの52歳で、県立釜石南高校卒業後、運送会社に勤務し長距離トラックに乗る生活をされ続けて来たらしいが、趣味が写真撮影と音楽鑑賞という方で、とても穏やかな顔立ちのメガネをかけた男である。
いずれにしても、この「あなたのニュース写真」のグランプリ受賞だけでなく、昨年の3/11の大地震と大津波と福島原発事故が多くの人たちの人生に大きなターニングポイントを与えたことは事実であり、逆境であれ、悲しさであれ、転機であれ、自分の人生に訪れた予期せぬ出来事だったとしても、受け止めて前を向いて生きて行くことしか道はないのだから、改めて受賞した写真を見ながら、家や建物、町の復興だけでなく、被災された多くの方々の心と人生の復興を改めて祈る気持ちでいっぱいである。