パソコンを購入し自分自身でPCメールやインターネットを利用する様になったのは、たかだか10数年前にすぎない。
私の場合は1995年頃に友人の薦めで、はじめてノートパソコンを購入し、インターネットプロバイダーに加入し、自分自身のパソコンメールアドレスを取得して、通信を行い情報をゲットし出したのだが、まだまだその頃は文書作成や記録は何故かワープロの使い勝手が良く、パソコンとワープロの両方を使っていた。
21世紀に入って、パソコンも3代目から4代目と模様替えし、2004年からは自らのブログを「ガリバー通信」として、いろんなテーマで書き綴り、インターネット上で誰もが見れる自分の意見や感想を、時には日記風に時には小論文風にとキーをたたいてきた。
限られた友人、知人とのメール交信だけでは飽き足らない部分があったためか、ソーシャル・ネットワーク・サービスの一つであるMIXIに参加し、より多くの知人、友人、または一度も会ったことのないインターネット上だけの知人との情報交換やメッセージのやり取りも始まった。
昨年、北アフリカから中東へと「アラブの春」と称された、今までの長期の独裁政権に反対する民衆たちの抵抗と現政権打倒の嵐が勢いづき、チュニジア、リビア、エジプト、シリアと続く民主化運動が吹きぬけたが、その背景に大きな役割を果たしたといわれているのが「フェイス・ブック」であった。
私も、この「フェイス・ブック」へのアクセスをし、今では毎日の様に記している私のブログ「ガリバー通信」も、このフェイス・ブックを通じても、友人、知人たちとのネットワーク上で読まれたり知っていただいたりしている現状に至っている。
この地球上の世界で、今や6億人を超すといわれるユーザーが、「フェイス・ブック」に参加し、世界中で多種多様な情報と交信が自由にされているのだが、この「Facebook」創設のきっかけから本格的な世界的ネットワークへと成長して行く過程を描いた映画「ソーシャル・ネットワーク」が昨年公開されていたのだが、その時はまだ私自身は「フェイス・ブック」をあまり良く知らなかったこともあって、約一年経った今、DVDをレンタルして観たのである。
2004年にアメリカ合衆国のハーバード大学の学生だった、マーク・ザッカーバーグが、彼女との別れをきっかけに酔った勢いで、女子学生を比べるというサイトを作り、ブログで彼女を誹謗するという愚行を行ったことが、大変なアクセスと倫理的にも問題となったのだが、そのプログラミング力に魅せられたエドゥアル・サベリンらが共同創設者として名乗りをあげ、最初はアメリカ国内の大学間のネットワークだったのだが、いつの間にかイギリスやヨーロッパにも広がり、あっと言う間に世界一のSNSとなったのである。
2006年9月26日以降は一般にも開放され、2008年からは日本語版も公開され、13歳以上なら無料で参加でき、実名登録制を基本としていて、個人情報の登録も必要とされているが、急速にユーザー数が増加して、2010年にはGoogleを抜くサイトアクセス数に達し、2011年9月に世界中の8億人のユーザーを持つ世界最大のSNSとなったとされている。
しかし、映画で描かれている創設時のきっかけは、女子学生たちの身分証明書を勝手にハッキングし、インターネット上に無断公開し、彼女たちの顔を比べて勝ち抜き投票させるという「フェイスマッシュ」というゲームを考案したことから、大学内で問題となり、彼は半年間の保護観察処分を受けるというスタートだったのが、学生たちの大学内での登録制による交流を図るための「フェイス・ブック」のサービスへと転化させて、今や世界中の誰もが利用できる大きなネットワークサービスに発展させ、世界で一番若い億万長者となったとされている。
私の場合は1995年頃に友人の薦めで、はじめてノートパソコンを購入し、インターネットプロバイダーに加入し、自分自身のパソコンメールアドレスを取得して、通信を行い情報をゲットし出したのだが、まだまだその頃は文書作成や記録は何故かワープロの使い勝手が良く、パソコンとワープロの両方を使っていた。
21世紀に入って、パソコンも3代目から4代目と模様替えし、2004年からは自らのブログを「ガリバー通信」として、いろんなテーマで書き綴り、インターネット上で誰もが見れる自分の意見や感想を、時には日記風に時には小論文風にとキーをたたいてきた。
限られた友人、知人とのメール交信だけでは飽き足らない部分があったためか、ソーシャル・ネットワーク・サービスの一つであるMIXIに参加し、より多くの知人、友人、または一度も会ったことのないインターネット上だけの知人との情報交換やメッセージのやり取りも始まった。
昨年、北アフリカから中東へと「アラブの春」と称された、今までの長期の独裁政権に反対する民衆たちの抵抗と現政権打倒の嵐が勢いづき、チュニジア、リビア、エジプト、シリアと続く民主化運動が吹きぬけたが、その背景に大きな役割を果たしたといわれているのが「フェイス・ブック」であった。
私も、この「フェイス・ブック」へのアクセスをし、今では毎日の様に記している私のブログ「ガリバー通信」も、このフェイス・ブックを通じても、友人、知人たちとのネットワーク上で読まれたり知っていただいたりしている現状に至っている。
この地球上の世界で、今や6億人を超すといわれるユーザーが、「フェイス・ブック」に参加し、世界中で多種多様な情報と交信が自由にされているのだが、この「Facebook」創設のきっかけから本格的な世界的ネットワークへと成長して行く過程を描いた映画「ソーシャル・ネットワーク」が昨年公開されていたのだが、その時はまだ私自身は「フェイス・ブック」をあまり良く知らなかったこともあって、約一年経った今、DVDをレンタルして観たのである。
2004年にアメリカ合衆国のハーバード大学の学生だった、マーク・ザッカーバーグが、彼女との別れをきっかけに酔った勢いで、女子学生を比べるというサイトを作り、ブログで彼女を誹謗するという愚行を行ったことが、大変なアクセスと倫理的にも問題となったのだが、そのプログラミング力に魅せられたエドゥアル・サベリンらが共同創設者として名乗りをあげ、最初はアメリカ国内の大学間のネットワークだったのだが、いつの間にかイギリスやヨーロッパにも広がり、あっと言う間に世界一のSNSとなったのである。
2006年9月26日以降は一般にも開放され、2008年からは日本語版も公開され、13歳以上なら無料で参加でき、実名登録制を基本としていて、個人情報の登録も必要とされているが、急速にユーザー数が増加して、2010年にはGoogleを抜くサイトアクセス数に達し、2011年9月に世界中の8億人のユーザーを持つ世界最大のSNSとなったとされている。
しかし、映画で描かれている創設時のきっかけは、女子学生たちの身分証明書を勝手にハッキングし、インターネット上に無断公開し、彼女たちの顔を比べて勝ち抜き投票させるという「フェイスマッシュ」というゲームを考案したことから、大学内で問題となり、彼は半年間の保護観察処分を受けるというスタートだったのが、学生たちの大学内での登録制による交流を図るための「フェイス・ブック」のサービスへと転化させて、今や世界中の誰もが利用できる大きなネットワークサービスに発展させ、世界で一番若い億万長者となったとされている。