ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「ライバル」っていいな。

2009年07月20日 | テレビマスコミ
 今晩の「スポーツ界のライバル特集」を観た。

 シンクロナイトスイミングの「小谷実可子」と「奥野史子」のバルセロナオリンピックでのデュエット選考での熾烈なライバル争いは意外だった。

 日本のシンクロのソロとして世界に誇る女王として君臨していた「小谷実可子」さんに憧れて五歳年下の「奥野史子」は、練習を重ねて少しでも「小谷さんに追いつきたい」と思っていたという。

 その小谷が突如24歳の時に「休養宣言」をして一線から退いてしまい、目標を失いかけていた奥野は、日本の「ポスト小谷」の有力な選手として成長した。

 バルセロナ五輪を前にして、再び小谷が現役に復帰し、ソロ選手としての代表には奥野が選出されたが、デュエット競技の選考ではソロでの得点の高い順で、奥野と小谷が組むのが一番だったけれど、二人のコンビは考えられず、高山と奥野か、高山と小谷という選択となっていた。

 小谷は予選では補欠という形だったのだが、決勝を前にして再び選考を行うということになって、この二人の高山選手とのコンビで、どちらがいいかを競うこととなり、決勝の二時間前に漸く「奥野、高山コンビ」で決着し、銅メダルを獲得した。

 しかし、小谷実可子のショックは相当で、「私はもうシンクロ界ではいらないのだ」と悟らせて引退となったのであった。

 あれから17年が経って、小谷も奥野も良き伴侶を得て二児のママになっている今、テレビの企画で会うことになったのである。

 二人はお互いの姿を認めて笑顔で、その当時の心の葛藤や経緯を語り合い、とても嬉しそうであった。

 奥野は、「この蟠りを抱いたまま人生を終えるのだろうか」と思っていたと言い、小谷も「フーちゃんがいなければ」と思っていた心境を素直に語っていた。

 プロ野球、読売巨人軍のエースとして名を馳せた「江川卓」と、「西本聖」のライバル意識も、相当のものだったようである。

 しかし、お互いが五十代半ばになった今、笑顔で「お互いをライバル」として活躍できた喜びを語っている。

 サッカー日本代表の「中田英寿」と野人「岡野雅行」は、今「ヒデがいなければ自分の人生は変わっていた」と岡野に言わせる、日本が最初にワールドカップ出場を決めた「イラン戦」での決勝ゴールにまつわる思い出は強烈であった。

 スポーツ界での「ライバル」は必要で、競い合っている時は「相手の存在が憎い」時もあるだろうが、やはり長い「ライバル意識」を持てることは、互いに励みにもなり強いモチベーション維持の原動力でもある。

 1970年代の「阪神vs巨人戦」では、世界のホームラン王である、「王貞治」と年間400奪三振の「江夏豊」のライバル心むき出しの名勝負が大変見ごたえがあり印象的であった。

 人生に良きライバルがいることは、とても元気をもらえて、常に「負けない!」という、強い意志を持たせてくれるので、素晴らしいものである。
コメント (1)
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