まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

語ること、伝えること、共に学んだことの随想    2011 11 再

2021-05-04 13:10:22 | Weblog

中華民国 台北 中山記念小学校



たしか数年前の9月23日だった
準備中だったliveハウスの開店前日、つくば学園都市にある三菱グループの研修所において中国の金銭哲学についの講題でおこなった。

その後は、当時問題となっていた外国人犯罪の増加に伴い警視庁の捜査員70名に、アジアの普遍な人情について語ったことと、登校拒否学生のための専門学校で父兄のための講座があった。

筑波では対象は三菱グループの中堅幹部だったが、官制学歴の権威のようなものを背景に職掌を得て、食分を約束されている若者ではあったが、はじめて聴く珍奇な学論に明け方まで論じた記憶がある。

警視庁は当時頻発した警察官の不祥事、とくに下町のある所轄では覚醒剤を罪も無い人の車に忍び込ませ、逮捕した事件が起きた直後であり、またキャリア組と称される上級職の汚職まがいの行動に、誠実な若い警察官の怨嗟が鬱積した時期でもあった。
担当幹部からたっての懇嘱があったのだか、遠慮のない直言を語る小生を選択した意図を忖度すれば惰性に陥った組織の覚醒を願ったともいえる依頼であった。

父兄には戦後婦女子の教育の有様と、少年教育の実体験をまじえて語った。
また、母親の春を思う期(思春期)について、子供と母親の本能的衝突を、自分探しを例に、『ほんとうに我が子が好きですか』と冒頭に呼びかけた特異な講義だった。

何度か茅ヶ崎の松下政経塾でも拙話をした。特殊な学処だった。

台湾の縁で、愛知淑徳大学の美麗な生徒と、生まれた初めてのコンパを共同の伴支局長と参加したが、ただの飲み会だった。某大学の依頼で留学生に語った。語ろうとおもった教授案も、場面を観察して急遽内容を変更した。

内容は文部省の官制学カリキュラムには皆無な「人間考学」だ。
6.3.3.4が在籍学校歴なら「学歴」はそこから始まる。しかも数値評価は無い。

だから・・・、『学校は落第してもいい、人生は落第しないように・・』と。

その後、教職課程の生徒に語る機会が度々あった









『生徒を好きでたまらない,そんな教師になってほしい』

孔子も「好きで楽しくならなければ覚えない」という。

『念願かなって好きな異性とデートに行く前の晩のことを考えたらいい、寝られなくなるほど頭が動くが逆は動かない』

『頭がいいということは部分の探求や情報の集積ではない、それを活かす直感と行動への突破力だ。止めているのは己の我欲だ』


それは自らを語ることだった。 噺(ハナシ)ではなかった。
教えることではなかった。思い出して欲しい、一緒に考えよう、そんな場面だった。
その内容は先哲、先覚者の言葉繋ぎだった。

そして生徒たちは真剣に聴いてくれた。部外教授も聴講してペンを走らせていた。
いま思うに自分自身がリセットされたと実感している。
そして、新しい息吹をスイッチオンされたようだ。

それは、20年前にアジアを跳梁した当時の自分を蘇えさせることでもあった。
いや、そうでもなければ生徒の輝きは得られなかったろう。







終了後、キャンパスの小道を追いかけてきたマレーシアの学生がいた。かれは一番前で真剣に聞いてくれた留学生だった。

『先生、お話された無財の力はすばらしい言葉ですね』

正直、小生は彼の真剣な瞳に自らの感涙を抑えて、こう応えた。

『アジアには無財の力が溢れている。軍事や経済ではない。君たちの国の自然にも、お父さんやお母さんにも、一生、同じところに留まって働く人たちにも、微笑と優しさと、思いやる勇気がある。これは地位やお金は要らない本当の力なんだよ』

それは自らに自問する言葉であり、アジアの座標とすべき普遍な人情でもあった。
教えられたのは自分だったようだ。

そして清々しい無償の行への更なる促しだった

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