哲学なき政治
道徳なきビジネス
労働なき富
人格なき道徳
人間性なき科学
倫理なき快楽
犠牲なき宗教
識者はかってマハトマガンジーが指摘した資本主義の七つの大罪に達していると。
東京工業大学の芳賀教授は「いまこそ深層の国力を蓄えるとき」副題に「高学歴無教養社会の反省を踏まえて」として説明している
「一般的に国力といえば経済力や軍事力を指摘する。物的、外形的にとらえた国の力、これを表層の国力といおう。次にメンタルの面で見た民度、すなわち国民の頭脳の力で国力を測る。・・」
「たとえば学力テストに表れる知識の量や水準。種々分野・レベルで人々が所有する情報量や技術力など、これを浅層の国力とする」
「表層も浅層も統計数学に示せる量の次元で、国際比較も行なわれ政策的努力の対象にも出来るものだ」
「ところが、もっと深層に数量化できない国力がある。モラルの感覚、道徳水準、理非曲直の判断力、みずみずしい感性、ふくよかな情操、精神の安定度など、国民の質である。」
「深く静かな国力というものは、人的資源などの概念には収まらない、まさに人の力の内奥の力であった。学問の広い知見、諸芸のシュウレン風流のたしなみなどによって自ずと備わった心の持ち方の豊かさ・・それが教養であり、その総和が深層の国力になるのだ」
「二十世紀の後半の日本人はその重要さを亡失した。経済力の驕り、生活の便利さを無限に求め、高学歴化に酔い、前のめりに暴走した。浅層の学力・偏差値などは問うが、深層の国力に思いをいたすことなく、貧相な《高学歴無教養社会》を生んでしまった。心の錘(オモリ)を失った儚い漂流社会の出現である」
平成12年(2000)12月31日の産経正論欄より
現代日本における最高の教養人の正鵠を得た指針である。
「経師遭いやすく、人師遇い難し」
(知識の説明をする教師は数多いるが、人の師となる教師はめったにいない)
筆者は手立ても判らずも、切に面会を希望している。
しかし、未だ其の機を得ることはない。
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