遺骨収集のために滑走路を新設するという。高官は「十年で300億、年間では10億で済む」という。予算はともかくその遺骨は現在の滑走路の下に相当数存在すると推定している。だから新滑走路なのだという。
また現地での戦死者2万2千人、今までの収集は1万柱、残りのうち2~3千は滑走路の敷地に残置されていると書かれている。
もしかしたら・・・、滑走路の下にはないかもしれない・・・・
以前、久坂総三氏著作の(当ブログ リンドバーグ・・)に硫黄島の遺骨について記している内容を引用する。
≪日本軍の戦死者の首を切断し、浜においておけば蟹が食べて頭骸骨だけが残る。それにペンキを塗ってジープにぶら下げたり、ランプ代りに加工したりして帰国の際に土産にした。≫
≪銃床で歯を叩き割り金歯を採取したり、陰茎を切って口に押しこんだりした。骨を加工してペーパーナイフをつくりルーズベルト大統領にプレゼントした。大統領はそれを愛用していた。≫
土壇場の戦闘は過酷な状況がある。日露の旅順攻略戦ではロシア兵の指が日本兵の目に刺され、日本兵はロシア兵の首に噛みつき双方絶命している。あるいは中国では孔子の弟子子路は戦闘のあと敵軍に喰われている。彼の国ではごく普通に行われた人食である。
骨も人肉も戦利品である。もちろん男は奴隷、女は凌辱が当たり前な戦果だった。
ただ、昔のことだがその凄惨な旅順攻略が終わり司令官の乃木将軍は敵軍司令官ステッセルの帯剣を認め旅順会戦の終結を話し合っている。呼応したのか、今まで戦っていた両軍兵士たちはお互いの健闘を讃え合い、なかには肩を組んで旅順の町にくりだした者もいた。
硫黄島の遺骨の数は幾つかは戦利品として米国の土産物として書斎やリビングにランプとして飾られている。ルーズベルト愛用のペーパーナイフはどうしたのだろうか。
遺骨収集なら返却を促したらいい。それを故国に戻してこそ戦争云々ではなく、人の行為の実態として考えるよすがとなるだろう。
西洋文明の使者は大航海と称して、未開で野蛮と考えたアジアやアフリカ植民地を求め、そして愚民化政策のもと収奪を数100年繰り返した。
オランダの国家予算の多くはインドネシアからの搾取だった。学校やダムや道路も作らなかった。帰るときには悔し紛れにチモールを割った。フランスはベトナムを南北に分け、イギリスはインドを分割したりイラクの南に線をひきクエ―トを割った。それぞれが今もって宗教や民族で争って和することがない。つまり分割統治で影響力を残した。
戦国時代の日本人は首をはね、耳や鼻を削ぎ、磔にした。女は凌辱もした。しかし彼らに倣った西洋文明は彼らの言う未開と野蛮な印象を変えた。またフランスに倣って自由と人権と平等、そして民主のたっぷり入った啓蒙教育制度を取り入れ、法律はドイツに倣った。完全に噛み砕かれ、こなれてはいないが装いだけは整えた。生まれながらの敵ではない若者同士が複雑な事情で戦闘をおこない、土壇場の勇敢な姿を表す兵士は、使命に従順な民である。 土壇場での食糧枯渇は臨場を味わったものでしか解らない。友の肉を食べ,大腿骨は小動物を叩く道具になり、頭がい骨は器になる知恵も生まれるだろう。
しかし、味付けされ饗宴の添えものにしたり、骨を玩具や趣味の生活資材にすることはしない。まして遺骨を毀損するなどは狂気の沙汰ではないか。それこそ野蛮で未開の証だ。宣教師は「造物主がつくった最高なものは人間だ」と説く。
邦人は応えて問う「可愛い馬や牛も同じではないのですか」と。
感謝祭は七面鳥を喰う。社稷際は総ての動植物に人間が首を垂れる日本との違いだ。
たとえペンキに彩られた頭蓋骨でも、骨の加工物でもいい。
ことさら記念館をつくってあげつらうことはしない。
滑走路の増設に詭弁は要らない。
返してくださいといえばいい。
文句は言うまい。アリガトウというだけだ。
西洋文明ではない、それが日本文明なのだ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます