まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

復、恩讐を超えアジアに良縁が甦ることを期して  2008 11再

2019-11-10 11:15:06 | Weblog

 

時を経て、復(ふたた)恩讐を乗り越えたとき、正邪を問う声は途方も無い謀や力を眼前にして協調と連帯の声に変わるだろう。

内患や外圧の煩いごとに表れるであろう、世俗の、゛面子゛とか、゛やせ我慢゛の世界から、俯瞰した歴史を眺め観る余裕に変化し、共に歴史の先人を懐かしむこと、それが共生する地域の安寧を図る唯一の情(こころ)であろう。

一方の文明観に偏して歴史の栄枯盛衰にある戦禍の因を論うことを先人は望んではいない。なぜなら「哀悼」はそれを超えて己に問いかける事でもあるからだ。




以下は11月15日の章だが、曖昧な内容ゆえ改めて参考として拙文を提示したい

《内容については紙面が少なかったせいか、尽くせない忸怩たるものがあろうが、筆者に寄託された未公開資料をなぞっても、概要は理解できる。その上で理を立てたいことがある。》

これは田母神氏の収集知識を問うものではない。一方の切り口からみた未公開資料の紹介抜粋である。



『世界を征服するにはアジアを征服するにあり。 アジアを征服するには支那を征服するにあり。支那を征服するには満州を征服するにあり』
この機密文書にある一章は、日本の政友会田中義一首相当時の参謀総長 金谷範三陸軍大将の満州征服計画を基幹として、慿玉祥顧問の松室孝良少将の満州問題についての一文であり、現地中国の新聞紙上に公表された文章である。
 またこれは田中上奏文として日本の満州侵略計画として天皇への上奏文として決定されたものである。


                


この文は中国の特務工作によって手に入れたものだが、極東軍事裁判における「共同謀議」の動機として法廷で調べられ、米国や日本の研究者も注目したが、この征服野望の観念は頭にこびりついて払うことができなかった。
いかに、謀略宣伝が人心に影響を与えるかをこのことでも知るのである.
              田中義一伝 下p665 「田中上奏文の真相」


            


現在の通俗では「なるほど」と看過してしまいそうな一文でもある。
要は、先の大戦は日清、日露の勝利によって列強の仲間入りをして、その驕った軍部は天皇中心とした全体主義を打ちたて、その権益保護のために満州侵略、その後の盧溝橋の謀略によって対中国への戦端を開き、その蛮行を制裁する欧米に対し権益確保と支配地の防衛を理由に真珠湾奇襲、また東南アジアにその戦端を開いたのである。その謀略の根底にはこのような陰謀があったことが明確である。

以上が日中、対連合国との戦争を考える大前提であり、戦後の「極東裁判」の根底にあった考えであり、そこから生み出される裁可の趣旨や戦後教育に一貫として流れている歴史概念の前提にもなり、歴史の岐路にタイミングよく登場した田中上奏文の効力でもある。

謀略にもさまざまな場面を想定し、その効果を計るものである
この上奏文の作者は松村孝良少将の作ではない。
満州軍閥の頭目であり東北軍を率いた張作霖、張学良二代にわたって秘書を務めた湖南省出身の王大禎(草冠に凡、ボン生とも)によって偽造されたものである。
王は蒋介石率いる国民政府軍事委員会 国際問題研究所の所長であり、特務機関「藍衣社」とならぶ二大情報機関であり一方は国内、研究所は国際情報の謀略機関である。


           
                 尾崎氏

しかも王は国際共産党員であり、その組織には青山和夫、加持、満鉄調査部の尾崎、国内では西園寺らの連携と、資金源はイギリス情報部パイル中佐。日本では知識人として高名な郭末若や西安事件の陰の主役であり、張学良と同年で張作霖の援助で日本留学した苗剣秋がいる。

蒋介石の懐刀というべき特務機関が、共産党特務工作の責任者周恩来の手中にあったという驚くべき実態と、王が中華民国大使館員として駐在中の安岡正篤をはじめとする朝野の実力者との交流や、蒋介石の北伐資金の大倉財閥からの中継組織である北京 宮元公館主宰者 宮元利直氏との義兄弟の交わりなど、王の真摯な姿勢と学識に裏打ちされた人物識見は、謀略機関の責任者としての意図を察知させないものがある。

王は安岡正篤をして「人物」といわしめている。また戦後、渋谷の東急アパートに住んでいた宮元利直氏の書斎には安岡氏から数通の書簡があったという
宮元と王の関係、王と蒋介石、周恩来、張学良、東北軍顧問の苗剣秋、そして盧溝橋事件の真の首謀者劉少奇と周恩来のかかわり。
盧溝橋から西安事件から国共合作 極東軍事裁判後の国共内戦から毛沢東の国内制圧など、まるで計画通り絵に描いたような歴史の経過図である。

国際問題研究所と王大禎については組織、歴史経過とともに著すとして、なぜこのような秘すべき実態が露になったかを辿ってみよう。

佐藤慎一郎氏との対談より  聞き手 筆者

それは普段の何気ない思い出話からだった。
「昔、よく中国人と遊んだ」

「どんな人と・・・」
  
「横浜の譚覚新という日本革命の責任者もいたが、あの時は『今度 稲山(経団連)を招待する。そのあと角栄は必ず来る。周総理はやってくれるだろ』と、いっていた」
 
「あの、時折中国に苦言を呈している譚路美のお父さんですよ」
 
「判りにくいことは沢山あるが、人の人生と人情が問題なんだ」
 
「苗さんは」
 

            

「苗さんも僕には何でも話してくれたが、国際問題研究所のことは言わなかった」
 
「でも、苗さんの奥さんが『張さんは、お坊ちゃんですよ』と、嘆息していましたが、その張学良氏に向かって『お前は今誰と戦っている。お前の親父を殺したのは誰だ』と、西安事件の役者を演じて、周恩来と打ち合わせどおり国共合作によって国民党を日本に当たらせ疲弊を誘うという謀略演技は日本人には真似できません」
 
「いや、周恩来は演劇出身で右で泣いて左で怒ることは朝飯前だよ」
 
「でも、周さんが命を張って毛沢東に諫言すれば革命後の数千万人と文化大革命での劉少奇も犠牲にならなくてもよかったとおもいますが」
 
「それは『逢場作戯』といって、自分を守ることに演技しなければならないことが習慣化している情感だ。だから、ささやかでも本当の人情を求めるし、信じることに慎重なんだ 周さんのその雰囲気は語らずして民衆は分っている」

「苗さんは知識人としても人物だった。安岡先生とも交流があった。国際問題研究所の王大禎もその関係とおもいますが、この国際問題研究所の存在とその行動によって現在の定着した観念と歴史があるとしたら、この機関の欧米とのかかわりと意図など、これを整理することで現在の国際情勢の推考が容易になるし、より多面的な歴史が観察できますね 日中史、いや世界史の観点がひっくり返りますね」

「ある意味では表すことの勇気だ そして他国を巻き込んだ世界史を書き換える騒ぎの帰結するところを直視することだ。 また日本と近隣の騒ぎを利用する遠大な意図を確認することだ  それは既存の歴史観を書き換えることが目的ではなく真実を探求し伝えるという科学的な学びなのだ  ただ、おのずと歴史は生きている たかだか人間の騒ぎだということもアジアの自然科学だということだ゛」

「結果を想定して導き出す謀略意図も歴史のなかでは行きつ、戻りつの感がありますね。 強いものはそのままでも良いし、その力が善か、悪かは動機如何にかかわらず結果事実に拘束されてしまいますが、それに対抗する弱者は弱点を衝く、しかも多面的な意図、能力、実績の他に、民族の性癖までをその戦略範疇に入れた多角的な戦術謀議は、弱いものが強いものにあたる唯一有効な手段ですね」


            


「それに大切なのは愛国心だよ 親兄弟や妻子もそうだが、一方ではその地を護るという思いと楽土への夢だ  あの密約というべき秋山真之が草案したあの二十一カ条だが、もとは孫文の案で山田の叔父さんと満鉄の犬塚氏が連署が密約(日中盟約)としてある。外務省の小池張造、秋山真之将軍も関係者だ。  

これは袁世凱政権に圧力を掛けることもそうだが、満州を日本に任せてロシアの南下を押さえ、日支共同でパラダイスを築こうとした大経綸なんだ。

ところが、ロマンもアジア観もない軍部のやり方が本意を変質させ、馬鹿げた干渉圧力になってしまった。押し付けられた民族にとって、どれだけ民族の面子が汚されたか。 しかも同じアジア人にだ。 山縣を頂点とする思い上がった軍部と、陛下があれだけは総理にしてはいけないと言ったとかいう逸話のある大隈首相の見識のない大風呂敷 そして今と同様に堕羅漢の外務官僚の思い上がった愚行が、欧米の侵食を許したのだ。蒋介石の援助にかかわる国民党の堕落や共産党政権下の数千万人の惨禍など日本を含めたアジアそのものが侵した自制力の崩壊だ」

「この国際問題研究所の一例もその一端ですね。 歴史を穿り出すというということだけではなく、相手の立場に立てば「よくここまでやったな」と考えられる歴史の俯瞰と、本当の意味で自らの身をを切るような検証の糧にならなければ意味がないですね」
 
「その意味でこの検証は、孫文の唱えた『世界の平和はアジアの安定にある。アジアの安定は日中相提携してはじめて成る。明治維新はその魁であり、中国の革命はその後課であり、『真の日本人はいなくなった』と、山田に嘆息し、遠大なアジア志操の涵養にもなる資料なんだ 』


 数日して届けられた茶封筒のなかには、ぼろぼろの方眼紙に書かれた組織図
粉々になりかけた口実筆記された修正、なぐり書きのわら半紙、発言者羅氏との経緯が精細に記録されていた

自分たちが習った歴史は何なのだろう
あの大戦で亡くなった人たちのことが脳裏をよぎる
トラウマと財布の按配を巧妙に取り繕う言論、出版に人物なし
しかし、時節の様子が変化していくなか、ともかく備忘として記すこととした。


2008.3.26 「国思えば国賊・・」参照
http://blog.goo.ne.jp/admin.php?fid=editentry&eid=1427536c4f0658e41a80ead6e7e2a4d4




国際問題研究所(王梵生(王大禎、とも)の役割)  (□)は判読不明

略歴 国際共産党員 日本軍需学校卒 中将 交通部次長
駐日大使館参事官 トルコ代理大使 等歴任

1 ゾルゲの中国機関 ゾルゲ機関とともに日本の北進論を南進論に転換。
2 太平洋戦争(真珠湾攻撃)の情報を米武官に知らせ、一躍有名になる
3 ソ連に満州参戦の機会を与えるように努力する。
4 英米をして、ソを呼んでヤルタ協定を結ばせた。
5 この機関は情報機関ではなく謀略機関である・

日本関係各機関 満鉄上海事務所 調査室
西里龍夫 中西、ゾルゲ機関で集めた情報の殆どは、満鉄在支全機構を通じて全て集めた情報      

国民党中央軍事委員会 国際問題研究所

これは研究所の第一所 羅堅白氏の独白記録である。
当時、渋谷の中華料理屋の主人であった羅氏と交流があつた佐藤慎一郎氏が面前筆記をしたものの読み取り清書である。

(省略)

なぜ話したか…・・
当時,羅氏は妻帯であつたが,日本に愛人がいた。
羅氏は「実は女房が中国から来たが、スパイの容疑で拘留されている」との相談。
各方面に掛け合って国外強制退去になった。
横浜まで見送りに行った際、羅氏は「女房はスパイではない。愛人がわかると大変なので,自分が密告した」
羅氏は一生懸命に掛け合ってくれた人物に申し訳ないと考えたと同時に、女房にも罪悪感を認めたのだろう、暫くすると「自分は国際問題研究所の上級責任者だった」と告白。

ここで佐藤氏の聞き取り経過から追ってみよう


・・・・・

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