パティ・ウォーターズの「ブラック・イズ・ザ・カラー・オブ・マイ・トゥルー・ラヴズ・ヘアー」は、フォーク・ソングの悪魔払いである。
by JEFF TERICH
2022年2月3日 TREBLE
フォーク・ソングは誰のものでもない。定義の上ではフォーク・ソングは民衆のものであり、寓話や他の文化的伝統のように民衆の間で共有される芸術形式である。そのストーリーやメロディーはよく知られているが、例えばニック・ケイヴによる「スタッガー・リー」の不敬なバージョン、スマザーズ・ブラザーズによる「絞首台から解放されたメイド」(「ハングマン」として知られる)のコミカルな再演、あるいはフェアポート・コンベンションによる古典的な英国民謡の複雑なフォークロック的解釈など、様々な解釈によって真価を発揮するのである。これらの曲は何年も生き続け、変化し、進化し、常に新しいもの、しばしば全く異なるものに生まれ変わる。19世紀のイギリスや1900年代初頭のアパラチアなど、特定の時代や場所で歌われたものだが、その亡霊はその時代が過ぎてもなお、私たちに付き纏い続けている。時には、その亡霊はより不吉な形をとることさえある。
パティ・ウォーターズがデビュー・アルバム『パティ・ウォーターズ・シングス(Patty Waters Sings)』を録音したとき、彼女はまだ19歳だった。このアルバムは、闇と破滅の底流を秘めた、簡潔でありながら驚きに満ちたジャズ・ヴォーカル集である。野心的なアルバムだが、決して詰め込みすぎではなく、収録曲のいくつかは2分以下という切り詰めた長さである。しかし、音楽には自信と熟練があり、実際にウォーターズの喚情的でありながら控えめなヴォーカル・パフォーマンスは、若きシンガーの年齢を超えた計り知れない才能を詳らかにしている。なんといっても彼女は10代の頃全米各地で演奏し、マイルス・デイヴィスやアルバート・アイラーといったジャズの伝説的人物と出会って共演をした経験があるのだ。そしてアイラーの紹介で、彼女は有名なアンダーグラウンド・レーベル、ESP-Diskと契約することになった。
しかし『パティ・ウォーターズ・シングス』の1曲が残りの曲に影を落としている。アパラチア(スコットランド発祥かどうかは不明)のフォーク・ソング「ブラック・イズ・ザ・カラー・オブ・マイ・トゥルー・ラヴズ・ヘアー(Black is the Color of My True Love's Hair)」をアヴァギャルドに朗読したもので、これまでレコーディングされた曲の中で、最も深い不安感を覚えさせる曲の一つである。この曲はウォーターズが歌う以前には、ジョーン・バエズやニーナ・シモンが録音したし、おそらく何百ものヴァージョンが存在する。最近では、ドローン・メタル・アーティストのビッグ|ブレイブとザ・ボディのコラボレーション・アルバムで取り上げられている。しかし、ウォーターズの「ブラック・イズ・ザ・カラー」ほど有名な、あるいは悪名高いレコーディングはないだろう。しかし、彼女がこの曲を所有していると言うのは間違いである。むしろ彼女がこの曲に所有されていた、というべきである。
Patty Waters - Black is the Color of My True Love's Hair
「ブラック・イズ・ザ・カラー・オブ・マイ・トゥルー・ラヴズ・ヘアー」は長い。収録時間27分の『パティ・ウォーターズ・シングス』の半分を占めるこの曲は、アルバム・タイトルに公然と挑戦している。パティ・ウォーターズは伝統的なフォーク・ソングは歌わない。彼女は悲惨な試練の連続と、計り知れない痛みと悪意のある力に耐えているようだ。ホラー映画のような緊張感と目に見えない脅威として忍び寄り、よろめく。曲の終わりには、彼女が試練を乗り越えたかどうかさえ、まったくわからなくなっている。
ジャズ・ヴォーカルとフリー・ジャズの生々しい衝突として、ウォーターズの「ブラック・イズ・ザ・カラー」の朗読には、スタンダードを歌うというアイデアを解体する以上のものがある。スタンダードにガソリンをかけ、ジッポーで火を点ける。アヴァンギャルドを凌駕して、肉体的な苦痛であり、聴くというより、純粋に直感的な経験をもたらす。冒頭のピアノの弦のこすれる音は、スロッビング・グリッスルの最も対決的な演奏や、後期のスコット・ウォーカーの死んだファシストやアメリカーナの陰気な悲哀についての不協和音の陰鬱な寓話に通じる、無気味な体験の前触れである。
ウォーターズは、たったひとつの詩節で、スタンダード曲を悪夢へ変転させた。ウォーターズは13分51秒のこの曲の中で「ブラック」という言葉を100回近く繰り返した。最初は無感覚の孤立の表現として、次に深く抱えた悲しみの繰り返しを、そして、曲の大半は、まるでこの現実との綱が切れ、行き場所が狂気の世界に巻き込まれるしかないかのように、混沌の渦の中へ降りていく。彼女は吠え、叫び、彼女という存在の芯から悲惨な悲鳴を解き放つ。いや、これは歌ではない。悪魔祓いだ。
この「ブラック・イズ・ザ・カラー」は、アヴァンギャルドの傑作として評価されるにふさわしいヘヴィな体験である。このような魂を揺さぶるヴォーカル・パフォーマンスは1966年には前例がなく、パティ・スミス、ディアマンダ・ガラス、リディア・ランチなど、同様に革新的なアーティストに忘れがたい傷跡を残した。芸術的にも素晴らしいが、その裏側にある単なる芸術性以上のものを感じずにはいられない。この曲は「(自殺者の)遺書」と呼ばれることもあり、我々の目の前で起きた完全な人格崩壊のように感じられる。
その後30年間、ウォーターズが楽曲のリリースやライブ活動を行わなかったという事実が、「ブラック・イズ・ザ・カラー」をより強烈なサスペンスドラマにしている。情報が得られない状況では、ミステリーが物語そのものになることは周知のとおりだが、これが長い隠遁生活の前の最後の言葉だと考えれば、その意味の重さから、かなりダークな結末を想像してしまうのは仕方がないだろう。
事実は噂から導かれるほどドラマチックではなかったが、その中心に本当の悲しみがなかったわけではない。ウォーターズが2004年にJazzTimes誌に明かしたところでは、黒人ジャズ・ミュージシャンのクリフォード・ジャービスとの関係のせいで両親から勘当され、息子のアンドリューを育てるために音楽から長い間離れていたという。しかし、彼女は完全に姿を消したわけではなかった。しばらくステージから離れていたが、1996年に30年ぶりの新作を発表して復帰し、その後、再びジャズ・フェスティバルで演奏するようになった。何がきっかけでステージに戻ってきたのかと聞かれると「誘われたから」と答えるだけだった。
そしてリンダ・パーハクスやビル・フェイのように、遅すぎた復帰の成果として、つい4年前にも彼女はまだ歌い続けていた。どんなに遅くなったとしても、彼女の作品のファンがまだ存在するだけでなく、過去56年間で大きく広がっていることに(その結果、彼女の音楽がストリーミングサービスで容易に聴けることにも)安心する。拷問のように心をとらえ、その跡に残された空虚な空間さえも、いまだに私たちの心をとらえる「ブラック・イズ・ザ・カラー・オブ・マイ・トゥルー・ラヴズ・ヘアー」のような傑作を作れるのは、一世一代のアーティストに違いない。
ブラックは
バートン・グリーンと
ウォーターズ
バートン・グリーンはもういない・・・・。
Patty Waters (with Burton Greene & Mark Dresser) - Live at The Vision Festival [New York City, 2003]
Patty Waters performs alongside Burton Greene and Mark Dresser at the 8th annual Vision Festival in May of 2003 in New York City.
1. Intro [0:00]
2. Strange Fruit [11:23]
3. Lonely Woman [14:44]
4. Moon, Don’t Come Up Tonight [32:59]
5. Don’t Explain [39:45]
6. Nature Boy [52:03]
Patty Waters - Voice
Burton Greene - Piano
Mark Dresser - Bass
Raymond Ross - Videographer
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