【東京2020 公認プログラム】
東京・ベルリン友好ジャズコンサート2018
「シュリッペンバッハ・トリオ+高瀬アキ」冬の旅〜日本編
Schlippenbach Trio + Aki Takase “Winterreise in Japan”
11月23日(金・祝)
東京 座・高円寺2
開場 14:30 開演 15:00
前売 3500円 当日 4000円
シュリッペンバッハ・トリオ
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ(ピアノ)
エヴァン・パーカー(サックス)
ポール・リットン(ドラムス)
+
高瀬 アキ(ピアノ)
シュリッペンバッハ・トリオの最初のレコーディングは1972年4月2日ベルリン芸術アカデミーのフリー・ミュージック・ワークショップでのライヴ録音とされている。その音源はFMPから78年にリリースされた3枚組LP BOX『For Example - Workshop Freie Musik 1969 - 1978』⇒bandcampに2曲収録され、2014年に『Schlippenbach Trio / First Recordings』として全4曲が公開された。70年代初頭ヨーロピアン・フリーミュージック創世記の気概に溢れた激しく饒舌な即興演奏が展開されている。当時アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハは34歳、エヴァン・パーカーは28歳。ハードコアなフリーミュージックの真髄が此処に在る。
⇒【私の地下ジャズ愛好癖】フリー・ミュージック不死鳥伝説!来日するシュリッぺンバッハ・トリオのパンク・スピリット。
それから46年を経たシュリッペンバッハ・トリオを観に高円寺へ向かう電車の中でふと考えた。クラシックやジャズはポップスやロックに比べて流行り廃りは余りないが、結成して50年近いジャズコンボの来日公演を観に行く行為は、ポール・マッカートニーやキング・クリムゾンやギャング・オブ・フォーや(This Is Not a) This Heatなど往年のロックアーティストの来日公演やクイーンやスリッツの映画を観に行くのと同じではなかろうか。決して後ろ向きなノスタルジーではなく、偉大な作品を産み出した表現者の存在を、自らの目と耳で直に確認することにより「体験」として血肉化し記憶に刻み付けようとする衝動に他ならない。地下音楽支援者としては即興音楽やエクスペリメンタル、ノイズ・アヴァンギャルドを特別視しがちだが、ここは素直に認めよう。『ボヘミアン・ラプソディ』に感動して何回も映画館に通う家人と、シュリッペンバッハ・トリオに無上の歓びを覚え打ち震える筆者は同じ欲望愛好家/快楽探求者であると。
1部 シュリッペンバッハ・高瀬アキ ソロ&デュオ
(ライヴ写真の撮影・掲載については主催者の許可を得ています。以下同)
80歳のシュリッペンバッハと70歳の高瀬の合計150歳の夫婦連弾。俯いて譜面と鍵盤とじっと見つめて何やら口ずさみながら思案するシュリッペンバッハに対して、旦那の腕を跨いで鍵盤を叩き、立ち上がってピアノ線にクリップを挟む茶目っ気たっぷりな高瀬の姿は、このカップルの日常生活を思わせて微笑ましい。シュリッパンバッハのセロニアス・モンクとハーヴィー・ニコルスの曲をモチーフにしたソロ演奏は、彼が本質的に<ジャズ>ミュージシャンであることを詳らかにした。その点、高瀬は突き抜けている。
2部 シュリッペンバッハ・トリオ
見る限りステージにマイクスタンドは立っていない。ピアノの足からケーブルが伸びていて、ステージ前方にアンビエントマイクと思われる機材がセットされている以外はアンプリファイアは使用していないようだ。オーソドックスなホールのシートに座ってると音漏れで隣のホールのオーケストラ公演から苦情が来たという70年代の山下洋輔トリオのコンサートにタイムスリップした気分がする。目の前で繰り広げられる緩急に満ちた即興演奏の応酬は、やり続けてきた者だけが身につけられる自然な創造性の発露であり、期待通りの感情のアウフヘーベンを体験できた。特に基本セットだけのシンプルなドラムキットを、スティックとブラシと数々の小物を駆使して、多彩な音色とリズムを紡ぎ出すポール・リットンのプレイは、フリーミュージックのプロトタイプを根本に宿したパーカーとシュリッペンバッハのスタイルを別次元にメタモルフォーゼさせる役割を果たした。それ自体が半世紀弱前のワークショップの教えなのかもしれないが。
トリオで約30分、高瀬が加わって10分、アンコールはシュリッペンバッハと高瀬の連弾。のべ2時間の公演初日は8〜9割近い動員で成功のうちに終わった。彼らは約半世紀前の闘志を失っていないように思えた。演奏は素晴らしいと言う他ないが、未知のものを見せはしなかった。その意味でシュリッペンバッハ・トリオはフリーミュージックの前衛(Aventgarde)/進歩(Progressive)ではないことを素直に認めよう。しかし筆者は(そして観客の多くも)進化や前進だけを求める訳ではない。半世紀前に3人の心と身体に宿った闘志の欠片がを見いだして、筆者の大脳皮質に絶頂感の鮮やかな爪痕が残された。映画のように繰り返し観ることは出来ないが、一期一会の貴重な体験を何度も反芻してみたい。
即興に
進化と発展
必要か
Aki Takase und Alexander von Schlippenbach Modern Solo Piano Festival Berlin 2010
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