マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

鴨川べりで鴨

2008-04-18 11:50:34 | 

四条木屋町を南へと下り、団栗橋を過ぎた辺り。
古い町家を入ると、洒落た鴨料理の店がある。



案内して下すったのは、おしゃべりのプロH兄。
ここは彼の同級生の店。
鴨川に面した席には一本桜が咲き始めていた。
彼のペースにゆだねて談論風発。さすが巧みな座談。

鴨は“京鴨”というブランド。造り 胸肉、肝、心臓



生ハムサラダ  ドレッシングが美味



鴨肉とブルーチーズのピザ
カウンター内にどんと据えてある石窯で焼き上げる。
折角の石窯なのにドォが手作りでないのは残念。
長田の川島しょう店のパリパリのドォのように、手作りでも簡単に
作る方法があるのではないか。



鴨ロース、ミディアムレアに焼き、だし醤油で。
柔らかくなめらか。



鴨ステーキ。パウダーソルト、ニンニクチップ
適度な歯応え。火の通し具合がいい。



鴨ゆず胡椒焼き



メインは鴨鍋。抱き身、九条ねぎ、エノキ、水菜



スープが秀逸!首肉や骨を炊き込んで、白濁させる。
塩など数種類の調味料。



食べる時に粒胡椒をガリガリ。美味!
シメはご飯、中華麺、稲庭うどんからのチョイス。
H兄おすすめは翡翠麺。仕上げにチョイとゴマ油を落とす。



デザートのアイスクリームを最中にしてもらう。
アイスクリームと小豆。サクサク香ばしい・・・うめぇ!



帰りに鴨ミンチカツサンドを持たしてもらう。これがまたバカうま!



ここの大家は隣り合う“鳥彌三”という老舗鳥鍋屋。
鳥屋の軒先を鴨屋に貸すとは、なかなか豪胆なことと感心。

    味浪漫 いしがま亭   木屋町四条下ル斉藤町

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潮の匂いのする酒場

2008-04-07 01:36:21 | 

堺のライブハウス主人より、いい店見つけたとの報せが入り、
さっそく、ミナミの服屋大将と出かけた。
外から見ると変わり映えのしないフツウの酒屋だが、中に入ると
真ん中にドンとおかずの並んだガラスケースがあり、コの字型に
客席がある。夕方から酒場になるという田宮酒店。オッサンらが
いい具合に飲んでいる。ぷんぷんといい店の気配がする。
穴子寿司で有名な深清鮨の隣り。



戦後の開店というが、各社銘柄の酒看板が掲げられ、
昨日今日にできた店ではこのアトモスフィアは醸し出せない。
大体、客席を支配する先代女将が堂々たる存在感。
「勘定」の声と共に、五つ玉の算盤をはじく。

シャコ塩ゆで。
こういうので一杯いくのが泉州らしくていい。
堺から南の海は砂地でシャコがいっぱい獲れる。指先が痛い。



ちゃいと涼しかったので熱燗。上等の錫製ではなく、銅製かブリキの
ようにも見えるたんぽ。こういう見栄え気にせず実質的なのが角打ちのよさ。立ち飲みではないけれども。



うまき、結構なり~!



穴子の肝なべ! これがバカうま!!

この辺り、石津港や堺の魚市場があったりで、穴子屋が多かった。
こいつを小鍋立てでグツグツ焚いたのが出てくる。温まる~
精つけて竜神へでもくり出すか!いつの時代や。



かつて酒屋とはその地区の庄屋だったり名士だったりした。
ここも鰻の寝床のように、奥は大きな所帯となっており、坪庭が
眺められたりする。大きな仏壇があり、古いお多福人形があった。
厠前の佇まい。これは残して欲しいなぁ~。



労働者も、女性同士も来る…いい時代になったもんで、
和気あいあい。価格は激安である。



次は西へ歩いてスグ。
以前にも行ったことある居酒屋「犬吉」へ。
焼き鳥チェーン大吉のパロディというべきか。
手作り感バリバリのバラック建て。どですかでん風。
店先に「この先、大浜湊海水浴場 スグそこ200m」なんて
手描き看板がある。昔はそんなもんだったんだろう。
信じて海パンのまま行ってはいけない。



たたき胡瓜、春雨サラダ、おから、焼きめし・・・など次々に。

これは焼き豚とナムル、キムチの盛り合わせ。
店主も客層も若いだけにボリュームがある。
地元ミュージシャンなどが集まる。



なんだか中は70年代風というか。ちょっと文化祭ノリというか。
焼酎、ハイボールなど。



居心地よくて、のんびりしてると早や終電時刻。
急いで堺東へ車を飛ばす。
元々造り酒屋が多かった堺。まだまだいい店がどこかに隠れているに
ちがいない。目撃情報もらえりゃまた足を運びたし!


   「田宮酒店」 「犬吉」  堺市御陵通 

コメント (5)
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千日前バンド合戦!

2008-04-06 23:25:02 | カントリー

もう先月のことになるが、アップしていなかったので今更ながら記す。
千日前アナザードリームで神戸のラグパパというジャグバンドと、
東京の元祖!というバンドが激突した。



東京でしばらく音楽やってたので、懐かしき顔が揃って嬉しくなった。
みんなそれなりに全盛時代はバリバリ一線で演奏していた連中だ。
ボクはその周囲をふら~ふらしてただけ。



総勢7名の大所帯。みんな超がつくベテラン。
同い年だと思ってたマンドリン氏は、打ち上げで一つ上と知り、
呼び捨てにするの訂正しました。




ギター&ボーカルのマスオさん、ポチさんは「アップルシード」とか
「ハリウッドクラブ」とか一緒にしてたのかな。選曲がシャレてて、
東京っぽいや。
惜しむらくはリハに時間がかけられなかったからか、フィドル、
マンドリンのリード楽器が前へ出ていなかった。


怪人アシュラ紅丸氏は自家製のギター型洗濯板をかき鳴らす!
椅子型パーカッション「カホーン」のように共鳴を伝えるワイヤーが
貼られている。ヘッドの部分はしゃれこうべ。しゃれてるね、どうも。
この人がまた落語のようなMCをして、エンディングにはヴァン・ヘイレンのようにステージから飛び跳ねるのだから、まったくもう呆気にとられるばかり。本職は有名イラストレーター。



エンディングは舞台狭しと、2バンド入り乱れてのジャムセッション。



打ち上げは法善寺山門前の「だるま・なんば本店」。
総勢30数名で、大阪名物の串カツ。
未食だった大阪勢にずいぶんと喜ばれた。




それからオリエンタルホテルの2階のパブへ。
ここもガランと広くて、キャッシュオンデリバリーで使える場所。
その後、ベースのT氏夫妻が格安ホテルに泊まるというので、
後学のために見学に行く。



じゃんけんぽんのCMで知られる「味園」。
二人で5300円で、モーニング付き、24時間駐車無料。



ふう~ん、この値段なら十分使えます!
ポチさん夫婦は我が家へ。帰りに友人の店で軽くジャム。

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気持ちのいいワインバー

2008-04-04 22:52:00 | 


アルザスのワインを飲むために。
ここは手ごろなワインを揃えるワインバー。


コゴミの梅和え、アピオス、若ゴボウ


加賀レンコン、花ッコリー(菜の花とブロッコリーを掛け合せた野菜)


フォアグラの醤油漬け ワサビで。見事に和風に。
口の中で融ける!


アルザス アンドロー・リースリング 03
同じリースリングでもドイツになれば甘口だが、こっちはすっきりとした
辛口で、何にでも合う感じ。


テリーヌ田舎風 ピクルス
こういうのでグビグビと手軽なワイン飲むのが一番気持ちがいい。


ホウレンソウのキッシュ
アルザスにはロレーヌ風キッシュ(ベーコン、チーズ、卵)という
名物キッシュがある。


アルザス ゲヴェルツトラミネール04
香りがスパイシーで中華料理や香りの強いフードに合う。


山菜のフリット サクッと春の苦味~


野菜のラザニア  美味いやね~!
   

水菜とベーコンとナントカのスパゲッティ


日本料理 倉田努、 仏 清田成志、 ソムリエ品川誠二の3人が
一緒に始めた店。品川さんの折り目正しさが気持ちがいい。


   Trois Plaisir トロワ・プレジール   中央区瓦町4丁目

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巾着寿司の正しい食べ方

2008-04-03 13:18:55 | 
道頓堀が芝居の街だったのは衆目の知るところ。
焼けた中座を中心に五座の櫓が立ち並び、この浜側には
いろは48軒の芝居茶屋が並んでいた。
中でも古く江戸時代から続く「稲竹」は大正時代に廃業し、
同じ場所で楽器店となり、戦後はうどんの「今井」となっている。


元稲竹、今井楽器店、現「今井」

これが対岸の宗右衛門町、笠屋町、畳屋町、玉屋町、千年町
にわたると、とたんに役者の住まいが多くなったという。

松竹の創業者、白井松次郎の豪邸があり、仁左衛門の家、
古くは初代中村歌右衛門の家もあった。
頬被りの中に日本一の顔…と川柳家、西田當百がうたった
初代雁治郎もいた。


うどん「今井」の玄関先にある石碑。
頬被りとは雁治郎の当たり役、河庄の紙屋治兵衛。


夕涼みにしもた屋の玄関先の床机に座る 雁治郎の姿は、ごく普通のオッサンだったと天外さんは述懐していたそうな。
その渋谷天外も、市川右団次、曾我廼家十吾、山田五十鈴の生家も
千年町にあった。
ピーターの父、上方舞の吉村雄輝も笠屋町に住んでいた。


芝居茶屋いうのは元祖プレイガイドみたいなもので、
客はそこでテケツの手配をさせ、まずその小座敷へと上がり、
時間になるとお茶子へ案内されて、向かいの劇場の席へと向かい、幕間になるとかべす(菓子・弁当・寿司)が運ばれたり、あるいは茶屋に戻って一杯やったり、中には芸者をよんだり泊まれる店まであったそうな。 (三田純一「道頓堀」による)

芝居茶屋や周辺の料理屋の子倅は、自然に芝居の文句を覚え、
「こいつは芝居の真似ばっかりしよってからに…」と呆れられ、
病膏肓、役者や囃子方になる者も多かった。

大阪寿司の老舗「本二鶴」の初代も芝居の子役だったそうで、
師匠の芝鶴から一字をもらい、「二鶴」の名前で法善寺境内で
料理屋を始めた。明治10年のはなし。 古いねどうも・・・。

かつて関西にはちんこ芝居というのがあったそうで、このちんこと
あのちんこは違って、小さい・ちっこい・ちんこいの意味で、すなわち
子供芝居のことで、それなりにスターもファンもいたと思われる。
確かアラカンこと嵐寛寿郎もちんこ芝居の出身。

さて二鶴初代はいかなる芝居だったのか。
もはや戦火によって記録は残っていない。

二鶴は大阪大空襲で消失し、現在笠屋町の住まいを直した家で
店を続けている。大阪寿司の持ち帰りのみの名店。

 
名物、巾着寿司は芝居のお部屋見舞いによく使われる。


主人いわく、手で持ってアンパンのように丸齧りでむしゃむしゃ食べる
のが一番美味しい食べ方です…とのこと。
知りませんでした。

この二鶴は美人の仲居を揃えていることで評判だったという。長谷川幸延の著書によると、ちょっと高かったので我々は専ら正弁丹吾亭へ…ということになったらしい。
藤山寛美が若き日、中座の屋根の上で涼みながら、よく二鶴を見下ろしていたという…そんな昔話を聴いていると、そこへ上品なご婦人が
入ってこられ、こちらに目礼してすっと帰られた。
「寛美さんの奥さんですわ」

芝居町ミナミは、この小さな店先に生きている。

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