誤解を招くのは本意ではないが、森繁さんの眼は嘘つきの眼をしているように思えてならない。演じてきた役柄からだろうが、どこか狡い、計算高いものを感じて仕方がない。完全な善人ではなく、どこかうさんくさい。そう映ることをご本人も自覚していたはずだ。
だがその眼は半端でなく超一流の嘘つきの眼だった。よってアナウンサーから転身、舞台に映画にと大成することができた。「夫婦善哉」の柳吉の眼、「社長シリーズ」の社長の眼は甘い汁を吸うためなら出し抜く眼をしているのが判るだろう。
晩年、多くの年下の俳優たちを見送りながらも、何処まで本気なのかトボけたことを言っては記者を煙に巻き、何処吹く風みたいな顔してボクの同僚の女性ディレクターの手を握り、尻を撫でまわした。ボクには小狡く老いてボケた老人を演じているようにしか思えなかった。
一流の嘘つき森繁さんは喜劇の後輩たちに、最初はドタバタを演じていても、長じてシリアスな演技者にならねばならない、と説いた。伴淳も三木のり平も渥美清もある年代から、喜劇的なものを排した演技をするようになり、中原弓彦(小林信彦)が「森繁病」と名付け悔しがったように、日本の喜劇に乾いたスラップスティックコメディが育たぬ土壌を作るのに寄与した。森繁さんと対極的な存在がエノケン、榎本健一であり、若き日ムーランルージュで一緒だった由利徹である。シリアスな演技に転じた森繁さんが文化勲章をもらい、エノケンはともかく由利は無冠に終わっている。
森繁さんの「知床旅情」には元歌がある。
もうひとつの知床旅情のことを記した、4年前の久世光彦氏の週刊新潮の連載の切り抜きが手元にある。偶然、昨日の夜引っ張り出していた。虫の知らせか。
それは昭和35年、森繁プロダクションを設立し映画製作に臨んだ「地の涯に生きるもの」(監督:久松静児)の主題歌に森繁さん自身が書いたものだ。メロディは知床…と同じ。ここに再録させていただき、巨大な俳優の追悼とさせてもらう。
オホーツクの海原 ただ白く凍て果て
生命あるものは 暗い雲の下
春を待つ心 ペチカに燃やそ
あはれ東に オーロラ哀し
さいはての番屋に 生命の火ちろちろ
トドの啼く夜は いとし娘の瞼に
誰に語らん この寂しさ
ランプのほかげに 海鳴りばかり
オレオレ オオシコイ 沖の声 舟歌
秋アジ(鮭)だ エリヤンサ 揚げる網ゃ 大漁
かすむ国後 我がふるさと
いつの日か詣でん 御親の墓に
ねむれ 静かに