これからお座敷だってのに、なんで俺はこんなとこに立ってんだぁ。
シラフでなんて行けやしねえ。ということで裏寺町で一杯。
木屋町松原の某所でメシを食い(写真一枚も撮ってなかった)、
異業種交流会の面々と、川渡って宮川町へ。 久々だぁ。
このお茶屋には二度目。見事に掃き清められた座敷。
日本人はこれでなきゃいけない。
おにいさん、おひとつ・・・
ひとしきりたち、さぁ、舞いなどを見せてもらいまひょ・・・
よろしいなぁ。かにかくに祇園は恋し寝るときも枕の下を水の流るる
吉井勇の境地が分かりますなぁ。祇園ちゃうけど。
舞妓さんたちはまだ十代です。京おどりのポスターにもなってる方。
「祇園小唄」はいいけれども、ここは宮川町、ちがう歌もひとつ
お願いしたいところ。
さぁ、ほなわたいもお座興に、一丁、歌わせてもらいまひょか。
折角なので「どんどん節」か「東雲節」でも、というと地方の姐さん、
「すんまへん、知りませんねん」という。レレレ・・・レレレのおじさんに
なってしもた。ホウキを持ち出すぞ。
そうか・・・そういう時代になってしもたか。
お座敷遊びとは、虎虎や金毘羅舟々で立ち方とちょっと遊ぶのが関の山で、習って来た長唄だの小唄だの都々逸を歌わせろなんて言う人が
もうそんなにはいないのだろう。
だから姐さん方も弾く必要もなければ覚える必要もない。芸妓の芸はやはり客が育てるものだろう。だから踊りの良し悪し、三味線の良し悪しもある程度、客側が勉強してから行かねば、ただただ外国人が遊びに来たみたいになってしまう。これは西陣があかんようになったとか、接待がなくなったとか嘆く以前に、文化として由々しき問題かもわからん。
なんてことを考えながら帰って来た。
というか、酩酊して帰って来てから、憤慨して考えた。
地方の姐さんに勉強を促したとて、こっちは常連でもなんでもないから言うことなど聞いてくれるはずはない。安いもんでもなし、そうそうお座敷に足を運べるほどのお大尽でも、食い潰すだけの実家があるわけでもない。
次いつ行けるかわからんが、そのために隠れて稽古しておくか。
三亀松の都々逸、ああはいかない。当たり前や。
宮川町 某店