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我、弁明せず

2011-05-07 01:30:45 | 
ゴールデンウィークに2冊の本を読んだ。

藤沢周平「漆の実のみのる国」、江上剛「我、弁明せず」である。
組織トップのあり方、生き方について考えさせられた。見事である。

表題の本は、三井グループトップ、後に蔵相になった、池田成彬(せいひん)の生涯を書いたものである。公儀第一という生き方を貫き、優先順位のはっきりした行動をした
エリートである。サムライ魂を持った明治の男の気骨を感じさせる。サムライといえば上杉鷹山も米沢藩の出身である。会津、米沢というのは人材の宝庫だったのだろうか。

慶應義塾からハーバード大へ進み、帰国後ジャーナリストを目指して福沢諭吉の
主催する時事新報に入社したが、そりが合わず3週間で退社。三井銀行に転身す
る。そこで次第に手腕を発揮し、米山梅吉(日本ロータリークラブ創設者)など
と共に海外銀行事情調査に派遣される。

海外事情に精通した、公平な判断力は留学時とこのときに養われたのだろう。硫
黄島の戦闘指揮官栗山中将を思い出す。金解禁、昭和恐慌などを乗り切り、銀行
を軌道に載せ(当時の銀行は現代と違い基盤は脆弱で、景気変動の度にいくつか
の銀行が潰れていった)次第に銀行中枢に上り、やがてトップになる。

そして三井財閥のトップ(三井合名会社常務理事)に着くや、資本と経営の分離、
資本の公開などを推進した。一方時局は陸軍の独走を防げぬまま、軍国主義に傾
くが、成彬は欧米派として、欧米との協調を主張した。一方北一輝や青年将校な
どとも関係を持つ。

第一次近衛内閣のおり、蔵相兼商工省に就任。以降政治に関与することになり、
一時は首班にも名を挙げられたが軍部の反対で実現しなかったという。いよいよ
戦争に突入し、息子の出征を巡り東条英機とのやり取りがあったと、触れている
が、さもありなんというかんじである。終戦処理にも力を尽くし、戦後は吉田茂
の相談相手として過ごす。昭和25年83歳の生涯を閉じた。信念に生きた、腹
の据わった人だったらしい。

表題は、サムライの系譜を受け継ぐ人らしく、言い訳をしなかった生き方を指
す。今の政治家各位に聞かせたいセリフだ。