遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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春は一挙に

2011-05-14 21:47:35 | 雑感
寒いところでは春は一挙に来るようだ。

今年は桜が少し遅かったように、なんだか春の訪れが一週間ほどおそいようだ。
きっと震災地でも一斉の花が咲いているのだろう。

今私がいる蓼科もご多分にもれず、桜は一週間ほど遅いようだ。しかし信州の春
は一気に訪れる。

家の周りにも、散歩に出た道端でも春爛漫、いろいろな花の花盛りである。
ちょっと皆さんにもお裾分け。


庭先に咲くすみれ

ちょっと貧相な水仙

隣のうちの桜が咲いている

近所のつつじも咲き始めた

レンギョウは真っ盛りを迎えた

石楠花と桜

ゆきやなぎも盛りだ


連休の潮干狩り

2011-05-12 13:35:01 | 行ってきました

大型連休の最終日。

東京の長男の家で過ごしていた。
のんびり起きて、ぼんやりしていたら、「おっ!干潮は1時52分、震災自粛と
放射能の恐怖で東京湾の潮干狩り場は空き加減」というネットニュースを読んだ
息子が「よーし行こう!」と腰を上げた。連休中の家族に対する不義理を、ここで一挙
に回復する腹つもりだ。


最盛時にはこの倍位の人がいた。

というわけで、アクアラインを渡り、千葉木更津の金田海岸へとやってきた。
たしかにシーズンではあるが、渋滞はない。スムーズに到着。途中のコンビニは
お客でごった返していた。

家で「お弁当を準備して、行楽に出る」というより、「手早くコンビニで買い揃
えて目的地に向かう」という家族が大半なのか。我々も、しこたま昼飯やアルコー
ル類を買い込む。

大きなホテルの横の潮干狩り場駐車場はたしかに余裕があり、難なく目的地に。
海は沖合遠くまで干上がり、それでもかなりの人が楽しんでいた。気温はぐんぐん上
がり、25度を越しているだろう。海岸沿いの風が気持ち良い。のんびり荷物番
をしながら、昼間酒を飲む。冷えたビール、ハイボールが喉に沁みる。


本日の成果。大漁大漁。

12時30分頃出て行った息子の家族は、人が半分以上帰った干潟に、3時近く
まで頑張り、バケツ2杯の大漁だった。持ち帰り量が制限されているので、小さ
い粒は放流してくる始末。

春霞に煙る海ホタルを経て、無事帰還。夜は大量のアサリの酒蒸しを肴にまた一
杯やって、ご機嫌であった。おまけにこの日は母の日。小学校の孫ふたりが、お
母さんのために晩ご飯の料理をこしらえるという、おまけ付きであった。


アクアラインは霞に煙っていた。

あたたかい雰囲気に満ちた息子の家庭で、連休最後の一日を過ごし、翌朝満足し
て帰路についた。

我、弁明せず

2011-05-07 01:30:45 | 
ゴールデンウィークに2冊の本を読んだ。

藤沢周平「漆の実のみのる国」、江上剛「我、弁明せず」である。
組織トップのあり方、生き方について考えさせられた。見事である。

表題の本は、三井グループトップ、後に蔵相になった、池田成彬(せいひん)の生涯を書いたものである。公儀第一という生き方を貫き、優先順位のはっきりした行動をした
エリートである。サムライ魂を持った明治の男の気骨を感じさせる。サムライといえば上杉鷹山も米沢藩の出身である。会津、米沢というのは人材の宝庫だったのだろうか。

慶應義塾からハーバード大へ進み、帰国後ジャーナリストを目指して福沢諭吉の
主催する時事新報に入社したが、そりが合わず3週間で退社。三井銀行に転身す
る。そこで次第に手腕を発揮し、米山梅吉(日本ロータリークラブ創設者)など
と共に海外銀行事情調査に派遣される。

海外事情に精通した、公平な判断力は留学時とこのときに養われたのだろう。硫
黄島の戦闘指揮官栗山中将を思い出す。金解禁、昭和恐慌などを乗り切り、銀行
を軌道に載せ(当時の銀行は現代と違い基盤は脆弱で、景気変動の度にいくつか
の銀行が潰れていった)次第に銀行中枢に上り、やがてトップになる。

そして三井財閥のトップ(三井合名会社常務理事)に着くや、資本と経営の分離、
資本の公開などを推進した。一方時局は陸軍の独走を防げぬまま、軍国主義に傾
くが、成彬は欧米派として、欧米との協調を主張した。一方北一輝や青年将校な
どとも関係を持つ。

第一次近衛内閣のおり、蔵相兼商工省に就任。以降政治に関与することになり、
一時は首班にも名を挙げられたが軍部の反対で実現しなかったという。いよいよ
戦争に突入し、息子の出征を巡り東条英機とのやり取りがあったと、触れている
が、さもありなんというかんじである。終戦処理にも力を尽くし、戦後は吉田茂
の相談相手として過ごす。昭和25年83歳の生涯を閉じた。信念に生きた、腹
の据わった人だったらしい。

表題は、サムライの系譜を受け継ぐ人らしく、言い訳をしなかった生き方を指
す。今の政治家各位に聞かせたいセリフだ。


漆の実のみのる国

2011-05-04 12:04:38 | 雑感

東北 米沢藩主 上杉鷹山を描いた、藤沢周平の遺作とも言うべき作品。
史実をよく辿っているが、単なる記録の羅列にとどまらず、小説としても面白い。

鷹山はケネディ大統領、及び彼を尊敬するクリントン大統領が、尊敬する日本人
の一人に挙げたということで再認識された人である。藤沢周平全集24巻で読ん
だ。

米沢藩は越後上杉謙信の120万石を継いだ上杉景勝が関ヶ原の戦いの後、家康
に30万石に減封され、さらに後継ぎを定めるついて不手際があり、またその半
分の16万石にされる。しかし格式と家臣の数は殆どそのままの国を受け継いだ。
収入が1/9になっても支出はほぼそのままというとてつもない状況に陥った藩の
家臣とリーダーが藩の窮乏と戦う生き方を描いた物語である。

鷹山のことは、童門冬二の小説で読み、リーダーシップのあり方について感激し
たことはあるが、この藤沢版のほうがはリアリテイがある。単なる藩財政の成功
物語ではなく、果てしない窮乏との戦いの様子を描いたものである。
この状況を読むと、現在の日本の財政などはまだ良い方だと思えてくるほどだ。

当時の窮乏している藩の状況、そのなかで、良くはやっているが、抜本的な改革
はできず、ずるずると悪化の一途をたどる鷹山の義父政権。改革派が時の宰相を
断罪し政権交代を図り、改革を始める。徹底的な倹約で基礎財政を改善し更に、
前途に希望の持てる産業改善策を行う。その段階で、またも守旧派との争いが起
きる。そこで上訴に対し鷹山は事実の確認を慎重に行った上事情を聴取し、事実
を確認の上、守旧派を処分する。その後も処分した家の救済、義父に対する孝行、
更に改革を進めた宰相が、藩規を犯して失脚する事態が発生し、共に改革を進め
てきた朋輩も辞職する。天災、幕府の御用出金、など現実にあっただろうと思わ
れる事態も絡み、複雑な経緯が描かれている。しかし果てしのない藩財政窮乏化
との戦いは続く。遺作というだけあって、最後の方はやや描き足りない部分もあ
るが、徳川末期に向かう空気を反映した、名作と言える。

なによりも、現在の政治家が心がけるべき、トップのあり方、官僚の使い方がえ
がかれている。それだけではない。経営者が見習うべき点も多いのではないか。
社会、組織の動き方をよく掴んでいる藤沢ならではの重厚な作品である。痛快な
も筋立てではないが、考えさせられることの多い小説だ。

豪農の館で昼の宴

2011-05-03 08:01:10 | 雑感

豪壮な作りの家である


滞在している別荘地の一角に、周りの家とちょっと雰囲気の変わった、大きな和
風建築の家がある。散歩の折り、その前を通りながら「なんだろう?」と感じて
いた。関東のガス会社の厚生寮らしい。家内がネットで調べた。
一般の人も、一週間前に予約をすれば、利用出来るという。原則一日一席だ。

ゴールデンウイーク真っ只中の一時を過ごした。
義兄、義姉の快気祝いの席をここで設けることにたのである。

入ってみて驚いた。なるほど、豪壮な造りである。福井の養蚕農家の家を移築したのだそうだ。150年前の家で、松、檜、欅がふんだんに使われている。尺余の大黒柱、太い梁が走っている。2室ある宿泊部屋は、和風スイートの趣だ。


宴の席

小さなコンサートも行う大リビングルームの横が食堂である。ゆったりと空間が広がり、
気持ちが安らぐ。ここで昼席のコースを頂く。


前菜三種とグリーンスープ

筍と鯛のヨーグルトソースかけ

牛肉の炙り(食べかけ。ウマそうなのでつい箸が先行する)

山菜の天麩羅(この前に雑炊風箸休めが来たが、思わず食べてしまった)

最後の雑炊

デザートと地酒「一瓢」
前菜は、ホタルイカとぜんまいの味噌和え、甘エビの酒盗まぶし、こしあぶらの
胡麻汚し、と春の山菜で洒落ている。酒は信濃錦の辛口吟醸「一瓢」を選んだ。
これがまた料理に合う。続いて筍と鯛のヨーグルトソースかけ。ここのシェフは
和風素材を洋風にあしらうのが得意のようだ。ここでグリーンスープ。さらに牛
肉を炭火であぶり、雑炊風の箸休めと進む。これで終わりだなと感じていたら、
天麩羅、雑炊、デザートが出てくる。いずれも品よく、味もスマートである。酒
が進むこと。器も吟味してあり、料理にマッチしている。いずれにしても昼間の
酒はよくまわる。気分が良く、滞在3時間を超えてしまった。会話が弾み、いさ
さか酔っ払った。

我々総勢6人だけでこの空間を独占し、料理を楽しんだ。中居さん(社員?)も気持よく接遇してくれる。営業べースではとても赤字だろう。会社の付属施設だからできるサービスだ。
とても気持ちよく、贅沢な時間を過ごさせていただいた。満足した連休の一日である。

定食的旅行 2

2011-05-01 10:01:20 | 行ってきました

こういう、一泊二日バスの旅。過去なんども味わってきた定食のような旅は、新
鮮味はないが、安定感があり、癒しになる。歳を取ってきたなあ、と感じる瞬間
だ。訪れるところもほとんど行った事のあるところなので、ガツガツしない。
ベテランのバスガイドが、わざとらしくなく、メンバーを盛り上げてくれるのも
嬉しい。


朝の嵐山 好天に恵まれる

トロッコ駅

トロッコ列車

二日目の朝は少し早く宿を出発。一番列車に乗るべく、徒歩でトロッコ嵯峨駅へ。
首尾よく、乗車。トロッコ列車は大堰川沿いにゴトゴトと走り、保津峡を巡り、
のんびり亀岡へ。昨年は江ノ電に乗ったが最近はこんなのが流行りなのだろうか。
車椅子の仲間は、バスで駅の終点へ先回り。


列車からの風景

嵐山へ戻って、少し早めの昼食を取り、錦市場へ。
ここは結構人が出ていた。安くはないが、ウマそうなものが並ぶ。京野菜、京漬
物、海産物、練り物、惣菜、若狭の干物、琵琶湖の珍味、等々。スウィーツまで
ある。昼飯後なので、手が出ないのが良かった。空腹だったら色々なものを買い
込んだのだろう。買ったものはちりめん山椒と漬物5種類だけに留める。


錦市場

仲間は皆大きな荷物をぶら下げてバスに戻った。
都をどり見物。祇園歌舞練場へ。ここもまずまずの人出。客席は9割ほどの入り。
上がり框に芸妓さんが、東日本大震災の義援金募金に立っていたのには驚いた。
昔ながらの舞妓と芸妓のきらびやかな踊り。厳しい稽古を積んでいるのだろう。
それなりに見せるのだが、見る方の私の鑑賞眼が足りない。今回も途中でうつら
うつらとしてしまった。


路地からチラリと見えた八坂の五重塔

終わって、帰りがけに井筒八つ橋本舗へ立ち寄る。観光バスの人人人。試食の山
と、掛け声を上げる店員の数。お茶のサービスもあり、盛況である。ここらあた
りは大津算盤発祥の地でもあるそうだ。


大混雑の井筒屋本舗

そろばん発祥の地の標識

こうして、何の変哲もない京都旅行は楽しく終わったが、おまけがあった。

バスを自宅の近くで止めてもらい、一足先に降りたのだが、くだんの仲間も降り
て帰るという。幹事役が荷物と車椅子は後で届けると言ったので、、二人で降り
た。
彼は杖を付いているがどうも危なっかしい。放っておけず、自宅近くまで送るこ
とにした。一緒に少し歩くが、足元がおぼつかない。肩を貸してもズルズルと崩
れてしまう。2・300m歩いて完全に倒れて動けなくなった。通りすがりの通勤帰
りの人が、状況を見かねて「救急車を呼びましょう」と言ってくれた。

119番通報した携帯を代わってくれといったので、代わると、救急本部から色
々聞かれる。男か女か、何歳くらいか、意識はあるか、打ったところはないか、
持病持ちか、お前は誰か、などなど、細かくしつこい。「それより早く救急車を出せ」といっ
たら、「もう既に現地に向かっている」「搬送中の救急治療指針に必要な情報収
集だ」という。なるほど。

救急隊は5分くらいで到着し、現地に着いてからの対応もてきぱきとしていて、
無駄がなく好感を持てた。消防車が先導して到着しその後救急車が来た。娘さん
も駆けつけてきた。親切な人や、救急隊のお陰で、一応急場はしのげた。ありがたい。

古希の祈祷の際の住職の言葉「これからは他人のために生きるよう心がけなさい」
が多少はできたか。