blog 福祉農園通信・龍神伝心

アジアモンスーンに吹かれて
共生の農業
見沼田んぼ福祉農園 

自然保護からの脱原発宣言 02

2012-09-11 | 龍神伝心

自然保護からの脱原発宣言 02

「地球温暖化」「持続可能性」を改めて考えてみる
それでも、「原子力発電によるエネルギー利用は、
地球温暖化の切り札でなかったのか」
「原発を止めていいのか。火力発電を稼働させることで、地球温暖化が進行し、
生物多様性がより多く失われるのではないか」、そのような意見が多く聞かれる。
しかし、この考えは二重の意味で間違っている。
原発は実際の発電の過程では二酸化炭素を出さないが、
発電の過程に至るまでのウラン原石採鉱や濃縮などの核燃料生産や、
使用済み核燃料の再処理、
さらに、それらの過程で出た高レベル、
低レベルの放射性廃棄物の処理過程で多くのエネルギーを消費し、
二酸化炭素を出すだけでなくその過程にかかわる地域で自然に大きな悪影響を与える。

また、地球温暖化の問題は、
そもそもわたしたちが化石燃料や核燃料など、
地中に埋蔵している自然資源を野放図に使用して現在の生活を
築いてきたことを根本的に見直さなければならないという問題であり、
二酸化炭素さえ減らせば解決するということではない。
わたしたちが現在のエネルギーの大量生産、大量消費に
依存した社会からの大きな転換を進めなければならないし、
そのことこそが「自然保護」ということで
今まで私たちが主張してきたことであったはずである。
最低限「節電」という形で私たち自身の生活形態を見直し、
エネルギーの集中生産、都市での集中消費から抜け出し、
分散型エネルギー生産、消費社会を築き上げることこそが、
地球温暖化を防止していくためのもっとも本質的で重要な方策なのである。

野放図な開発が中心的に行われそれに抵抗する形で存在していたときには、
「自然保護」は、特定の生物種や生態系の保護を中心に訴えざるを得なかった。
しかし、今や、「自然保護」は、そのような段階から、
精神的な意味においても真の豊かさを実現するために、
自然と良好な関係を持ちつつ、
それぞれの地域で持続可能な社会を築き上げていくことを実現するための活動に、
中心的な主眼が移ってきた。
その意味においては、
エネルギーの地産地消につながるような分散型社会の中で、
地域のエネルギー資源を再生可能な形で利用していくあり方こそが、
「自然保護」の究極の目標となる。
原発は、21世紀においては時代遅れの技術でしかない。
そのような時代遅れの技術に、
膨大な予算をかけて進めてきた「エネルギー政策」のあり方、
「温暖化対策」のあり方こそ、今こそ見直されなければならない。

エネルギー利用と自然保護ーーー人間の未来にむけて
現在、再生可能エネルギーの固定価格買取制度が施行され、
その制度の問題もあって、自然エネルギーなどの再生可能エネルギーは、
一見バブルな時代に突入し、
そのことが「自然保護」とさまざまな衝突を起こし始めている。
自然エネルギーは、
原発と比べると圧倒的にリスクは低いものの、さまざまなリスクが存在し、
それらは人々の生活に悪い影響を及ぼす可能性や、
生態系保全にもさまざまな問題をはらむ。
自然エネルギーだからと無条件に進めるべきものではない。

そして、私たちのエネルギー利用のあり方を再考すること、
利用の量を減らすことも重要だが、
地域社会のさまざまななりわいや生活などとの関係の中で、
エネルギー利用を特化して、
そのリスクが特定の人たちに不公正に分配されることは防がなければならない。
リスクを可能な限り小さくしていき、
小さくなったリスクを地域社会のさまざまな活動の中で分散し、
それをうまく分かち合える可能性を模索せねばならない。

一方、原発の再稼働をはじめ、
3・11に際した多くの人たちの反省を無にするような形で、
逆行したエネルギー政策が進められている。
電力が足らないのではなく、
電力会社の経営上の問題から再稼働が語られる異常な状況が続いている。
現在、ただでさえ使用済核燃料が多く蓄積し、
大量の高レベル、低レベル放射性廃棄物の処分に関して何も決まっていない中で、
運転が続けばその廃棄物の量は増えるばかりである。
福島原発事故から広範に拡散された放射性物質の「除染」や、
また、今後の廃炉も含め、放射性廃棄物の処分は未来世代に大きな負担を残し、
今なお解決の見通しはない。
再稼働によりさらなる廃棄物の蓄積を行っていくことは、
さまざまな意味で、犯罪的でさえある。

持続可能な社会を構築し、持続可能なエネルギー利用をどのように可能にしていくのか。
その中でしか問題を解決していくことはできない。
「自然保護」は原子力発電などの原子力利用とは根本的に相いれることはない。
直ちに「脱原発」を実施していくことしか、日本の未来は語れない。
自然保護からの脱原発宣言である。

会報『自然保護』2012年9・10月号「この問題私はこう見る」より転載
著者:鬼頭秀一 東京大学大学院教授。専門は環境倫理学。NACS-J参与。

(写真:2011年5月21日、川俣町。)


サイサン環境基金会長 川本宜彦さん逝く

2012-09-10 | 龍神伝心

サイサン環境基金の会長川本宜彦さんが4日に他界された。
この訃報に接し、福祉農園に訪れってくれた折り、
少年のような好奇の目で、人にそして、作物に見入る様子を思い出す。


写真は、2010年5月23日、サイサン環境基金の川本会長が
見沼田んぼ福祉農園を訪れた時の記録。哀惜、今は懐かし。


天国の川本さんへ哀悼の意を見沼から送ります。合掌


9月9日 誰もいない

2012-09-09 | 農作業
女性スタッフが一人で作業しているというので急ぎ農園へ
入れ違いで女性スタッフは帰ってしまったようで
きゅうり撤収後のところ2畝、にんにくを植えられていた。 
 
第3農園のネギと八頭が順調に生育していることを確認。
水路沿いに第2農園へ。
関東平野では渇水は心配されているが見沼代用水は水に溢れている。

第2農園のネギも順調

第1農園 誰も居ない。




2時頃から少しだけ、作業しました。空芯菜、えごまの手入れ。雑草取り。
自分が着いたらもうだれもいなかったです。by潤

9月8日 今日も種蒔き、季節が行き畑も変わる

2012-09-09 | 農作業


隣の畑の清水さんに谷中生姜を頂く、帰宅後頂く美味し。

■作業内容第3農園:除草、大根の植え付け準備(耕運機がけ、畝立て)

第1農園:甘唐辛子の手入れ、キャベツ耕運機がけ

きゅうり撤収、除草、ブロッコリーの寒冷紗がけ

・白菜の種蒔き、ほうれん草の種蒔き

最後にアメリカシロヒトリの駆除作業



  朝、浦和の市街地では大雨が降っていましたが、
農園では最後まで降らず、涼しい中で作業できました。
今日も種蒔きをし、
季節が変わるとともに畑も変わってきました。by純三


9月7日北浦和ふれあい通りへ

2012-09-08 | 共生社会のデザイン
障害児の高校進学全国交流集会の打ち合わせで熊谷まで、
こっぺこと猪瀬浩平さんと出かけた帰り、

見てゆきますか?と言うので、
彼の所謂「吾等が家」を見物に北浦和に立ち寄る。
ボランティア学会二日目の舞台になった場所だが
私は初日しか出てないので、
てっきり東口の浦高通りだと思い込んでいた。

なんとかねてから下町風のごちゃごちゃした雰囲気が続く
たたずまいがいいなあと思っていた西口の通りではないか。
かって与野高校定時制を受けて
足きりされたMさんの家に通った道筋だ。
1950年代からにぎわいを維持し続け
ここへきてようやくかげりを見せ始めた歴史ある商店街に
若者(ならずもの)たちが居を構える。
その3階建てのビルの裏は
スナック街で哀愁と猥雑さがないまぜの一角で、
それを借景にして1階をカフェにして農園の野菜を置いて、
それから…とこっぺの語りは続く。
店々の灯りがしみる。
隣の和菓子屋さんでおはぎ
を買い
ほおばりながら帰ってきた。by山下

9月6日 秋の気配

2012-09-06 | 季節の便り


見沼田んぼ福祉農園 本日の作業報告
気温35度と予報が出てましたが前日に雨が降ったこともあり、
だいぶ涼しく作業がかなりしやすくなったので
全範囲にわたり、除草することができました。本当に感謝です。
 さらに、藤枝さん監修のもと、
雑草と一緒に抜いてしまったニラを再度畑のまわりに植え直しました。
5cm程度に切って植えてあるので、抜かないように気を付けてください。
 いますぐに植え付けができるくらい畑がキレイになったので
今週末、どっちか作業参加しようと思います。
どうにか雨がもってくれることを願いつつ・・by aoi

15:00すぎ 埼玉越谷の熱い街に雷鳴がとどろき約束通りの夕立
朝からエアコンを使わず扇風機もない職場参加ビューロー世一緒

自然のクーラーが入り、チラシを折る手もはかどる。

今日の夕方、雨上がりはどこも夕焼けが綺麗だったみたい。
埼玉春日部恩間新田もこんなだったよ。
by hiratyu

川越あたりはかなり雨が降ったようで、
息子の学校は集団下校に
急遽変更されたらしい。
 夕方にはすっかりその雨も上がり、
西の空が真っ赤に染まってい
た。
明日も良い天気になりそうだ。by善太

宮城県角田の夕日  http://khori.asablo.jp/blog/
ダイナミックな夕日に会いました。
太陽と反対側は、ちょうど浜と角田を隔てる山並みです。
いつも、海側から白い靄が尾根を越えてくるのですが、
時にはヤマセとなって、
その白い靄までが薄紅色に染まっていました。
対する、まさに沈もうとする西日は、
神々しいまでの燃える光の矢を、
まっすぐに空へ向かって放っています。
あすの朝は30度まで気温が下がりますが
日中は30度を越えそうです。
 どじゅう日記より


ショップ運営事務局会議

2012-09-05 | 共生社会のデザイン
県庁第2庁舎1階ロビーのアンテナショップかっぽ前で
例のショップ運営協議会事務局会議。

今日はかっぽの「面白さ」が話題に。
あちこちの役所にある施設等が共同運営する店とも違う。
施設だけでなく
障害者個人がペアやグル
ープを組んで店番に入るケースもある。
労支援利用者のグループが午後販売に入ることもある。
に引きこもっているがこの日だけは支援者と出かけてくる人もいる。
浮世床、浮世風呂ならぬ浮世店。
店とは元来「見せ」。
施設や個人が作りだした品を見せる、活動や生きざまを見せる。
県庁というすばらしくパブリックな舞台で自分やその分身を見せることで、
孤独や不安が強まる日常とももう少しつきあって生き続けようかと思える。
廃村に通って田んぼを続けたり、
シャッター商店街で店を開け続ける
高齢者たちのモチベーションにも通底する「面白さ」

これからの社会が大切にすべきこと。by山下浩志

9月29日に「内部被ばくを生き抜く」上映会開催

2012-09-02 | 風の備忘録 


9月29日(土曜日)1時より
誰もが共に生きる地域をまざすぺんぎん村主催

鎌仲ひとみ監督作品
「内部被ばくを生きる抜く」の上映
負けねど飯舘の安齋徹さんのお話

岸町公民館で開催。 
9月29日(土曜日)1時開場

参加費1000円

「内部被ばくを生き抜く」
肥田舜太郎さん、鎌田實さん、児玉龍彦さん、
スワルニコワ・バレンチナさんの年齢も経歴も違う
内部被ばくに関する医療活動を続けてきた
4人の医師の内部被ばくについて積み重ねてきた体験や研究から、
これからどう対処していけばいいか、それぞれ語っています。
 

負けねど飯舘の安齋さんは

3.11以降、福島県伊達市の仮設住宅で暮らしつつ、
愛する飯舘村を戻せプロジェクト負けねど飯舘!!に参加しています。
28日には「飯舘村の1年半のできごと」と題して話をして頂きます。
安齋さんは月に一回、
見沼田んぼ福祉農園を訪れ一緒に農作業をしてくれています。

 3.11以降
未来がこれまでと同じ世界であると信じることが出来なくなった。
未来を生きる子とも達に私たちは何を残せるのか、
何を残してはいけないのか、映画を見て、
安齋さんの話を聞いて、私たちは、なにができるか、
何をしていくのがいいのか、改めて考えたい。
皆さんのおいでをお待ちしています。

誰もが共に生きる地域をまざす 
ぺんぎん村 連絡先zwr02003@nifty.ne.jp

未知なる危機に備えて
監督 鎌仲ひとみ

 
2011年3月に起きた東北大震災によって
原発が4つも爆発してしまった、
その後の世界に私たちは生きている。

大量の放射性物質が放出され、
広範囲に拡散したことは解っているが、
ではどれだけ出たのか実は正確な情報がない。

放射性物質は環境に溶け込み、生態系に入り込んだ。
呼吸や汚染された水・食品を通じて引き起こされる内部被ばくは、
この時代に生きる私たち全員の問題となった。

これからいったい何が起きるのか、
正確に予測できる人は実はいない。

ただできることはありとあらゆる情報と可能性を吟味して、
「命」を守る努力をするということだ。
放射能は様々な局面で「命」の脅威となりえる。
私たちは生き抜かねばならない、
そのためのささやかな助けとなればとこの作品を作った。