blog 福祉農園通信・龍神伝心

アジアモンスーンに吹かれて
共生の農業
見沼田んぼ福祉農園 

2005年9月 龍神伝心 30年前の加田屋川は下まで水が澄んでゴクゴク飲めた

2008-03-18 | 龍神伝心
サバイバルキャンプの折、日頃からお世話になっている、
地元の厚沢正栄さんと清水卯吉さんに「見沼夜話」ということでお話を伺った。


田尻の畑作

厚沢さんの話によると
「この辺(福祉農園)は田尻といって、昔から畑作をしていた。川のそばは水はけが良かったから、芋とか麦とか、トマトやきゅうりも作っていた」という。
保全運動のーダーが「見沼田んぼで畑作をするのは間違いだ、福祉農園はその意味でもあってはならい」言っていたが、
福祉農園で畑作をやるのは、実は利にかなったことなのだ。

30年前の加田屋川は下まで水が澄んでゴクゴク飲めた
「加田屋川は、いつ頃まで綺麗だったのですか」と聞くと、
厚沢さんは
「だいたい昭和45年くらいまでだ。芝川だって加田屋川だって、こんな澱んだ流れじゃなかった、こんな澱んだ臭い水じゃかった。
下まで水が澄んでてゴクゴク飲めたものだ。
その頃の見沼代用水も加田屋川も、下が今みたいにヘドロじゃないんだ。
加田屋川の川底は粘土質でツルツルしていて、長い藻がいっぱい生えていて、ヘドロがないから魚もいっぱいいた。
ヘドロがないってことは、余計なゴミもないわけだ。ミがないから流れを妨げるものがなくて流れが速かった。
流れが速かったから、水が澄んで魚はいる、ウナギはいる。藻は生える。川底に穴があいて、ここにはウナギがいっぱいいた。
手でウナギを追い出した。うまい人は手づかみでウナギを獲った」。
清水さんが「今、加田屋堀に鯉がいるけど、危なくて食えない」と言うと
厚沢さんが
「昔は鯉はいなかった。コイは水の綺麗な所に棲まないから。
その頃の見沼の空はね、真っ青に澄んで、天の川が一年中キラキラしていた。流れ星がサーサーっと流れて、あれが怖くてな」と話していた。
夜空に天の川が横たわり、満天の星空に流れ星の閃光が白くたなびいて恐れを抱くくらいに清んだ夜空が見沼を被っていた。

30年前の加田屋川は下まで水が澄んでゴクゴク飲めたという。
上流の住宅地から流れ込む生活排水で澱み、川底にヘドロが堆積し悪臭が漂う、今の加田屋川からは想像も付かない。
見沼田んぼを汚したのは農業ではない、見沼田んぼの空を、水を、土を汚したのは都市側住民のエゴにほかならない。

福祉農園と俺たちは土で繋がっている
語りの中で清水卯吉さんから「我が家は農道の向こう側で畑やっているでしょ。私はここに来るのが楽しみなんですよ。
よくこんな暑いのに毎日やっているなって。我々百姓も、こりゃ負けちゃっちゃいけねえと思って。
こんなにいい歳しているのに、なにくそって思って、俺も頑張っているわけよ」。
厚沢さんからは「福祉農園と俺たちは土で繋がっている」との言葉を頂いた、どちらも心にしみる言葉だった。
毎日持続して福祉農園に通っているのは、
良太であり、小笠原さん、石原さん藤枝さん富沢さん、会員の農園担当者、農園ボランティアの方々そして風の学校の若者たちのことである。
農業の本質は持続と循環である。農の持続は信頼を育む。

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