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blog 福祉農園通信・龍神伝心

アジアモンスーンに吹かれて
共生の農業
見沼田んぼ福祉農園 

わらじの会月刊わらじ最新号より

2014-12-13 | 共生社会のデザイン
 
月刊わらじの最新号を読む。
表紙は11月23日の見沼
田んぼ福祉農園の収穫祭。
20年近く続いている総合県交
渉.
現在は埼玉障害者市民ネットワークが窓口。
当時は、
国際障害者年サイタマ5年目のつどいが窓口)で、
「街の
中の村づくり」として福祉農園構想が出されていたことが紹介される。
とともに、埼玉の都市化の中で逆説的に障害
者が生まれていく過程を描く。
 「村のありかたが、障害を形作る」。
であれば、障害の
ある人たちだけでなく、
学生、若者、浦和北ロータリーク
ラブの社長さんたち、
彼らが支援する留学生や若者たち、
そして飯舘村の安齋さん、
高知の島岡さんなど、様々は風
が吹いていく。
表紙の文章は、「その風が障害を、地域を
、国境を越えて、
土のにおいを通わす」で結ばれる。 

「克己絵日記」384号「赤子を抱く」にはうちの邑さんが初登場。
ちなみに母親もかつて登場したことあるので
、僕以外全員登場。
 また、ボランティア学...会会長の栗原彬さんも文章を寄せている。
ちなみに赤子を抱くを読んだ、孫にまごまごじいちゃん
は、
「うちの孫描いているのに、絵が手抜きだなと」つぶ
やいた。
うーむ。このような感覚こそが、埼玉の障害者運動だよな。byコッペ


12月12日 酉の市の夜の勉強会

2014-12-13 | 共生社会のデザイン

埼玉障害者市民ネットワーク主催
・夜の勉強会
「『アルジャーノンに花束を』と同時代に見る施設とノーマラーゼーション」。
講師・松永千恵子さん(国際医療福祉大学准教授)

松永さんは埼玉県障害者施策推進協議会委員で、
同協議会のワーキングチームで顔見知りの人も何人か。
 冒頭2003年に月刊「ノーマライゼーション」に自らが執筆た書評を読み上げる。
初めの一行。
「人間の知能指数(IQ)が低いことは悪いことであろうか、
もしそれが悪だとしたら、知能指数(IQ)が高いことは良いことで、
それは人としての幸せにつながるのだろうか?」
 この問いへの答えは文末に近い所で示されている。
「知能だけでは何の意味も持たない、
人間的な愛情の値打ちのない知能や教育なんて
何の値打ちもないと作者ダニエル・キイスは伝えている。
彼は知識を得る教育とともに、
人格を育成する道徳教育の必要性を訴えているのだ。
さらに、他者の存在、それはつまり社会的弱者の存在を認め、

種々の人間が共存する社会であることが本来の社会の姿だとも暗に主張している。
この考えは、1950年代当時、
アメリカで始まった自立生活支援運動や
ノーマライゼーションの理念に影響されているだろう。」
 ちなみに、この書評を彼女に依頼したのは、
編集委員の一人で文学者、
特養に暮して精力的に活動している脳性麻痺者・花田春兆氏とのこと。
 講演後の討論では、今日の日本の社会状況の下で、
本人とのつきあいを踏まえたオーダーメイドの専門性が必要と説く松永さんに対して、
会場から「アルジャーノン…」の論旨にあるように、
専門家ではなくさまざまな他者の中で生きることが大切なのではとの問いが続いた。
 松永さんの言う「オーダーメイドの専門性」を
パーソナルアシスタンスや社会的事業所等までつきつめれば、
それらは今日の「サービスに囲まれた生活」
「地域の施設化」を解体再編してゆく方向性と納得することもできる。
ただ、また同時に、そうした「共に生きる関係」すらも関わりない、
けんかしたりだまされたりを含むシャバで
ごちゃごちゃ生きる関係がますます問われてくる。
よくも悪くも個別支援のない通常学級や職場、
地域で、いじめられたり、かんちがいされたり、
一緒に悪いことをやったりしながら生きるとは、そういうことではないか。
そんなことを考えた。終了後の懇親会は、
そんな日常の一部だったかも。
 懇親会では、

通常学級で学び育った車イスのMさんの夫・Yさんと初めて出会った。
控えめで誠実な印象のYさんは、Mさんの書展の画像を楽しそうに見せてくれた。
その書展に何度か見に行ったことから、Mさんとの縁が深まったらしい。
状況は異なるにせよ、かってオランダから来たピープルファーストの男性が、
自分は施設からグループホームへ、
そしてアパートへと地域生活を実現してきたが、
どこまで行っても管理されているという思いが消えなかった、
その後結婚して、初めて地域で生きている実感を得た、
と語ったことを思い浮かべた。by山下浩志


見沼田んぼ福祉農園収穫祭点描

2014-11-30 | 共生社会のデザイン

 



見沼田んぼ福祉農園収穫祭に参加したわらじの会メンバーの情景。
フィナーレの「日曜日よりの使者」。
長年二人暮らしの母をみとったばかりのKさんが、
ワーワーと号泣しながら輪を作っている。
隣は、
やはり老母と生きている聾唖・弱視・下肢マヒの橋本画伯。

すべてが終わった後、とつぜん猪瀬邑さんを抱かされ、
驚愕しつつ満面笑みの橋本画伯。


11月28日 視察有り

2014-11-28 | 共生社会のデザイン

長崎市の高島町から視察にやってきてくれた。

高齢者の生き甲斐農園構想を実現するための視察とのこと。
軍艦島を含む4つの島からなる高島町という町、
人口は400人くらい、小中学校の生徒数は40人位だそうだ。

島の人にとって関東平野の広がりの中にある見沼田んぼに驚いていた。


11月27日28日耕耘機安全操作講習会

2014-11-28 | 共生社会のデザイン


本日、昨日と埼玉の福祉農園にて出張作業。
ここで働く知的障がいの方々も含めての安全操作講習会および、
集中機械メンテナンスを実施。
実は、ここは就農以前からの古巣でもある。
千葉で仕事をするようになってからは、滅多に行けなくなったが、
いつも作業をしていて気持ちのよい場所であることに変化はない。
健常者と障害を持った方が一緒に働くここの環境は、
近年その考え方が変化してきた。

噛み砕いて要約すると即ち、障害を持った々のために、
農園という就労環境を提供するという一般的なものから農園及び諸活動は、
障害のある方々が日々畑を耕しているからこそ維持されているものだ。
という感覚が関係者の中で共通の意識になりつつある。
社会的弱者という識別をし、
世間と隔離するように扱うことが当然だというように考えるか、
その人たちによっても自分は支えらていると考えるか、
どちらが精神や暮らしにゆとりや愉しさをもたらしてくれるだろうか?

本来、ボランティアスタッフとして9年近くの間
無償で技術や労働力を提供してきたはずの自分は、
二日ぶんの報酬を受けとることが出来た。しかもちゃんとした額面だ。
この重みと嬉しさ、一生忘れはしまい。
農園とともに、いつまでも健全な考えであり続けたい。
話は変わるが、この農園、相変わらず(古巣の)H社の機械が多い。

やりやすくていいけど、ラッキープロ、FF500、パンチ、新旧こまめ合計4台、
HRX536、HP250、EU9i…他のメーカーのもまだ沢山あるから、
一手に面倒を見ていると訳が分からなくなってくる。
役立つものなのか、よく知らぬまま開発をしていた頃から一転、
現場で学び実践を繰り返し続けてきた。
そして、やたら汎用性の高い人間になることが出来た…。
さしずめ機械に育てられたということか。
どうやら間違いのない結果だが、やっぱり皮肉にも違いないな。
汎用部門にも、自分にも。ここらで考えるのを止めよう。by太郎


11月23日 収穫祭 言葉を贈る

2014-11-24 | 共生社会のデザイン

浦和北ロータリクラブ、
浦和北ロータリークラブが応援する交換留学生のアトラクション
恋するフォーチュンクッキーを披露してくれた。


4月に亡くなった「見沼田んぼを愛する会」代表の
白井法さんの思い出を語る北原さん

       「農=あぐり」               「ぺんぎん村」

「わらじの会」

県庁の佐藤さん、見沼の哲人藤本さん、窪川原発を止めた島岡さん

様々な人々が多彩に語りかける  見沼田んぼ福祉農園収穫祭


韓国農漁村公社が福祉農園に治癒農業研修にやって来た

2014-11-11 | 共生社会のデザイン


韓国の農漁村公社15人が日本に治癒農業研修を行きます。
共に学び、共に育ち、共に生きる、
共生の農業の実現しているさいたま市見沼田んぼ福祉農園を訪問,
「誰もが共に」自然とふれあい、農を楽しみ、人と出会い、
関係を広げ良い趣旨に対する説明を聞きたいです。
最近では、韓国も農漁村の形が変わっており、
都市近郊の農業も活性化されて都市を離れて帰農をする人も多くなりました。
それでもまだ福祉農園に関することはたくさん不足します。
今回, 先進 日本の 福祉農園に対する説明を聞きたいです。
何分御多忙だとは存じますが国際交流の一環としてお引き受けくだされば幸いです。


福祉の農園の原点「地域で共に」の今

2014-11-05 | 共生社会のデザイン


 どの子も地域の公立高校へ・埼玉連絡会の教育局交渉。
 障害のある生徒の受験及び選抜上の配慮に関して
本人・保護者から出される措置願の取り扱いが焦点。
局は中学校段階ではインフルエンザや骨折などへの配慮もここに混入しており、
かつ実態も把握してこなかったことを認めた。
今後の説明会ではあらためて障害者基本法の「障害」に対応する制度であると、
説明し直すと回答した。
局の口癖の「公平・公正」とは正反対の事態が生じているのは偶然ではない。

 そもそもこの交渉の場は、
小学校就学時からの障害のある子を分け隔てる教育に対し、
地域で共に学び育つことの大切さを県と確認し合うことから始まった。
義務教育段階では本人・保護者の意志を尊重することを県は毎年確認し、
市町村の現場では排除もありながら共に学んでいる「障害児」が県内に数千人と推定される。

しかし高校は入試により子どもたちを公然と選別し、
共に学んできた「障害児」たちのほとんどが特別支援学校へ流されて行く。
そのことにより、障害のない子も含め選別強化が自然なこととみなされてしまう。
格差社会の下支えだ。
公立高校はそもそも共に生きる地域社会を創造するためにあるべきではないのか。

四半世紀にわたる交渉の議論を受け、
県は近隣他都県が重い知的障害のある生徒を積極的に受け止めている事例を研究し、
2010年度から選抜上の配慮(加点)を盛り込んだ。
だが総体としては選別の流れがさらに加速する中、
この配慮の意味も見失われ競争の道具化されていることが証明されたといえる。
本来の趣旨である積極的差別解消策が、あらためて問われている。

 幼い頃から分けられて大人になった重度重複障害のRさん。
交渉中ずっと眠っていたが、
]主席が言い訳し出したとき急に立ち上がり、主席のもとへ。
その後、
埼玉障害者市民ネットワーク代表野島さんが語り出したら、彼女のほうへ。

野島さんも分けられて大人になり、一人暮らしをしてから県立の定時制へ。
セーラー服を着たかったから。
高校では段差があり給食室へ行けず、
コンビニの食事。他の生徒はコンビニが大好きだが、
野島さんは給食が食べたかった。
分けられてきたからこそ、
統制と思われるような制度の中にも一緒に生きる関係を見出せる。
だからこそ、Rさんも含め、共に学び共に働くための取り組みを。

。障害のあるなしに関わらず、格差社会は人々の生活を限りなく分け隔て、
格差ピラミッドを緻密化してゆく。
各々が閉ざされた小世界の内で、
自己責任をあたりまえのように自らに強いながら自閉してゆく。
その構造を放置するならば、どのような支援策があろうと、
その支援そのものも分断を固定化する役割を果たす。
 「どの子も地域の公立高校へ!」 このメッセージは
、義務教育の美化やその高校への延長をストレートに意味するものではない。
いうなれば「希望者全員入学」だ。
 義務教育は子ども・若者を鋳型にはめ、
国家に奉仕し大企業の労働力として使いやすい人間を大量生産する。
感性豊かな子ども・若者ほど、その本質を嗅ぎ取り、不登校にいたる。
 そして、義務教育は鋳型にはまりにくい子ども・若者を振り分けて、
新たに別の鋳型にはめ込んでゆく。

の振り分けに抗い、
さまざまな存在が一緒にいてこそ人間社会じゃないかと地域に踏みとどまるのもまた
ごく自然な感性であり、成り行きだろう。
 通常学級、公立高校は決していいところではない。
でもいろんな子どもや若者がいて、悪いことも、たまにはいいことも、一緒に経験し合う。
不登校になるのも含めてだ。それが「地域で共に学び育つ」であり、
「どの子も地域の公立高校へ」なのだ。


10月24日見学者有り

2014-10-24 | 共生社会のデザイン


見学者有り、
さいたま市内に精神障害者の就労と自立ためにと
菌床栽培の施設を建設のための調査だた。

菌床栽栽培で出る糠や木くずなどをリサイクルすれば
農園の堆肥の原料として受け入れることになる、
土作りにとっても力になる、
今回の見学が、今後に繋がる出会いになればと思う。


10月12日わらじの会 大バザール

2014-10-16 | 共生社会のデザイン


はるかな時をこえて出会うわらじ大バザーの一日:
高校生の時武里団地に住み、わらじの会に関わったSさんとともに、
草加のケアホームにHさんを迎えに。

Hさんは通所していた施設から断られ、昼間もケアホームにいるという。
わらじ大バザーで、通所施設の友だちAくんと再会す。
そして四半世紀ぶりの出会いも。

Iくんは兄やHさんが県立高.校入学を求めて県知事応接室に三泊四日した時、
小学生でそこにいた。いまわが子Uさんを抱いて、Hさんとあいまみえる。

by浩志


見沼田んぼを愛する会代表白井法さんの訃報が届く。

2014-09-10 | 共生社会のデザイン

見沼田んぼを愛する会代表白井法さん逝く。

80年代の初頭、
河川の汚染ワースト全国1位から3位までを
埼玉の河川が独占していた時代だった。埼玉県の初代環境部長として
「緑と清流の埼玉」というスローガンの下に環境行政の基礎作りを進め、
退職後は乱開発から見沼田んぼを保全するため当時知事に抗して、
見沼田んぼを愛する会を作り見沼保全活動の礎を作ってくれた。
「子どもたちに残そう見沼田んぼ」「食卓と田園が絆を結ばれ日を夢見て」
これが見沼田んぼを愛する会」のテーマだった。
私にとって、見沼田んぼを子を残す活動が、孫に残す活動に変わったが、
食と農の絆でふるさとを守る、その思いは変わりない。
白井さんが示してくれた道を踏みして生きます。合掌。