6月27日(土)時折小雨降る中、ジャガイモの収穫を祝う収穫祭を行う。
予定より人数は減ったもののガールズスカウト、YMCA、
ユースサポート、のらんど、風の学校、わらじの会、ぺんぎん村、
交換留学生、アクト、妖怪、地域住民、チビッコ、浦和北ロータリ倶楽部と
多種多様な人々100人強が集った。
この縁が誰かを癒したり生活の助けに繋がればいい、そう思った。byたまき
雨の予報が出て親子によるジャガイモ堀は中止になったが、
そんな予報にも関わらず、
明治学院大から今年も多くの学生がやって来てくれた。
早速、昼食の手伝いをするもの、除草作業を始める人がいた。
百姓先生から「土はあるものではなく、作られるもの」との指導あり
堆肥場に散逸する草を集め、
切り返し作業を始めるものなど様々な活動をしてくれた。
作業が一段落したところで農園を回る。
この出会いが次に何を生み出すのかと思う。
今日は晴れの日なので
作業内容
第1農園:芝刈り、じゃがいもの収穫、トマトの誘引&芽かき&テグス張り、
各畑の除草、今泉さんの畑との境界の刈り払い、小麦の脱穀
第2農園:ハンマーナイフモアがけ、その他:刈り払い機のメンテナンス
再会と出会い
土曜日は勝俣誠さんが研究取材のため農園に初来園。
角田市農協青年部が小松光一さん、
猪瀬良一農園代表らと一緒に出した『いのちの風、農のこころ』を編集した
コモンズ代表の大江さんとも研究取材のために来園。
トヨタ財団研究助成の調査で、埼玉県・見沼たんぼ福祉農園へ。
今回の勝俣さん達の来園の目的は、
「農山村と都市の双方で営まれる「農の営み」に着目し、
現代社会の持続可能性を実現する価値軸のシフトについて分析することです。
経済成長を志向する現代社会の生産活動は、
有限な資源の収奪と大量廃棄による環境汚染によっ
成り立つ大量生産-大量消費を特徴としており、
持続不可能であることが認識されています。
また、貨幣的価値を第一義的な目的とする現代社会の労働は、
貨幣収入の増大を目指してきたが、それは必ずしも幸福感や生活の満足感と結びつい
ていません。これに対して近年、自然と共生し、
自律的な暮らしを目指す「農の営み」の実践と共感が、]
世代を超えて少しずつ着実に広がっています。
それは、「農の営み」が貨幣的価値だけではなく、
非貨幣的な価値や公共的な価値を大切にする普遍的意義を含んでいると考えられるからです。
研究会では、
農山村と都市で広がる多様な「農の営み」とそのサポートシステム(仕組みづくり)、
「農の営み」を選択した人々の生き方に着目しながら、
現代社会を持続可能な社会へとシフトする新しい価値軸について明らかにするとともに、
それに基づいた今後のライフスタイルのあり方を内外に提示したいと思っています。」だそうです。
大江君は、現在コモンズという出版社を立ち上げ、活躍している。
NPO法人学生耕作隊理事長として、
山口県宇部の楠クリーン村を拠点に
食、住まい、エネルギーの自給を行い、
アジアの農村とも交流を続ける高田夏実さんを囲み、トークライブ。
場所は今のところ北浦和イッカイ!
たかたさんの活動は以下へ。
http://kousakutai.net/
青少年の集まりだった「見沼・風の学校」彼らが
母になり父になり、子を産み育て始めた。
「農と食」をキーワードに「新たな共生社会」をデザインするのか、少し楽しみに
この春まで、県内の農業系県立高校の学んでいた少年が、
農大オホーツクキャンパスから急遽、母校の応援のために上京、
農園に挨拶に。農大応援団の団員として、エールを披露してくれた。
【告知】 NPO法人のらんど 設立記念シンポジウム開催します!
NPO法人のらんど設立記念シンポジウムを、開催いたします!
基調講演に東京農業大学の荒井歩准教授、
座談会にはNPO法人のらんど代表の猪瀬浩平、
農山漁村文化協会の甲斐良治氏、
さいたま市緑区.の農家、若谷真人氏にお話しいただきます♪
□日 時:4月26日(日)13:30~15:30
□場 所:浦和コミュニティセンター第8集会室
(浦和PARCO・コムナーレ10階)
□テーマ:さいたまの都市(まち)と農業を考える
プログラム
13:30 ~ 13:35
開会挨拶 NPO法人のらんど 代表理事 猪瀬浩平
13:35 ~ 14:15
基調講演:八潮市における都市型農業の農家・市民・行政の連携について
東京農業大学地域環境科学部造園科学科准教授 荒井歩氏
14:15 ~ 15:30
座談会:私たちが耕す、私たちの暮らし
NPO法人のらんど 代表理事 猪瀬浩平
社団法人・農山漁村文化協会 甲斐良治氏
さいたま市緑区若谷農園 若谷真人氏
ディスカッション 質疑応答【座談会内容】
NPO法人のらんどは、農業を通して、障害のある人たちを含め、
さまざまな違いを持った人たちが、生きがいや働きがいを手に入れ
安心して暮らせるまちを創り出すことを目指して活動をはじめました。
この座談会では、
都市と農業の間で活動をしてきた農業者、
ジャーナリスト、学者の方々の発言をうけながら、
私たちが生きる、さいたまのまちと、農ある暮らしを、いかに耕して行くのかを考えます。
15:30 閉会□
参加費:500円(会員、賛助会員は無料)
みなさま、ぜひお越しください♪
◎シンポジウムのチラシはこちらから↓
http://ameblo.jp/nolando/page-5.html
今日は2月の共同連で知り合った、
韓国からの使者カンさんの紹介で、
「分かち合いの教育」の実践者ジョンさんと、
ワーカーズコープの玉木さんが農園に来。
のらんどの農園作業を見学し、メンバーと交流し、
あぐりをまわり、そしてハンズオン埼玉まで案内する。...
カンさんの紹介で4月上旬にソウルで話題提供することになっており、
思った以上にかなりでかいイベント。
環境に関心ある自治体が世界各地から集まってくる会議に、
都市農業の事例として農園の話をする。
若干驚きつつ、ここからはじまっていく世界のことなどを思う。by coop
「障害者制度改革」埼玉セミナーは、
2009年に閣議決定により障がい者制度改革推進本部が設置され、
国連・障害者の権利条約批准のための国内法の整備について、
障害者が過半数の委員会が始まったという画期的な状況を、
地域でどう受け止めるか考える場として取り組まれました。
今回は、回を重ねてPart6。
開会にあたり、
主催の一般社団法人埼玉障害者自立生活協会副理事長の野島久美子さんより挨拶。
続いて、埼玉在住でDPI常任委員を務める金子和弘さんから一言。
今日の講師は、新しくDPI日本会議事務局長に就任した佐藤聡さん。
「総合支援法3年目の見直し+権利条約1年、これから」と題して。
佐藤さんは新潟県で子ども時代入所施設で過ごし
、ガラス張りで中が丸見えの部屋に愕然としたといいます。
また、月に3回しかない家族との面会日に子ども達が別れが悲しくて泣くにつけ、
なぜ障害がある子はここに集められなければならないのかと思ったそうです。
中2で地域の中学校に戻りたいと思い、校長に会った時、断られるかと思ったら、
「君はこの町の子どもなんだから、この学校に来るのはとうぜんですよ」と言われたそうです。
差別とインクルージョンの原体験を背負いつつ、佐藤さんは関西の大学に入り、
そこで学生仲間の中から介助者を募って学生寮で暮す頚損の学生と出会い、
障害者運動に関わるようになり、20数年になります。
今日の本題は、総合支援法3年目の見直しと差別解消法基本方針づくりが主でした。
見直しに関しては、
見直しのワーキンググループのヒアリングを受けた障害者関係団体の半数以上が、
重度訪問介護を知的障害者も精神障害者もちゃんと使えるよう提案しているのに、
厚労省はこれ以上拡大したくない意向で、
委員の多くも意思疎通などの問題から無理なんじゃないかという発言が多いとのことでした。
差別解消法基本方針づくりについては、
国連のインクルーシブ教育を文科省は「インクルーシブ教育システム」と言い換え、
分離教育を推進している現状に対する取り組みをという意見が会場から複数出され、
DPIとしても昨年度から教育部会を設置して重点的に取り組んでいると話されていました。
後半は、埼玉からの発信として、
入院時の介助に関し現在一部自治体で実施されているコミュニケーション支援事業に限らず、
重度訪問介護を適用できるようにという運動を始めている
鴻巣のNPO法人あんの沖田博さんからの報告がありました。
続いて、埼玉県独自の生活ホーム事業に関し、
県が入居者の食事づくりは世話人が行うべきという指導を行い、
途中で撤回した経緯について、わらじの会の吉田弘一さんから報告がありました。
関連して、上福岡障害者支援センター21の有山博さんから、
これは国が総合支援法の見直しの一環で、グループホームの外部サービス利用型を導入したが、
それは運営法人主体で外部のサービス事業者と契約するもので、
生活ホームの利用者が個々にヘルパーと契約している実態とまったく異なるのを、
県が混同したのだろうと説明がありました。
最後に、越谷市障害者生活支援センター「苞」の田名部憲一さんから、
以前から市からの委託相談支援を行ってきた同センターが、
国が全サービス利用者に計画相談支援をせよという方針に切り替わった中で、
どのような状況にあるかを報告しました。
同センターの場合、1月の新規相談17件中で、計画作成は5件です。
2012年10月~2015年1月を通して、129件にとどまり、手が回らない状況があります。
越谷市にはほかに主に精神関連の生活支援センターが2ヶ所。
いっぽう、計画作成だけを行う相談支援事業所が6ヶ所、新たにできました。
先日埼玉障害者自立生活協会で開催した勉強会では、
上福岡障害者支援センター21で新たに相談支援事業所を立ち上げ、
計画相談支援を始めた担当者から、これまで壁が厚かった入所施設や病院、
そして家庭の中に入れてもらって、本人とその周り、
そして自治体担当者とも同じ土俵で考える道がひらけたと、
前向きに受け止める発言がありました。
と同時に、今日も同センターの有山さんから離されていたように、
1件計画を作って1万3千円では人件費も出ない制度の現実があります。
佐藤さんによれば、DPIでも繰り返し厚労省に交渉しているが、
今回の報酬改定でも盛り込まれていないとのことでした。
終了後の懇親会では、久しぶりに金子さんとあれこれ語り合いました。
金子さんとは、35年前に彼が全国青い芝事務局長として埼玉に来られてからのつきあいですが、
来た理由は絵本作家だったお連れ合いが、
「キューポラのある街」を書いた早船ちよさんの近くに住みたいと切望されたからだと、
今日初めて聞きました。
その前、山形では「サークルきどう」という面白い運動体をやっていて500人くらいが結集したということも。
金子さんは、自分がいまここにいること自体不思議と述懐していました。
金子さんと一致したのは、
自分たちのかっての「がんばり」とは異なる形でいまの若い人たちも「かんばっている」こと。
ただ、障害者に限らず、人と人の関係の希薄さが増し、社会が細かく分け隔てられている中で
狭い世界にはまりこんで追いつめられてゆく。
自分たち年寄りのアバウトさを活かして、仕切りをちょっとはずしてゆくことも大事だなと。
そんな大宮の一日が暮れてゆく。by山下浩志
見沼田んぼ福祉農園のみなさんと事業所めぐり (2月22日)
セミナー翌日、
「地域活動支援センター 農(あぐり)」の7人を、やまぼうし平山台、
鈴木牧場、ふれあいの森カフェの三カ所を案内させていただいた。
見沼たんぼ福祉農園の豊かな経験を生かし
新たな事業構築を目指そうとする志の高さと気迫に圧倒される。
これからの事業連携も大いに楽しみです。bY伊藤勲
共同連主催・東京ワーカーズ・コレクティブ協同組合/
法政大学エッグドームカフェ運営協議会後援
第2回「農と食 若者 障がい者の社会的事業所」を創るセミナーに行ってきた。
NPO法人障害者の職場参加をすすめる会として、10名のデイツアー。
他に見沼田んぼ福祉農園推進協議会の猪瀬代表や
あぐりのメンバー他、さらに10名ほど埼玉から参加した。
「職場参加をすすめる会」では、
会場となった「やまぼうしスローワールドカフェ」を見て食事することが第一の目的で、第二がセミナー。
NPO法人やまぼうしへのデイツアーは、これで三回目になる。
前回は廃校になった小学校につくったカフェ等を訪ねた。
やまぼうしの前史である府中療育センター闘争から引き継がれた「施設から地域へ」の具体化として
「おちかわ屋」が街に出来たのが1985年。
わらじの会が障害者雇用事業所「トムテ」を開店したのが1987年。
既に名古屋や滋賀、大阪、熊本などで先行していた共に働く事業所の運動が全国的に連携し、
差別と闘う共同体連合(共同連の前身)が1984年に結成され、活発に動き始めていた。
自立に向ってはばたく家準備会が1983年にパタパタという店を谷中耳鼻科の前に開店して間もなく、
「そよ風のように街に出よう」の三井さんとたぶん八幡さんがリュックサックに本をつめてやってきたのを皮切りに、
大阪から次々といろんな人がわらじの会に来た。
そして、1985年、大阪で開く全障連大会では、
初めて「生きる場・作業所分科会」を設けるからぜひ参加してくれと、
大阪の中部解放センターやら東京の故・村田実さんやらが来てくれて、
全国的な動きに関わってゆくきっかけとなった。
自分たちにとっては、介助や労働が等価値であり、
障害者自立をすすめる介助者の制度をどう保障させるかということも、
金をどうもうけるかということも、
いまひとつピンと来ないままあちこちの会と熱く交流したことを思い出す。
全障連はそれまでの専門家・親主導の運動に対し、
障害者本人とその支援者による全国の活動をつなげることが目的であり、
とりわけ八木下浩一が実践した「共に学ぶ」の実践をベースに、
青い芝と故楠さんらの関西障害者解放研究会、
それに八木下浩一が組んで1976年に立ち上げた。
1985年の大阪大会はまさにその運動の転換期であり、
共に生きる健全者とどのような関係を結ぶのかがテーマとなった記念すべき年だった。
今日のセミナーでは、いろいろな収穫があったが、
あらためて共に生きる健全者が重要な課題として浮上したように思う。
八ヶ岳名水会からは、「職員の意識改革」として課題が提起された。
見沼田んぼ福祉農園の猪瀬事務局長からは、
「ぼくがいちばん若いほうでは」という言葉としてふれられた。
会場からは、若い職員をどう確保するかといった意味合いの問いが出されたように思う。
こうした課題について、
私が思うのは、東京都多摩市の「たこの木クラブ」発行の「たこの木通信」2月号で
三井さよさんが書いている「『がっつり系で働ける人たちをモデルにするのではなくて、
もっとダメな人がいっぱいいられる像を描けないだろうか』という話をしました。
そしてそういうことを考えることは、
当事者のことを考えることともつながっているのだろうということと。」という思いとつながっているなということ。
八ヶ岳名水会の話では、
「豆腐をもっと出せないのか」というスーパーなどからの要求があった時に、
障害者本人と一緒に説明に行くという。
そこで初めて「ああそうなんだね」と理解を売るという。そういうことって、よくある。
私たちが請け負っている県立公園の花壇整備作業では、
さまざまな施設から障害者3人と職員等1人とのユニットを組んで出て来る。
その中には、仕事がつかめず立ち歩いている人もいる。
しかし、そういう人がいることで、
放っておくと人の1.5倍も働いて疲れ追い込まれてしまううつ病の人がリラックスする。
調子が悪い人が、我慢せずトイレに行き、働き続けられる。
県立公園の管理を請け負っている公益財団法人の担当職員は折にふれ作業現場に立ち会っているので、
そうした関係の大事さをわかっている。
障害者がいると職場が癒されるといったワンパターンの論理ではなく、
なんだかんだごちゃごちゃとあって、
その結果として仕事が遂行されるんだよね、予定調和じゃなくて、みんながぶつかりあって、
その結果仕事が遂行される過程が大事なんだよねという、
ハラハラ ドキドキしたであろう外部の発注者等の反応こそ大きな意味を持つ。
筆者の経験では、入所施設の利用者が職場体験した時、
支援者に職場の主任の名を教えられ、始めと終わりに挨拶するよう教えられた。
その時初めて「人には名前があるんだ」と知ったらしい。
施設へ帰ってから、職員らの名をつぎつぎと呼ぶようになったので、
職員としては喜ばしい反面たいへんでもあるというケースがある。
他者の関りの中で人は変わってゆく。
福祉制度が乏しい生活困窮者等の「働く」とどうつながるかといった質問もあった。
そのことも、上記とつながるのではないか。
「がっつり系」の支援者、共働者、職員を期待する、
そうした発想自体問い直してゆくことが必要と思う。
「青い鳥」を求める発想からあらためて仕切り直すときではないか。 by山下浩司
現地報告レポートです。
もしよかったら。是非読んでみてください。
「あれだけトンブロックで、サンゴを押しつぶし、
埋め立てる。それでいて検証委員会、裁判、
そんなことだけでいいんですか?そんな悠長な事を待ってられますか?
翁長さんの悪口言いたいんじゃない。
翁長知事を待ってるだけじゃダメなんだってことです。
目の前で起こってる事を止めるんです。」
2002年1月7日に始まった見沼・風の学校。
今年で13年。
13年前の風の学校が始まった日と変わりがない、
千秋一日のごとくあまり変わり映えのない今日という日。
クリスマスイブの本日午前、我が家に長男がやってきました。
整体を終えて街に出る。携帯の履歴に今は神戸で暮らす
見沼・風の学校の矢澤君から連絡が入っていた、
連絡を取ると「長男が生まれた」との嬉しい連絡だった、
「子どもたちに残そう見沼田んぼ」の思いで始まった
見沼田んぼとの関わりが「孫の代」につがった
この思いがするこの1年だった。