農的若衆宿2016春

日中は畑で仕事。
サトイモ一族(サトイモ・ヤツガシラ・タケノコイモ)の植え付け、
馬とのふれあいと馬糞搬入、夏野菜の植え付け、飯作りを実施。
夜は焚火を囲んで晩餐(バーベキューを予定)後、
野良人類学会と称する勉強会を有志で実施。
今回は原発計画を阻止した高知の農民、火力に発電所に反対する静岡のひとびと、
そして、障害のある人もない人も共に暮らす町を目指して活動してきた埼玉の人々と
であったアライ・コースケ春の旅を語り、その後食べながら、呑みながら議論。
農園メンバーが昨年結成したバンド「ダンゴムシ」の演奏なども頃合を見計らって実施。
翌日は朝起きて、また農作業。
そんな春の野良仕事いっぱいの二日間です。
【日時】
2016年4月29日10時~4月30日12時
【会場】
見沼田んぼ福祉農園(さいたま市緑区南部領辻見沼田んぼ内)...
#JR武蔵野線「東浦和」駅より、「さいたま東営業所」行きバスに乗車。「総持院前」下車。
バスの進行方法二つ目の農道を左折。
#トイレあり、風呂なし、井戸とカマド、着替え用のプレハブもあり。
テント泊につき、寝袋持参、ないかた相談。その他問い合わせあれば遠慮なくよろしく。
【会費】
2000円
#食費(29日昼夜・30日朝)+宿泊費・燃料費
#晩餐や交流のため、食料・飲料などの持ち込み歓迎
【主催】
見沼・風の学校
以下は、荻原正男さん卒業を祝う会に出席した、わらじの会 山下浩志さんのメッセージ
荻原正男さん卒業を祝う会に出席。
荻原さんのことは、
2012年4月に私のブログ「共に学び働くー『障害』というしがらみを編みなおす」で、
「特殊学級から半世紀後のリベンジ Oさん定時制高校合格」と題して書いている。
そのOさんのこと。
→http://yellow-room.at.webry.info/201204/article_2.html
その会で司会者から「ひとこと」を振られ、
「お祝いが苦手な性分」と断りつつ、
荻原さんが埼玉県の特殊学級生の草分けであり、
いわば特殊教育の動く歴史資料といえるから、
ぜひ次世代にその経験を継承しておくことが大事などとしゃべる。
自分自身も直近のことはみな忘れているが、
昔のことはますます鮮やかによみがえっている。
そんな身辺状況を織り交ぜた。
会の終わりに荻原さんが高校生活の4年間を語った。
沖縄をはじめ高校から出かけた全国各地の見聞について、こまごまと語られた。
「直近のことはみな忘れている」という私流の感覚とは異なる、
ボリュームたっぷりの語りだった。その語りを聴きながら、1
荻原さんの「特殊学級卒業生」として生きてきた半生...を思った。
かってそのブログに書いた荻原さんの語る小・中学校時代ー
「小学校3年の2学期に、普通学級に戻れるよと言われて特殊学級にうつったこと、
いつ戻れるかと期待してたけど戻れなかったこと、
先生が変わったら全く勉強を教えてくれなかったこと、
中学校では、植木屋でのみずやり、竹細工、長靴の加工、
などなど毎日作業ばかりだったこと、
九九も途中までしか教わっていない、英語は全然やっていない」
そして、荻原さんは語らないが、
特殊学級の卒業生たちのその後の人生はどうだったか。
やはり前にこのブログで紹介した戸田市の特殊学級担任だった
権田文雄の著書「特殊学級卒業生は、
いまー追跡ルポ」(株式会社創世記;1979)より。
荻原さんは語らないが、特殊学級の卒業生たちのその後の人生はどうだったのか。
「『特殊学級に行ってよかったと思うか?』私は別れ際に質問した。
彼は何しろ特殊学級ではお山の大将だったのだから、あるいは彼の口からは、
あのころがいちばんよかった、という言葉がきかれるのではないかと、私は考えていた。
だが、彼は予想もしなかった言葉を吐いた。たしかにそれは彼の真情にまちがいなかった。
『だめ、だめ、あんなところ。いいわけがないじゃないの。
先生、まだそんなことしてるのか、はやく止しなよ。ぼくが転職ばかりしてるのは、先生の責任だぞ。
こんどは誰も特殊学級のことを知らない遠いところへ行って就職するんだ。
ビクビクするのは、もうたくさんだからな』」
権田は書いている。「彼らの現在を知り、報告することは私の義務だ。
まちがったことは、まちがったと公然と声に出して言う必要がある。」と。
しかし、そうやってまちがえられた本人はどうなのか。
荻原さんはまちがえられた人生行路を歩まされて高齢になり退職した。
そして、たまたまデイケアわくわく(現在は農?あぐり?)の利用者となったことが縁で、
どの子も地域の公立高校へ・埼玉連絡会と出会ったのだった。
ほんとうに偶然の重なりにほかならない。
ロートレアモンの「解剖台の上のミシンとこうもり傘の偶然の出会いのように美しい」としか言えない。
今日の席には参加できなかったが、
高校の教員たちから荻原さんを送るあたたかい言葉が寄せられ、読み上げられた。
荻原さんは、それらも含め、すべての言葉に対し、頭を垂れて受け止めていた。
「顔を上げて!」と時折り声をかけられる時以外は。
その荻原さんのしぐさに、これまでの人生が凝縮されていると感じる。
あらためて、人が人を分け隔てるということを考える。
分け隔てられた同士が再び出会う回路を考える。
そんな契機を与えたくれた今日の集まりに感謝。
3年位前に農園に来てくれた、奥田愛基君に脅迫文が来た。
「学校の方に、僕と家族に対する殺害予告が来ました。
なんか、僕だけならまだしも、なんで家族に対してもそうなるのか…。
何か意見を言うだけで、殺されたりするのは嫌なので、
一応身の回りに用心して、学校行ったりしてます。
被害届等、適切に対応してます。」
大げさではなく、
非凡で有ることと平凡であることのわきまえのある若者が
何故、こう言うことをされるのか、
自然を相手にしていると理解が難しい、
歪んだ不自然な心を感じる。
農業分野の先輩が共産党による野党再編を批判をfacebook掲載したので
「農園に来てくれた奥田君がSHIELDSのメンバーとして活動してくれている、
発想がまるで違う、何が始まるのか分からないが、
『止める]』と言い切るところが左翼や既成政党との違いだ。
予め負けを読んだ上でのそれと違う。
共産党の党首が街頭の動きの中で感じたことで
『最も保守的な政党』が変わらざるを得ざるをえなくなった」のではと言う書き込みを行った。
それに対して反論?の書き込みがあった。
「 たしかにshieldsは反日教育を施す高校出身者の集団が立ち上げた組織だったり
国際政治や軍事、外交の基礎も知らずデモの方向もやり方も間違っていて
普通とは発想が違うなと思わせるところがありますね。
民主主義のルールもまるでわかっていないようなので、
国会前の通行を止める以上の結果を出す事にはならないでしょう。」
農業関係者のようだが「木見ない、森も見ない」寂しい話だ。
29日付田原総一朗公式メールマガジン( http://www.taharasoichiro.com)に
SHIELDSのことが載った。
「田原総一朗です。9月19日、安保法制法案が参議院で可決された。
この法案に反対する人びとが国会前に押し寄せ、
2万人ともいわれる大規模なデモとなった。
その前日の18日の夜、僕も国会前に行ってみた。
法案可決の直前、集まった若者たちが、
どれくらい熱狂しているのかをこの目で見たいと思ったからだ。
ところが、国会前に集まっていた若者たちは、いい意味で「クール」だった。
空腹を覚えれば自由に食事に行く。遅い時間になると、
集まっていた高校生たちに「早く帰れ」と帰宅を促している。
ニュースで報じられていたような。
絶叫ばかりではなく、落ち着いた空気が、そこにあった。
25日深夜の「朝まで生テレビ!」は、
「激論! 安保国会・若者デモ・民主主義」をテーマに放送した。
今回、若者デモの中心となっているSEALDs(シールズ)の創始メンバー、
奥田愛基さんと諏訪原健さんの二人にも討論に参加してもらった。
「SEALDs」とは、「自由で民主的な日本を守るための、学生による緊急アクション」の英語の略だ。
自民党の片山さつきさん、ジャーナリストの江川紹子さん、漫画家の小林よしのりさんらも出演し、
日本の安全保障のこれから、そして憲法や選挙制度について熱く議論したのだ。
討論の内容は、とても有意義だった。それについては、改めてお話しをした。
その前に、
僕が、若者たちの意見を聞いて明るい希望を持ったことを、まず言っておきたい。
討論で、奥田さんと諏訪原さんに、「いったい何をそんなに怒っているのか」
という質問を僕はぶつけた。
これに対して奥田さんは、
「僕たちの意見、国民の権利、憲法をバカにしていると思う」と答えたのだ。
さらに、諏訪原さんが、
「現在の国際的な安全保障関係をきちんと認識した上で、
解決策を徹底的に議論してほしい。可決を急ぎすぎですし、
異論もあります」とまで述べている。
僕は意外だった。
実は、僕はもっと単純に「戦争反対」という答えだけが返ってくるかと思っていたのだ。
だが彼らは違った。彼らは「プロセスに異議あり」と言っているのだ。
もうひとつ意外に思ったことがある。
彼らを報道するとき、
いつも彼らがデモの集会で絶叫しているシーンが映し出されている。
だから僕も、彼らのデモを熱狂的なムーブメントにすぎないのでは、と思っていた。
しかし、彼らはデモについて、「ひとつの手段でしかない」と語っているのだ。
そして、なによりも彼らは地道に勉強もしているし、
自分たちでパンフレットを作成し、配布しているという。
SEALDsの活動に対して、
小林よしのりさんは、「大人に利用される。危ない」と指摘していた。
だが、彼らは自分たちの活動を、「あくまでも『緊急』ですから、
次の参院選挙を区切りに解散する」と冷静に計画を立てている。
僕は、60年安保のことを思い出していた。
自分自身も国会前に行って、「安保反対、岸退陣」と叫んでいた。
しかし、実は法案を読んでいなかった。
安保改正の内容について何も知らなかった。
ただ「反自民」という流れに乗って、ただ叫んでいただけなのだ。
そんな僕や、当時の多くのデモ参加者に比べると、SEALDsの若者は、
しっかりと勉強し、考えているように見えた。
彼らのデモを実際に見て、討論に参加してもらったことで、
メディアの報道ではわからない、真摯な姿を発見できたのだ。
奥田さんが語った、「賛成派、反対派はお互いにレッテル張りをしている」
という言葉も印象的だった。
きちんと会って話を聞かなければ、本当のことはわからない、僕はそう改めて思った。
もうひとつ、僕が興味を持ったことがある。
奥田さんの次の言葉だ。「震災以後、
主体性を持って、自分の考えを言うことが大事だと思った」というのである。
津波、原発事故、復興の困難さなど、
とくに10代であの震災を体験した彼らは、
大きな影響を受けざるを得なかったのだ。
震災は、日本にとって不幸なことだった。
だが、僕たちはこの経験を活かしていかなければならない。
そのためには、主体性をもって自分の意見を出さなければならない。
だが、主体性をもちながらも、
異なる意見の人とも柔軟に話し合い、行動を起こすことも必要だ。
SEALDsのふたりのような若者が、これからは増えるのではないか。
僕は期待しているのである。
SEALDsが現れた背景を考えるとき、ネットを無視することはできない。
ツールや場としてネットを使いこなす人びとが増えるとともに、
新しい政治、新しい民主主義が生み出されるのではないか。楽観主義かもしれない。
だが、そんな希望を持つにいたった、若者たちとの出会いだったのだ。風聞だっけで判断する風潮にジャーナリズムの使命として現地に赴き記事を書く、
老いてもなを盛んな田原さんには頭が下がる。
わらじの会市民福祉講座再開第4回をします。
「いのちの選別~出生前診断」がテーマです。
NPO法人くれぱす・神経筋疾患ネットワークの見方信子さんにお話ししてもらい、
その後、自由に話し合います。
横塚晃一さんが「母よ殺すな」を出版したのが、1975年。
今では生まれる前に「障害胎児」を殺してしまう。
どなたもどうぞ、ご参加ください。
9月12日、午後2時、武里団地内、武里大枝公民館。
8月25日、31日の「地域で共に!総合県交渉」へ向けた
埼玉障害者市民ネットワーク主催・ちんどんパレード
本日、さいたま市役所から県庁へ 浦和の街を練り歩く
分けないで 分けないで
あなたの都合で分けないで...
分けないで 分けないで
お国の都合で分けないで
わけないで わけないで
原発止めるのわけないで
わけないで わけないで
楽しく暮すのわけないで
熱い中参加された方々、大変ごくろうさまでした。
一人の落伍者もなく、解散地の県庁緑の広場へ全員で到着できました。
その前の「要望書読合せ会」もしっかり共有できたと思います。

ちんどんの取材に見えたのは、
『朝日新聞』『テレビ埼玉』『東京新聞』の皆さんでした。
3日目の夏のキャンプ
朝五時から草取り、その後は護岸工事に堆肥場の切り返しを延々とやる。
影の料理長が1日だけの復帰。旨いもの満載の食卓になた。
8月15日ライブのリハーサルが始まる。
オリジナル曲のリハーサルを励む山口、いわい、丸ちゃんの三人。
どこにもいけないのではなく、ここにいることを決めた、
ここからはじめることにした若者のビートを心に刻む。
ここから、いくらでもはじめられる。たどたどしくても、迷い混んでも。
そういう場としてありたい。by coppe
今日はたくさんこどもがきて一緒に藍の叩き染め。
夜は今日来た連中の濃密なる高校時代の話を聴く。
今年の核は見えてきた。
とともに、これまで対峙してきたと思っていたものとのたたかいが、
実はどんどんおしこまれていることを痛感する。
この先15年何をしなければならないかを考える。
その頃には、今日来たこどもたちの時代になっている。
多くを、しかし実はひとつのことをしぶとくやりつづけよう。
というわけで、サバキャン段々と中盤です。
是非農園に。bykopppe
全力で遊ぶこどもと大人
この道はいつもトトロを思い出すとスタッフが。
今回のサバキャンのテーマは「変身」です。
「成長」でも「スキルアップ」でも無いところがミソです。
成長やスキルアップは、それがどんなに目ざましいものであっても、
あくまでも従来の「自分」の枠内に収まる出来事です。
対して、それまでの「自分」では想像もできなかった存在になること、
「自分」の枠組みそのものが書き換わってしまうこと。それが「変身」です。
雨の農園
農園映画館
8月10日~16日まで、
見沼・風の学校の一年間最大の行事である「サバイバルキャンプ」を開催する。
今年は、
冬から毎週農園にかよっているギタリスト山口ユージがリーダーで、
このどんづまりの世の中で、様々な扇動や欲望には乗らず、
だから世間にはさえない連中と言われつつ、
しかし本当は現代という時代が
抱える問題の深奥を抱えているかもしれない若者を中心に、
しかもその若者の一部には体力面にも不安を抱えつつ、
それでも炎天下の野外農園農作業と野営生活を繰り広げる一週間になり。
6日やった夜に、つまり8月15日に、
例年行っているサバキャン打ち上げをグレードアップさせた、
敗戦70周年記念、ここで何も終わらせないぜライブを、東京ではなく、
浦和の町でもなく、誌かも全く集客させる気もなく、
見沼田んぼの真ん中で開催予定です。
山口ユージがすでにつくっているオリジナル曲が、
サバキャン中に二曲以上になっている予定。
というわけで、みなさん是非この一週間、福祉農園に足をおはこびください。
一緒に汗を流しましょう。
差し入れは氷、さらには食べ物ではなく、料理人としての参加が一番ありがたいです。
お盆の時期 8月12日に 県庁第2庁舎かっぽにて
野菜即売会を行います。
農園の野菜だけでなく
,さいたま市内農家さんの野菜(枝豆・キクラゲ(生)、
熊谷市の蜂蜜 など販売予定です。
暑いでしょうが、県庁内は少しは涼しいですよ。
今日は畑ではなく、浦和市役所からお届けします。
毎週金曜日、
浦和市役所のぴあショップにて朝採りの新鮮野菜と焼き立てパンを販売しています♪
こうして自分たちの作った野菜を直接買ってもらえるのは嬉しいです( ´ ▽ ` )ノ
普段は畑でがんばるメンバーもこの日はバンダナ・エプロンで接客がんばってます。
☆ぜひいらしてくださいねっ。
最近、自分の終末を意識するようになっている自分を深めてみたいと言う衝動があった。
「なぜ北海道かといえば、半世紀余りの親友で、川上郡弟子屈町の医師の行木紘一さんの、
『お互いいつ死ぬかわからないから早く来い』との招きによる。」との事だが
「いつ死ぬか分からないから」と言うことが気になりこの旅に行く気になった。
釧路空港から弟子屈に車で向かう途中、
めったにみつからない車イス利用可のトイレに立ち寄った時、
出会った「特定非営利活動法人 生活学舎のんき」の人々。 ここは鶴居。
画伯が画伯の絵本「克美絵日記」を贈ると、、
弟子屈への道すがら、