toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

166-260503「予科練」という言葉を知る世代と知らない世代

2014年05月03日 | 介護・医療・健康

P4195930 仕事で疲れた目を休めるために会社のデスクから左後方に目を転じると、線路を越えた向こうに芝桜で見事に彩られた家が目に飛び込む。

以前に少し触れた記憶があるが、デイサービスを利用するS氏は愛用の予科練の制帽

をかぶって通ってくる。 Sさんと呼びかけると、きりっと口を結び、海軍式の敬礼で挨

拶を返しててくれる。 骨太な印象を受ける顔。 制帽の徽章が少し曲がっているの

が現代の平和を象徴している。

P4245934

いろいろな話をしてくれた。 氏のように15歳くらいの年齢で予科練に入校して訓練

に明け暮れているうちに終戦になり、ご苦労もあっただろうが戦闘を経験せずに戦後

を過ごした方々は青春の一時期を同じ世代の仲間と共同生活をしながら、厳しい訓

練を続けたことが今になっては良き思い出になっているのだと思う。 

パソコンで予科練の訓練の模様を動画で見せてあげたら本当に喜んでくれた。 言

い過ぎかも知れないが氏にとり、はるかに過ぎ去った戦争は良かれ悪しかれ青春を

一杯かけた思い出なって頭の中に刻み込まれているようだ。

P4245936_2

式典や外出時にはかぶったと思われる制帽は70年の歳月を経て、一部は黄色く変

色してはいるが、手入れがいいのだろう、型崩れはしていない。終戦時に18歳だと

すれば少なくとも88歳にはなっているはず。 つい最近まで会の名前は聞き漏らし

たが、同期の会合を数年ごとに開催していたようだ。 さすがにまとめ役も年を重ね

会合はできなくなったと残念がっていた。

 

何度も書いたが沢山の個性的な人生の大先輩に接して、話を聞けることは大きな喜

び。 そして皆さんも昔話に付き合ってくれる存在が喜びであってくれればこんなに幸

せなことはない。

https://www.google.co.jp/search?q=%E4%BA%88%E7%A7%91%E7%B7%B4&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=k3JcU72JItTd8AWjj4GoBQ&sqi=2&ved=0CDsQsAQ&biw=1260&bih=851

お若い皆さんは↑ をクリックしてください。 予科練の様々の写真が見られます。

これらの写真に写っている中に若き日のS氏がいるかもしれないし、また神風特攻隊

散った隊員が何人もいると思う。 

専守防衛といっても現実に戦いが始まれば必ず死者は出る。 国を守るために命を

落としても死者の家族、友人は悲しみにくれる。 命を掛けて守るに値する国であり

国民でなければ死者も浮かばれない。

軍備というものは難しいものです。 また70年も平和が続くということも奇跡なのは歴

史の証明するところ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P4245938

そのデイサービスの庭は枝垂桜は終わったが、芝桜の色彩が鮮やかな姿を見せて

いる。 今は平和そのものです。

コメント

145-251207職人の使う道具

2013年12月07日 | 介護・医療・健康

Pb195323 関越道の側道、 立派な森に成長し今秋も見事な紅葉で染まった。

 

擦り切れてきたので部屋のじゅうたんを交換する。 10畳間の交換を8時半から12

時の半日で見事に済ませてくれた。 そこで目にしたなるほどと感心するプロの道

具。 使う前までは何に使うのか全く見当がつかなかった。 使う場面を見て納得す

る。

 

大きなビニールを拡げたり、最近では液晶画面の保護フィルムを張る際に気をつけ

ることはしわを作らないこと。 じゅうたんがピンと張りあがるには職人ならではの道

具が活躍する。その道具の表と裏。

Pb175310 Pb175312 Pb175313

 

部屋の中一杯に拡げたじゅうたんを大体展ばしておいてから、この道具の出番がく

る。 じゅうたんをシッカリと捕まえるために裏返すと針が何本も生えている。 ここで

じゅうたんを捕まえるのは理解できたが、左端の厚めのゴムが何のためのものかわ

からない。 職人さんがこのようにじゅうたんの端において、やおら右足を上げた。次

の瞬間ゴムに向かって右ひざを勢い良く当てる。 これでじゅうたんがピンと張る。

誠に単純な目的のための道具ではあるが職人の経験に裏付けられた技術を生かす

べく作製された道具だと感じ入る。 単純な使用目的に比べ高価なアルミダイキャス

の正に職人の道具。

 

すったもんだの挙句、特定秘密保護法案が強行採決で成立した。 例によって朝日や毎日

反対の論陣を張る。 一方産経は法案は必要との記事を載せる。 記事を書くのにネタが特

秘密にされ、取材して新聞に載せると罪になる恐れがある点についてはさすがの産経も若干

憂慮を示している。 ある分野の情報を提供すると垂れ流しになるといって、米国は日本に肝

の内容を開示しないこともあったのだろうとは想像にかたくない。 ある種の情報は期限付きで

示しないこは先進諸国の常識であるようだ。 60年は長すぎると思うが。

私はこの法案は必要と思う。 そして国益に資する情報を得ることは大切だ。こういうとすぐに戦

前のことが引き合いに出されて反対のシュプレヒコールに囲まれる。 戦前と言えば国民の半

分を占める女性には選挙権がなかった。 今はある。 一番戦争を嫌う女性が政治の動向を左

右する。 このことは戦前との大きな違いだ。 この法案が成立し、運用次第ではまた戦前の暗

い時代に戻ることが危惧されるほど日本の民度が未成熟だとは私には考えられないのだが・・・

それともいつかきた道を歩むことになるのだろうか?

 

・ 

 

 

 

 

コメント

144-251130新造空母「信濃」のあっけない最後

2013年11月30日 | 介護・医療・健康

Pb215327 日本一おいしいといわれ、ブランドが定着している国分白菜はまさに出荷待ち。

 

ケアマネージャーという仕事をしていると、大正生まれの方々とお会いして話をす

る機会がある。 90歳を越して足腰が弱くなり、介護保険制度を利用しようとする

皆さんに、複雑な制度の仕組みを解りやすく説明し、安心して利用してもらうのが

私の今の仕事だ。 身体能力は衰えても、昔の記憶をしっかりと維持しておられる

方が興味あることを話してくれる。

若いケアマネさんでは話が合わないかもしれないが、私ら世代は何とか合わせ

ることができこれがまた実に楽しい。 またそんな昔話を通じて利用者に親近感を

持ってもらい良き支援計画に繋げればとの思いもある。 

デイサービスに来る時に、時々予科練の制帽をかぶってくるS氏、知る限りの知

動員して話を聞く。 事実は小説より奇なり。 実体験者の話は興津々。 

 

今週は大正12年生まれのH氏の話について触れてみます。 

戦艦大和については多くの人々がその悲劇的な最後について知っている。 アニ

は「宇宙戦艦ヤマト」として蘇り宇宙を航行する。 同型の二番艦が戦艦武蔵、

れも悲末路をたどる。そして三番艦がこれから触れる空母信濃。 

信濃は海軍横須賀工廠で建造された。 しかしもはや戦艦巨砲の時代でなく、航

機が最も有力な兵器になっていた。 このために建造途中から戦艦ではなく航

空母艦に設計変更された。 ここまでは知っていた。 

ファイル:Japanese aircraft carrier Shinano.jpg web siteより拝借

 

H氏は18歳のときに徴用で海軍横須賀工廠で働いていたという。 私がそこでは

母信濃が建造されたのではと話を向けると、「そうなんだ。俺はその信濃を作る

員だった」というではないか。

以下H氏の話。

「あの船はでかかった。 作業をしていてもいったい船のどの部分を作っているの

解からなかった。 たまげたのは船腹の鉄板の厚さ。 15cmもあるんだぜ。船

がその厚みだから飛行甲板はどれほどの厚みがあったのかな?

仲間と話したんだ。 あんな鉄の塊は海に浮かないのではと。 それとな、何回

米軍の戦闘機が飛来して爆弾を投下された。 彼らはまだ建設途中の甲板の作

業用の穴を狙って爆弾をぶち込むんだ。 艦内で爆発するんさ。 資材足や熟

工の足で工期は遅れるばかりだった。 ちょっとした機関砲とタービンンジン

が設置されだ未完成の段階で、電探(今のレーダー)をつけるためにろくな

運転もしないうに広島の呉工廠に向けて横須賀を出航していった・・・ 

横須賀あまり空襲を受けなかった。 日本は負け、米軍が占領する。 そのとき

ぐに使える軍港としての価値を考えたんだろな。」 事実横須賀は今もアメリカ

七艦隊の母港の状況が続いている。遠くを見詰めるような目をして、70年前の記

憶をたどりながら話してくれた。

web siteより拝借

完成すれば堂々たる世界水準を抜く空母になるはずであった。 でも積み込む艦載機は既に何機も残っていなかった。

帰宅してネットで信濃について調べてみた。 未完成のいわば巨大な箱に推進器

つけただけ船体、経験不足の乗組員。 護衛の駆逐艦は3隻。 東京湾外に潜

んでいた米潜水艦に発見されて遠州灘で魚雷を4本受ける。 傾きながらもそのま

ま航行を続けたが、潮岬沖で浸水が激しくなり沈没。 出航後17時間が経過した

だけだった艦長以下乗組員の半数以上が艦と運命を共にする。 アメリカの空母

エンタプライズが建造されるまでは、世界一の排水量の軍艦(?)だったそうだ。

昭和19年11月29日のことだとある。 これだけの鉄があれば何機の戦闘機を作

ことができただろうか? 途方もない物資の浪費。これも戦争の一つの側面。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント

140-251102おやじバンドの慰問

2013年11月02日 | 介護・医療・健康

Imgp1737 奥秩父、西沢渓谷探索の帰路、広瀬ダム湖にて。

昨年の今頃に前橋市の高校生の吹奏楽団がデイサービスに慰問演奏に来てくれた。

若々しさ一杯の迫力ある生演奏。 最近のヒット曲を中心にビートルズから懐かし

演歌、童謡まで利用者の好みを上手に組み合わせて楽しませてくれた。

今年は新しくオープンしたデイトレセンター、去年の会場の3倍の広さを使い、利用者

の皆さんとかなり近い年齢の皆さんの熱演が利用者を感動させた。

Pa225229 Pa225227

バンド演奏をバックにして、同世代の歌い手が歌を披露してくれる。 素晴らしい演奏

でした。 会場が広いだけに楽団員の奏でるメロディは迫力を持って全館を音楽のル

ツボと変える。

そして何よりも同世代がこれだけの技量をもっての生演奏、 利用者さんも随分と励

されたのではないだろうか?

個人的にも、正直なところ国定忠治に扮して舞台で踊り、赤城の子守唄を歌ってくれ

ても、我々年代には感動はない。 ビートルズの曲など演奏してくれたら感激。

今日は違った。 こんな慰問は大歓迎。 

Pa225224 Pa225226

次世代型デイサービスここにあり。 団塊世代は老いても一味違うぞ。

 

 

コメント

081-240929工事が始まる

2012年09月29日 | 介護・医療・健康

P9213243  自然はもろく、そしてしたたか。

自立の皆さんには要支援状態にならないように、また要支援の皆様には要介護にならないようにトレーニングをしていただく。  お元気な方々には更に元気に・・・   これをコンセプトに、デイトレセンターの建設工事が始まった。

竣工は年末、オープンは1月4日。 順調な工事の進展を祈る。

Img_0239 Img_0241

 

建築現場前の豪邸の門前に、ベンツと並んで駐車していたクラシックカー。 多分三代目となるプリンススカイラインであろう。 昭和43年ごろの当時最先端の車。 「品川5」でなく「品川55」だから、一旦廃車したのを復活したようだ。 この後一世を風靡した「ケンとメリーのスカイライン」に続いていく。

Img_02431_2 撮影したスカイライン(プリンス自動車製)

ナンバープレートがついているのが厚い鉄板にメッキを施したバンパー。 縦方向にびっしと駐車した車列から抜け出すとき、に車を前後に動かし、バンパーで他の車との間に隙間を作り抜け出す, そんな使い方も想定し頑丈でなければならなかった。 

ちなみに時代遅れとして、鉄板のバンパーを廃止した最初の車はスカイライン。当時からスカイラインはアメリカナイズされたデザインで、トヨタ、日産と一線を画していた。 現在10代目以上となると思うが、つい最近の型までどうモデルチェンジしようがテールランプは丸型に固執していた。

1960 Toyopet Corona 01.jpg1962 Datsun Bluebird 01.jpgContessa900.jpg 

            同時代の車3台(いずれもweb siteより引用)

左より2代目トヨタコロナ、初代日産ブルーバード、日野コンテッサ。

一番売れたのはブルーバード。 耐久性に優れ小型タクシーのほとんどを占めた。

コロナは整備士時代に修理で縁があった車。 今も目をつむれば細部まで脳裏に浮かぶ。 ブルに比べて足回りが弱く、エンジンも非力。 ドアの開閉音がしっとりしていたのが記憶に残る。 洗練されたスタイルに走行性能がついていかなかった。 日産の黄金期でトヨタより元気があった時代。

当時日野はフランスルノーと提携し乗用車を製作、デザインは当時の先端をいっていた。 リヤエンジン、リヤドライブで個性をアッピールした。

ほぼ東京オリンピックを挟んで4年間(昭和38年から42年にかけて)ころの1000~1500CCクラスの乗用車。 まだホンダは二輪車専業メーカー。 いずれの車も鉄板バンパーは必須のアイテムであった。

 ホンダが最初に世に出した軽乗用車 N360 (web site より) 昭和43年ごろの車で空冷360ccエンジン。 ギヤシフトにギクシャク感があり、慣れないとシフトがうまくいかなかった。 その後の数年はパッとしなかったが、排ガス規制に最初に対応できたことが、その後の躍進に繋がった。

サラリーマンが自家用車を持つなんて考えられなかった時代であったが、車はどんどん進化し、我々の所得も増え、ローン(月賦といった)で買える時代がきた。 食うものもろくにない時代に少年期を過ごしただけに、坂道を登る行く手に陽に映える白い雲が見えている良き時代の到来を感じた。

コメント

058-240428買い物弱者に対する援助の一つ

2012年04月28日 | 介護・医療・健康

P4091517 富士の西側白糸の滝あたりからの秀峰。いまさら珍しくもないが、実物と対面するとなんとも感動的なものです。  4.15

介護の仕事の一端を担っていると、痛切に感じるのが、買い物をどうするかということ。 いわゆる買い物弱者対策についてです。 どうすれば良いか? 移動するお店というのは、過去にもあった。 古くは豆腐や納豆売り、移動八百屋なんてのもありました。 牛乳も配達が当たり前だった。 お大尽の門柱には庶民の手の届かない1リットル壜が置かれており、すげーな!と思った。

今、物が溢れている。 目的のものを買うためにお店に行くという買い物パターンから、スーパーで溢れる商品と値段や賞味期限を見てから買うものを決めるというパターンに変わってしまった。

F社さんが一つの解決策を具体化してくれ、小型バスの新車を専用移動販売車に改造して移動販売が始まった。

一般店舗と同じ価格。 助手席の後ろにはお店と同じレジが備わっている。

P4051461 P4051459

お年よりは買い物に行く足がない。 母親がお世話になっている施設では週に一度「お買い物ツアー」なるものを実施している。 これも一つの解決策。 生協を使うのも良いでしょう。

介護の専門家としてのわが社の意見も取り入れていただき、F社さんは当面採算度外視で考えてくれました。 とはいっても我々も採算が合うように協力する方法を考えています。

P4051458 P4051457_4


狭い車内でも車イスが通れるスペースは確保してある。 毎日デイサービスに車を横付けしてくれる。 希望の品がなければ注文すれば次回届けてくれる。 夏場のことも考えて業務用保冷庫も準備した。 女性の利用者さんは自分で手に取って物を選べる楽しさがたまらないらしい。 

P4051463_2

この試みを何とか成功させるために、我が社もミーティングを何度も開いて、知恵を出し合っている。

 

 

 

P4051457_2

P4051457_3

P4051457

 

 

コメント

053-240329グループホーム「竹林の風」

2012年03月29日 | 介護・医療・健康

私の関係する社会福祉法人が沼田にグループホームを作り、昨日役員会をかねて内覧会があった。 既に特養、小規模多機能施設等あわせて80床の規模で当地を代表する法人です。

グループホームは認知症状が出たお年寄りが、ここで共同生活を営み、その進行を少しでも遅らせようとする目的がある。 したがって調理人はいるが利用者も食事つくりやお掃除等残された生活機能をお互いに出し合って、和やかにそして安らかに生活する場です。

P3281411

建設用地は密生した竹藪だったのを、かなり間引いてなかなか風情のある施設そして庭が完成しました。 外観はどこかの料亭といっても通るようです。 夕闇が迫る時間の雰囲気はなかなかいいものです。

写真を何枚か撮ったので紹介します。

ちょっとした料亭の雰囲気でしょう。

P3281394 P3281396


南は竹林が拡がっており、中を遊歩道が通っています。 遠くの山並を右へたどると谷川岳につながります。

P3281392 P3281393 

 

調理場と奥へ続く廊下。 この両側に個室があります。 寒冷地なので床暖房。

P3281400 P3281399

浴室と個室のベッド。 じょくそう予防の効果があり。

P3281402 P3281406

「竹林の風」とは私が勝手につけた名前です。 なんという施設名にするのでしょうか?

4月2日にオープンだそうですが、既に入居者9人は決まっているとのこと。 職員の皆さん優しく接してあげてください。 福祉施設はなんといっても職員の資質が重要です。 やさしく接すればめぐりめぐって施設への信頼向上そして繁栄につながります。 

イケメン所長 K藤君の頑張りに期待しましょう。

コメント

044-240129デイサービス慰問の高校生ブラスバンド

2012年01月29日 | 介護・医療・健康

デイサービスにはいろいろなボランティアの皆さんがきていただき、利用者さんを楽しませくれます。 大体は比較的年齢の高い方々がグループでお出でになる。

先日、フレッシュな若人がきてくれました。 前橋東高等学校の吹奏楽部30名近くの学生さんです。 利用者の皆さんから見れば孫の世代。

若い経験の浅い高校生の皆さんですから演奏技術に未熟なところはあるのでしょうが、そんなことはどうでもいいこと。 生演奏に皆さん酔いしれました。 フルートの冴えた音、クラリネットの柔らかな音、チューバの低音迫力のある音、コントラバスのしぶい低音ベース、などなど生ならでは聴けない音の祭典でした。

 

今日の演奏曲目と勢ぞろいした吹奏楽部員のみなさん

P1211091 P1211085

 

コントラバスを奏でるお嬢さん                 トロンボーンにクラリネット

P1211086  P1211089

手の不自由な方は足で、手足不自由な方は身体全体で、殆ど身体を動かすことの出来ない方は多分心の中で、音楽に合わせて拍子をとっておられました。

音楽はいつでも、どんな環境下にあっても心の琴線を刺激する。 健康な私も高校生の真剣な演奏と拍子をとる利用者さんを見ていて涙がにじんでしまう。

早くて5年、遅くて10年から15年後には我々もお世話になる施設の一つです。 そのころボランティアの方々の奏でる音楽は少なくともビ-トルズやタイガーズ以降の音楽であって欲しいな・・・ 好みでいえば 小椋佳、谷村新司、五輪まゆみ、加藤登紀子、森山良子世代の歌なんかだったら最高。  いかがなもんでしょうか?

その頃には赤城の子守唄、霧島昇はもういいのでは・・・ そんな思いがあるのです。

今回の演奏会はそういう意味でも画期的でした。 高校生の皆さん、ありがとう。

コメント (2)

042-240118年齢制限

2012年01月18日 | 介護・医療・健康

順調に年を重ねていってもどうにもならないものがあります。 いわゆる年齢制限という関所。今までのところ健康に恵まれており、まだ血の気が多いと思っているのですが年齢制限が3日後に来て、献血は受け付けてもらえない。 一昨日53回目の最後のご奉公をしてきました。

P1161066

昨日は天気が良かったので、仲間を誘って片品高原スキー場で遊んでくる。これは年齢制限がなく、その気力、体力が許せばまだまだできる。(シルバー割引という特典もあり、悪い気はしない)

平日のスキー場はこんな感じ。 スノーボードは禁止なのでのびのびと滑れる。 一緒に楽しんだYW氏。(本当は私の姿を載せないといけないのですが、撮ってもらうのを忘れてしまった。YWさんと特定できないからいいですよね) 平日はシニアが半分ほど。80歳近いと思われる人も楽しんでいた。 

P1171070 P1171067_2

 

 

 

 

 

 

 

 

日光白根山が目前に聳え言うことなしのコンディションでした。 これから滑らんとする私の影。 

P1171076 P1171077

怪我のために2年間ブランクがあり、どうなるかと思ったが何とか様になりました。 医師から「転倒して首にダメージを与えると責任持てないよ」といわれています。 慎重に、慎重に。

 

コメント (2)

別に自慢するほどの物は何もない人生ですが、これだけは・・・・

2011年09月14日 | 介護・医療・健康

タイトルどおりの人生ですが、ひとつだけ自分の生き様を書いてみます。

医療現場に近いところに仕事を移した27年前、それまで献血なんてしたこともない私が、血液の尊さ、あわせてその怖さを心底より感じました。 それ以来年2回をベースで続けてきた献血が51回に到達しました。 当初の数回は200mlでしたがその後は400mlになったので、相当な量を献血したことになります。 最高で年4回は献血可能なようです。フルにやればこの2倍はできた計算になりますが、さすがにそこまでオタクではありませんでした。

比較的簡単に、気負うことなく社会貢献ができたと思っています。

もっとも私なりの打算もあったことは事実。

一つは、献血をすると希望すれば血液検査をしてくれる。私のような晩酌習慣と縁が切れない毎日を繰り返していると、当然肝臓の数値が気になるものです。 GOTやGPTの値を年2~3回チェックして酒量を決める生活を27年間してきたわけです。 おかげでこの間何の異常もなく酒を楽しめたのは有難かった。

二つには、医学的な裏づけがあるわけではないのですが、私なりに身体にとって良いことだと信じていること。 それは、

血液を400ml抜いてしまうということは、からだの造血細胞(脊髄にあるようですが)を刺激してその細胞を活性化させるはずだという信仰です。血液の新陳代謝も促進されるだろうという信仰です。 これまたこの効用か27年間元気で過ごせたことはこれまた有難い。

三つ目は、癌から遠ざかっているのではないかという思いです。 癌の治療法のひとつに瀉血治療というのがあると聞いています。 すなわち正常細胞よりも増殖のためにエネルギーが必要であろう癌細胞を兵糧攻めにしてしまう、具体的には患部に行く血液を正常細胞が壊死しない程度に止めてしまう治療のようです。 まったく私の勝手なんですが、血を抜くことはこれに近い効果があるのではないかという思い込みです。

そんな屁理屈をつけながらも、50回献血記念にボヘミヤガラスの小さなグラスと感謝状をいただきました。 学生時代から表彰状や感謝状の類にはまったく縁のない人間ですので、この表彰状は私にとり生涯唯一の貴重なものになりそうです。額に入れて玄関に飾り、日々横目で見ながら出勤しています。

 

 

紙の記録から磁気カードになりました。

Photo_5

 

自慢っぽくて恐縮ですが、献血の記録です。 あまり自慢するものがないので、これくらいは許されるかな? 制限 年齢まであと1回は献血できるので、 生涯52回のささやかな最後の社会貢献をしてこの記録に幕を引くことにします。

Photo_6

 

 

コメント