結局は、それぞれの人が、自分の思うまま、望むままに生きることが、いいのではないかと思う。我慢したり、制限が何かの慮りであったりすれば、それは、その個人にとって、不満の残る生き方とならざるを得ない。
さりとて、無制限にやりたいことをやるという意味ではもちろんない。社会に明らかな害をもたらすことは、当然してはならないことであって、それは除くということであるが、人間は、思いもかけぬ枷を自らに課していたりするので、そういう意味のない制限は自らにかせないということである。
自由ということは、大きな制限がかかってくることでもある。それ以外に、道はないということであれば、迷うことなく、生きていけるのであるが、自由となれば、無数の選択肢のなかで、どう選ぶかという問題に迫られるのであって、必ずしも楽な道とはいえない。
誰かが、命じた道や強制された道ならば、その道を行くしかなく、それはいわば楽な道である。個人として、自らを解き放ち、どの道を選んで生きていくのかは、個人として重大な選択である。
どう自分の道を生きていくのか、少し時間をかけて、自らの覚悟を決めるべきではないのかと思っている。