マスコミに常連として、登場する人々は、普通ではないのだろう。格別の収入、権力、普通ではない考え方、常識を外れた行動、贅沢。・・・
それは、人々の、憧れにつながったり、憾み、妬みのもとになったりする。
だが、結局は、静かな、普通の生活こそ、大事なのではないか。金正恩は、結局のところ、普通の静かな生活こそ、もっとも欲しいものではないのか。
どこの人々も、そうではないのか。仕方がなく、銃を持ち、駆け回るのだが、緊張のなかで、なにもかも忘れているだけで、その根底には、静かな心地いい風のふく高原で、なにか、爽やかな飲み物を、飲みながら、恋人か友人か、家族と談笑したりする生活こそ理想ではないのか。
退屈にみえる生活のなかに、何らかの趣味をもち、何らかのささやかな楽しみを見つけて、目立つこともなく、賞賛を受けることもなく、暮らす。
何やかやと、できたら、他人のために、何事かできれば、それは幸せだと、思いながらそれをするためのささやかな努力などもしている、そんな生活を過ごしたい。