時間をかけて、それなりに集中しなければ、勉強はできない。それで、構えて何をするかとなれば、選択したくなる。
選択したらそれがよかったかどうか、は実際のところ判断は難しい。何かのきっかけで始まった勉強の機会は、それが縁となって、世界が広がってくる。
多分どこから入っても、そこから世界が広がっていくので、入り方はどうでもいいのかもしれない。「一芸は多芸に通ず」、ということだろう。
とにもかくにも、好奇心が根本にあって、その方向性がそこそこ正しければ、ひとりの人間として、それを追究していくなかで、世界がひろがり、社会にとっても悪いことにはならないような気がする。
その思い入れが、セクトだったり、民族だったり、国家だったり、狭いものだと、弊害がないとはいえないが、それでも、そこから広い視野での勉強へと変化していくようであれば、それで、いいということだと思う。