ここから道はお墓の中を通っていきます。
たまに墓の中には、
大阪とは違った形の墓もありますねえ。
よく見ると舟型のお墓があると、
資料には書かれてありましたが
見つけることはできませんでした。
まあ、あんまりお墓ばかり
集まっているところで
写真もどうかなとか思いますしね。
さあここで明石神社の方に
入っていきます。
ここではこれが有名です
「ときうち太鼓」というのが
置かれています。
昔、明石城の門のところで
時を打っていた太鼓だそうです。
あれ?城ってどこも
そうしてたんでしょうか?
いやあ、その辺はよくわかりませんねえ。
ネットで調べてみたら、
明石城はやはり有名でしたが、
ほかにも弘前城や土浦城なんかも
していたようです。
でも、明石城の太鼓はやはり
一番先に出てきますねえ。
今でこそ子午線の町を
うたっている明石なのですが、
こんな昔から太鼓で時刻を知らせる
というような取組にしっかりと
向き合った町を送ってきたんですねえ。
ちょっと奇遇です。
え~っと、「じかん」に厳しい町は
「ちかん」にも厳しい町となっています。
あ、痴漢にやさしい町はありませんね。
それにしても
立派な看板が立っていますねえ。
え~doironは決して何も
悪いことはしていないんですよ。
でももしどこでも、
こういう看板を各地にあげられたら、
おっさん一人歩きも、
警戒されまくりになってしまいますねえ。
世の中のひとりで歩くおっさんの
純朴ぶりを、doironはもっと
はなっておかないといけませんね。
え~では純粋なおっさんの顔になって、
明石市立文化博物館は過ぎて、
明石公園の中に入っていきましょう。
ここは都会の中にあって、
たくさんの緑に囲まれた
オアシスのような存在。
「日本の都市公園100選」
や
「桜名所100選」にも
選ばれている。
緑が気持ちいいです。
そしてこの公園の中にある
明石城が阪神淡路大震災後に
修復されて、その塀なんかは
中から明石の町が見下ろせる
ようなしっかりした展望台に
なっています。
ああ。こちらが駅の方ですねえ。
魚の棚、俗称「うおんたな」は
こっちの方かなあ。
あとで明石焼き行くから
待っててね~とサインを
送っておきました。
ここから、明石公園のマンふた見ながら
剛ノ池の方に行きます。
あ、途中戦争関係の
明石空襲碑がありました。
建てられたのは、後のこの日
8月15日ですねえ。
イベントもなにもされていなかったです。
さてこの公園内の池は
乗って遊べるボートなんかがあるそうです。
よく見ると、アベックなんかが
乗って楽しんでいるようですね。
むむむ~、石投げるよ
なんて言いながら
ぐるりんと回っていきます。
ふん、行かない方が
よかったかもしれません。
公園内の陸上競技場なんかも
眺めながら、公園の出入り口に
さしかかると、ちょっと
高齢者の集団が見えます。
しかもなんか楽しそうですねえ。
そこはなんと将棋クラブでした。
正式名所は「明石公園将棋同好会」で、
そこには年会費とか書いて
貼ってありましたね。
あの藤井四段の将棋事件で
きっと盛り上がっているんでしょうねえ。
では、doironの将棋はといいますと、
駒の動かし方のルールしか知らない
ミセスには何とか勝てそうな感じです。へへ。
さてそこからはコースはもう
一般道に出ていきます。
市営住宅の団地の中を抜けて
西へ向かって行きますと、
明石川の川に沿った道に出てきます。
この川は二級河川だそうです。
河川敷はそこそこきれいに
していますがねえ、
もう一つ整備に対する
思い入れはたりないですねえ。
ちょっと時計を意識したような
作り物も草に覆われていたり、
ところどころにごみもありますねえ。
これだったら、泉大津の河川敷の方が
うんときれいですね。
今月の23日に行われ、
doironもスタッフで参加する、
市民主催の3時間走のような大会が
以外に河川敷の活用を
活性化させてていいのかもしれませんね。
大津川はきれいやもんなあ。
興味のある方見に来てください。
続く
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