ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

淀川完歩番外編 淀川資料館

2015年07月29日 21時05分23秒 | ウォーキング

仕事も一段落、
しかし歩くには雨模様で今イチ
という「閑中さらに閑あり」の一日に、
今歩いている淀川の勉強をしようということで、
枚方市にある「淀川資料館」に行ってきた。

泉州の人間にとって
北摂の方はほとんど土地鑑がない。
マラソン大会に行ったり
ひどい高速道路渋滞のう回路として抜けるくらいで、
枚方や茨木、摂津などの位置関係は全然わからない。

そのため、ナビに導かれるままに
大阪市内を抜け
車でビューンと行ったわけである。

その資料館は、
国土交通省淀川河川事務所に併設されている。



同事務所の駐車場に車をとめ歩いていくと・・・



これが資料館の入り口です。



あれ?鍵がかかっています。

まさか、休み?と思ったら、
そこに貼られてあった貼り紙によると
無人運営をされているそうで、
入り口でインターホンを押したら
応対してくれて鍵がガチョ~ンと開いた。

そらそうやね、
1日に何人も訪れるようなところではないので、
人を配置して置くなんてできないもんな。
人件費節減で結構だ。

中に入ってまず目に入るのがウナギの水槽。



パイプの中からしっぽの先端
(ん?どこからどこまでが尻尾なんだ?)
だけ出ていたワイ。

そしてその横にあったのが

「淀川両岸一覧」

という今から150年ほど前に描かれた
京都から大阪までの淀川の旅行案内記である。



調べてみたら、
大阪府立図書館にあるとのことなので、
これはまた見に行かなくてはなるまいて。

旅行案内記があるということは、
人の往来が多かったという事。
当時の「三十石舟」やその船客に
軽食を売る「くらわんか船」なんかも展示されていた。



そしてこれがその当時の三十石舟の様子。





30人足らずの客を4人の船頭で運んでいたそうだ。

で、これまで何にも考えていなかったことに
ふと気がついた。

じゃ、そうして川を下ってきた三十石舟を
どのように上流に戻すのでしょうか。

今なら川下りのいかだなんかは
トラックで運んでいるようですが、
当時はそんなものはなかっただろうし。

これがなんと驚き、
船からロープを出して
それを岸から引っ張っていったそうです。

単純に淀川を通って人や物が行き来するんや
と思ってたけどそれは間違いで、
どうやら流れに沿った京→大坂の動きの方が
活発だったんだろう。
それだけ大阪が大消費地
だったということなのかもしれない。

人々の暮らしを支えてきた淀川は、
また一方で人々の暮らしを脅かしてきた。

明治18年に起こった洪水は
枚方で決壊した水が
大阪市内にまで流れ込み
広大な面積が水に浸かったそうだ。



そんな暴れ川を制御するために、
洗堰、流路の付け替えなどの事業が行われ、
ほぼ今の姿になっているという。

水との戦いの果ての姿というわけやね。

こうして人の暮らしと関わってきた
淀川のもう一つの姿として、
豊かな自然がある。

ここにパネル展示されていた魚だけでも70種あるし、





昆虫類にいたっては1700種以上確認されているそうだ。



中でも「河川氾濫原」や
「わんど」に生息する
「イタセンパラ」は天然記念物に指定され、
淀川自然保護のシンボルになっている。



しかし冬季などに
ひょっとしたら水がなくなるようなところに
どうして生き残れるのか疑問に思うよなあ。

でもここにはちゃんとその答えが
書かれてありました。

イタちゃんは水がなくなる前に
貝に卵を産み付け、
地中に潜った貝の中で生き続けるとのこと。

そして水が出てきたら泳ぎだし、
一気に成長するんだそうだ。

まったく自然はうまくできているもんだ。

そんな勉強をしたあと、
外に出てみるとすぐ横に
淀川の堤防がある。



ああ、確かこのあたりは
トライアスロンチーム対抗の
駅伝があったあたりだ。

あの頃の自分が懐かしい。

そして最近始めた淀川完歩で
やがてここまで歩いてくる自分の姿も想像しつつ、
そんな懐かしい景色の中で



お弁当を広げのんびりと過ごしたのだった。

終り


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