ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

連れもて歩こら、紀州街道1

2013年04月25日 21時06分50秒 | ウォーキング

2日続けて街道についてのお勉強をしたところで、
では実際にまた街道を歩いてみましょう。

次に歩いたのは、
以前大津川の楯並橋まで歩いたところで止まっていた
紀州街道の南下です。

4月だというのにめちゃ寒い日があったりしたでしょ。
だから、天気がよく、
暖かい日を見計らって
街道歩きを再開することにしました。

歩き始めるまで少し日にちもあったので、
もちろん地図作成とともに、
ネット、文献等の資料による予習も行いました。

スタートは午前8時50分。
通勤や子供の通学も一段落し、
世間が普通に動き始めるころですね。

で、歩き始めからいきなり予習をした地点です。
大津川の楯並橋を渡ります。
これ。





大津川にかかる最下流の生活橋とも言えるでしょう。

橋の北詰、すなわちスタート地点には
珍しい千手観音の地蔵さんがあります。





いわれ等は見当たりませんでした。

そして橋の上から見ると上流側には府道に架かる大津川橋、



下流側には臨海道路に架かる大津川大橋と、


交通の幹線ともいえる橋が架かっています。

楯並橋はそんな二つの橋の間にあって、
紀州街道の橋だということを
ちゃんと意識した装飾もなされていました。



そう、参勤交代の道中の様子です。
欄干に刻まれていました。

そしてこの「楯並橋」の名前にも、
いわれがあり、
それは「忠岡町」の地名の由来とも重なっているわけです。

そのいわれはこうです。

源平合戦の時、
平忠行がこの橋のところで、
家の戸板を楯のように並べて、
源氏と戦いました。

それゆえこの橋が「楯並橋」と呼ばれているのだそうです。

戦いは残念ながら源氏に破れ、
忠行は討死しました。
その時その死を悲しんだ地元の人々が
忠行を埋葬し
そこに丘を築いて

「忠行の丘」

と呼んだのが、
後に「忠岡」と呼ばれるようになったといわれています。

残念ながら、その丘の場所については
記述を見つけることができませんでした。




楯並橋を後にし、
街道らしく微妙に曲がった道を行くと、
送電線の鉄塔が道の真ん中に立っている


臨海に通じる道路との交差点に出ます。



その行く先の方向に、何やら灯籠も見えているようです。
それがこれ。



やたらと犬の小さな置物が置かれてありましたが、
灯籠の素性については見当たりませんでした。

次にこの街道で注目すべきなのは、
忠岡小学校から
少し東に入ったところにある

「永福寺」

です。
なぜ注目かといいますと、
このお寺は、楠木正成の菩提を弔うために、
安明兼孝が建立し
(今も境内では「安明医院」という医院が営まれています)
蓮如上人が改宗したもので、
庭に5本の大きな「びゃくしん」の樹が植わっています。

樹齢1400年ともいわれるこの木は、
その長い年月を耐えに耐えてきたように
ねじ曲がりつつも、
強烈な生気を放っており、
大阪緑の百選にも指定されているそうです。
その姿がこれ。



幹の曲がりはこんな風になってます。



樹の叫びが聞こえてきそうですねえ。

この寺を後にし街道に戻れば、
早くも忠岡町の区域を出ます。
さすがに日本一小さいまちを
売りにしているだけのことはありますねえ。

次は岸和田市域に入ります。

大きな府道を横切り、



上大芝橋を渡ると、



前方左手にこんもりした林が見えてきます。



それが八幡山公園です。



このあたりは
今でこそ海の方向はかなり沖まで埋立てられていますが、
ずっと昔はすぐ西に海岸線が迫っていました。
その時に砂丘を形成し、
背後にある弥栄神社の防波堤にもなっていたのが
この八幡山だといわれています。

歩いた時は大勢の高齢者がこぞって掃除をされていました。
地元の人に大切にされている公園なんでしょう。

そして、先ほども名前が出ていた弥栄神社の参道が
このお山の北側から続いています。



紀州街道の今回歩いた部分を語るときに、
だんじりを抜きに語ることはできません。
紀州街道沿いでは、
ほとんどの地域にだんじりがあります。
実は先ほどの忠岡町にもだんじりがあります。

そしてdoironも泉O津市の
だんじりファイターです。

昨年は、連合の年番長も務めましたし、
今年は自町の総括責任者も拝命しております。

紀州街道とだんじりは切っても切れないもので、
そんなだんじりのことは、
このシリーズの後半部分で
まとめて書こうと思っています。
関係者の目から見た
ちょっとコアなだんじり話も用意していますので、
ご期待ください。

弥栄神社を出たのは歩き始めてまだ40分くらいの頃でした。

続く


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