この三井の晩鐘は、
ついて時間の流れを知らせるだけでなく、
年末にはどんどん鐘をついてほしいそうだ。
そしたら、着いた人に
幸運をもたらそうという鐘なので、
ここでは108回以上の回数鐘を
鳴らすそうだ。
ひと月300円。
この日は、障がい者の人を
連れてきてはる団体さんがあって、
順番に鐘を鳴らしてはりましたので、
doironはしっかりと
聞いておくだけにしました。
なかなか哀愁のある鐘の音に
聞こえましたねえ。
年末にニュースを見てたら
この三井の晩鐘の煤落としが
テレビで中継されていて
懐かしかったな。
そのあと国宝の本堂にお参りしてから、
反時計回りで境内を歩いていきます。
このお寺は大変広いです。
広い上に山麓にあるので
全貌が見渡せません。
いくつもある国宝や重要文化財も
どこにどれだけあるの
って感じです。
次に行くのが金堂の裏にある
「閼伽井屋」です。
仏像に関する水を組む
井戸のことなんですが、
建物の中をのぞいてみますと
ポコポコと水がわいているようです。
じつはこの井戸の水は、
天智、天武、持統の三天皇の
産湯に使ったそうです。
そのことからこの園城寺が
別名「三井寺」と
いわれるようになったそうです。
へえ~、由緒正しい俗称ですねえ。
2番札所の紀三井寺も
3か所の霊泉がわいている
ところからこの名前に
なったようですが、
向こうは真言宗系でこちら
三井寺は天台宗系であるように、
特に関連があるわけではありません。
三井寺の名前の秘密を
知りましたねえ。
ではその次にその先の奥に
収められている
「弁慶の引摺鐘」
を見に行きましょう。
これです。
どうですか、鐘に引きずったような
跡がありますねえ。
あの固い鐘がこんな風に
なるんですねえ。
いわれはというと、こうです。
以前、瀬田の唐橋を渡った時に
登場してきた侍
「俵藤太」がこれも
doironが一度上った
三上山の大ムカデを退治したときに、
琵琶湖の竜神から
鐘をもらったそうなのだ。
それを彼が三井寺に
寄進したそうだ。
そのあと、比叡山と三井寺が
宗教の争いで戦った時に
比叡山からやって来た
武蔵坊弁慶が三井寺からこの鐘を奪い、
比叡山に持ち帰ったという。
ところがこの鐘が比叡山では
ちゃんとならずに
「イノー、イノー」と鳴るだけで、
「帰りたい」という意思を
示したのだそうだ。
それを聞いて起こった弁慶が、
そんなに帰りたいのかと怒って
谷底へこの鐘を投げ落としたそうです。
鐘の表面についている傷は
その時のものといわれています。
その後三井寺に戻った金は、
つるされて三井寺に
凶事が迫るときには
音を出さなかったといわれています。
イノー、帰りたいと鳴ったり、
凶事にならなかったりと
不思議な鐘なんだそうです。
まあ、話はところどころ
色づけられているのでしょうが、
いろいろと変遷のあった
鐘だったということですねえ。
鐘堂に収められたそんな引摺鐘は
今はもう鳴らさないようになっています。
もしなるようになってて
何かあったら変やもんなあ。
でも鳴らさないように
なっているのに、「ボーン」
なんてなったらまた新たな
伝説が作られそうですね。
そんな鐘も見たら、
さあではまた境内を
いろいろ見ていきましょう。
ここは一切経蔵ですね。
建物の中にお経の箱が
ずらずらーと並んでいます。
どんな順番で読まれたりするんでしょうか。
「え~っと、今日はD-38番を
唱えていきましょう」
とか言いながら、
読経が始まったりするのかねえ。
あ、こんな映画撮影の看板も
ありましたよ。
どちらも見ていない映画ですので、
チェックしておきましょう
っていうか、今の時代、
左の映画は作者問題で
ちょっと自粛ですかねえ。
そしてやはり、
この看板は気になりますねえ。
受験生が気にならないような、
なんかいい言葉はないのかなあ。
などとつらつら考えながら
歩くdoironなのでした。
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