ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

凱風快晴

2009年09月06日 21時37分17秒 | 最近の出来事

日本画史上の傑作といわれる「赤富士」。
この作品に葛飾北斎は

凱風快晴(がいふうかいせい)」

という名前をつけています。

凱風とは南風のこと。
この風にたなびくいわし雲をバックに、
曙光に燃える赤富士を描いた作品は
あまりにも有名です。
この作品に始まって、
ほぼ同じ形の富士を、
今度は夕景の中に浮かび上がらせた作品

山下白雨(さんかはくう)」

にいたる絵画の数々が、
ご存知「富嶽三六景」です。

現在わかっている分で四六景が
この作品群の中に描かれています。

趣味週間の切手やお茶漬けのおまけで、
誰しもが一度は目にした事のある作品群でしょう。

北斎が描いた富士の数々は、
あらゆる画法を研鑽し、
自然を凝視した末に
降臨してきた神によって
描かれたようだという人もいます。

北斎はこう語っています。

「禽獣虫魚の骨格、草木の出生を悟し得たり」と

今回のdoironの旅は、
そんな北斎が悟し得た
富士にまつわる森羅万象のひとしずくに
触れるための旅でした。
前置きが長くなりましたが、
では、ぼちぼち
ご案内申し上げましょう。


日本のはるか南方沖に、
2009年の台風12号が発生した日、
doironは
早朝から東へと車を走らせた。

天気は曇り。

その昔、
伊勢二見浦からも見えたといわれる富士山。
そういえば何年か前に登った、
大峰山系小普賢の岩場にも
ここから見えたという記録が
あることが書かれていたなあ。
東名高速を走りながら、
どこで初めてその姿が見えるんだろう
と思いながら、
浜名湖、牧ノ原、日本坂、日本平、富士川と休憩をとった。
SAに富士写真SPOTがあったのは、
牧ノ原が最初でした。
小さくしつらえた茶畑の向こうに、
富士が望める筈だったのですが、
そちらの方向には厚い雲が見えるだけでした。
日本坂は周りを山に囲まれていたし、
日本平も無理でした。

富士川のSAでガソリンを入れ、
店員さんに聞いたら、
「この方向にバーンと見えるけど、
今日は無理だね」ときた。
う~ん、愛しの富士山よ、
お前の姿を早くdoironに見せておくれ。

夕方からは雲もおさまって見えるかなと、
淡い期待を抱いていたのですが、
高速道路を降りて、
宿に向かう道で
なんと雨が降り始めました。

絶望的だ

ただ、雨のおかげで、
途中で立ち寄った白糸の滝では
見事な白糸を見ることが出来ました。



実際に登ったことのある人ならわかるでしょうが、
富士山は火山岩に覆われた
砂漠のような山なのです。
だけど、それは表面だけで、
広大な山肌に降った雨は
即座に地中に浸透し、
何百年の時を経て、山麓を潤します。
樹海と言われる原生林を育み、
大きな湖をいくつも抱え、
doironが泊まった休暇村周辺では
湿原を形成していました。
もちろん、
人々の暮らしも根本から支えてもいます。

富士は大きな水がめでもあるのです。

北斎が悟し得た、
「草木の出生」も
この水無しでは生まれないのです。

午後遅くに降り始めた雨は、
ますます強くなり、
今日は宿でゆっくり風呂にでも浸かって、
山梨ワインを飲みながら
桜海老や富士宮焼きそば、
わさび漬けなどをいただいて、
休養だなと開き直ることにしました。

その通りに、の~んびりして、
部屋に帰ってなにげなく外を眺めたときでした。

いつの間にか小雨になっていて、
予想よりはるか上空あたりの雲の切れ間に、
なんと富士山頂部分が
かすかに姿を見せていたのです。



今回の旅で初めて見せてくれた富士は、
まさに

「霊峰富士」

のお姿であるとともに
「よく来たなあ、少しだけ姿を見せてやるよ」
とでも言いたげな、
ほんの一瞬の
はかないウインクのような姿でもありました。

そしてその時見せた、一瞬の姿が、
今回の旅のまさにプロローグ、
旅の本当のはじまりでした。

明日以降に続きます。