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ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

河川敷にて

2012年09月22日 22時45分33秒 | マラソン

今日はルネと青馬会主催の
3時間走のお手伝いに
久しぶりのバイクにまたがって行ってきた。

場所は大津川の河川敷。
1周3キロのコースを
3時間走り続けるという大会だ。
今回が第1回ということだ。

この河川敷は、昔たまに走ったコースだ。
ルネを出てここまで来て、川を遡行し
街なかを抜けて帰ってくる。
あるいは川を下って
海方面をぐるっと回って帰ってくるというコースの取り方や
和泉の方から河川敷を下ってきて
海近くでUターンして帰るという走り方をしたりした。

結構昔から使っていた練習コースなので
いろんな人と走ったことがあるコースだ。
河川敷で涼しい風に吹かれて
座りながら、あの頃を懐かしく
思い出したりしていた。

そんな懐かしい場所で
スタッフをさせていただいた。

役割は、テント張りと
最寄駅からの誘導案内
そしてレース中はゴールラインを
通過する選手のゼッケンチェックである。

ゼッケンチェックとは
単純作業のように思うだろうが
これがね、ちょっとしたメモリーを必要とするのだ。
ゴールラインを越えてから休憩する人
超える前に休憩する人
そこへ持ってきて
長い間へたり込んでから
再び走り始める人などを
憶えておいて周回チェックをダブルカウント
しないようにとかも
記憶しておかねばならない。
何事もやってみると
いろいろあるもんだねえ。

AEDや医師のランナーも参加
してくれていたようだけど
動員することなく無事に三時間を終えたようである。
よかったよかった。
私が言うのもなんですが、それが何よりです。

ルネとは近頃ずいぶん疎遠で、
もうスタッフの中にも
現役の頃に一緒に走っていた
メンバーもかなり数少なくなった。
それでもランニングというスポーツの魅力は
人を魅了し、脈々とつながって
次々と人々に感染していってるようだね。
少し離れてみていると
みんな本当に楽しそうであります。

選手がみんな帰った後、
撤収を手伝い、いったんバイクで帰宅。

打ち上げに参加するつもりでしたが
帰ってみたら、祭りの寄合のあることに
気付きました。
ほんの短い間の出番なんですが、
なんといっても、今年は8町の年番長。
サボるわけにはまいりません。

長い間祭りをしていると
いつかはこんな役も回ってくることは
覚悟していたけどね。

祭り、そしてランニングと
昔からの自分の足跡を
眺め続けさせられたこともあって、
今日はとりわけ長い一日を過ごしたって
感じがしているdoironなのでした。

スタッフ、選手のみなさん
お疲れさんでした。


マラソンブーム

2012年09月18日 22時10分59秒 | マラソン

先日申込が始まった、泉州マラソン。

これがもう初日に締め切った
といううわさを聞く。
朝起きてから、パソコンのスイッチをいれ、
つなごうとしてもアクセスが殺到しているからなのか、
なかなかつながらず、
つながったと思ったらもう締め切り。
あわてて郵便局に走り、
順番待ちをして
入金してなんとかいけたとか言うような話を何人かに聞いた。

名古屋レディースマラソンもよく似た状況だったとも聞いている。

ずーっと昔、
doironが走り始めた頃、
篠山マラソンも
急いで申し込まないと締め切られるというので、
初日にがんばって申し込んだ記憶があるが、
それでも1週間くらいは余裕があった。

しかも今は、2月のマラソン申込が
前年の9月という状況。
勤務が不規則だったり、
病気がちだったり、
介護の暮らしをしていたりすると、
当日どうなるか予想もつかないような頃の
申し込みになる。
まさか、不参加の人を見込んで、
大会側が資金稼ぎをしている
なんてことはないと思いたいですね。

ではなぜ、こんな状況になっているのかというと、
大会運営が警察の許可やら何やらで
いろいろと複雑になっており、
長い準備期間が必要ということもあるだろう、
加えてやはり最近のマラソンブームである。

芸能人やらがちょこちょこ走っているので、
僕も私も走れるだろう
という気軽さ感覚が浸透して来たせいもあるんでしょう。

最近はラジオでも、
毎週ランニングのための番組が放送されていたりして、
手軽で健康によいスポーツ
というのが広く定着しているように思います。

こういった現象は、まあ喜ばしいことではありますが、
大会出場にこんなに苦労するというのは、
ひと昔前には想像も出来ない状況ではあります。

マラソンには走った人の数だけドラマがあるといいます。

自己新を目指す人、
完走を目指す人、
復活を目指す人、
なかには願をかけて走る人もいるでしょう。

また、完走できたら結婚しよう
みたいな若い恋人たちもきっといるんでしょう。

困難に挑戦し、達成感を味わいたい。

そうですね、今やなかなか人生において
そんなチャレンジの機会はなかなかないかもしれません。

ただ漫然と仕事をし、
遊ぶだけで、
達成感を味わえる機会が
あまりない社会になってきたのかもしれません。

そういう意味で、
昔からずっとマラソンを
愛好してきた私たちの選択も
まんざらではなかったということを
改めて感じる今日この頃なんです。


おすすめランコース

2012年06月05日 22時31分37秒 | マラソン

今の季節、外ランはとても気持ちがいい。
緑も濃くなってきたからね。

風のにおいもどことなく
生命力にあふれているようで、
命を注いでもらっているような感じだ。

以前は、埋立地なんかをもくもくと走ってたけど、
doironの場合、今となっては
やはり余り寂しいところはNGであります。

寂しがり屋だもんね。

え?違う?へへ。

ま、そんなこんなで、
夜は街なかの生活道路をテクテク走っている。

で、昼はというと
街なかはごちゃごちゃしているので、
公園もしくは郊外に走りに出る。

郊外といっても、
この辺は郊外の中に街があるようなもので、
少し足を伸ばせば気持ちのいいランニングコースは比較的とりやすい。

そんな中で、doironのお勧めのコースをひとつ紹介しよう。

最初に向かうのが、

「久米田池」

ここへ行くまでの道も、
大津川を遡り
和気の辺りから村中の静かな道を走って、
牛滝街道を横切り、
東大路、今木町を経て
久米田池に至るコースが
安全でいいようである。

これが久米田池。



泉州地域の人なら
多分ほとんどの方が知ってます。
満水面積が大阪府内最大のため池です。

昨冬だったか、
コウノトリが飛来して
ちょっと話題にもなった池です。

宝塚直後、要安静時期に
カメラを持って雪の中の
撮影に行ったのを思い出します。
(それが安静かいっ
て声が聞こえてきそうですが)

その久米田池をぐるっと右回りし、
尾生の新興住宅地を抜け、
中尾生橋を左折して山に向かいます。

800mほど行くとT字路に出るので
そこを左折すると、
道はのどかな田園風景の中、
トンボ池公園に向かっていきます。

テニスコートとかが右手に見えてきたら
もう公園もすぐそこですね。

広い道から右手の公園に階段を上っていくと、
池に出ます。

それが「トンボ池」なのではなく
「大池」です。

不思議なことに
「トンボ池」は
公園から少し離れたところにあるのです。
もしかしたら、
そこまで公園を拡張するのかもしれません。

その「大池」をぐるっと左回りに巡っていくと、
大きな芝生広場とバラ園に出ます。

バラの数はさほどではありませんが、
花壇を工夫して見せるようにしている努力が伺えます。

こんな感じ。





この公園では、
今も開催されているのかなあ、
クロスカントリーの大会が
開催されていました。

この公園には、
その大会のときに初めてやってきました。

8キロを31分で走っても、
順位は中ほどという
レベルの高い大会でしたなあ。

園内にはそんなクロスカントリーの
コースにもなっている、山の斜面を利用した
アップダウンの舗装路が施されています。

アジサイ園の入口を右に見ながら
舗装路を行くと、
やがて公園の東側駐車場に出て
公園めぐりは終わります。

そこからは、桃で有名な包近を抜けて、
牛滝街道の歩道を下るもよし、
一本西側の街道に沿った
田舎道を下るもよし。

今木町の交差点に出たら、
あとは来た道を帰ります。

これで約23キロ。

のどかな郊外を巡る、
比較的アップダウンの少ない
お気に入りのコースのひとつです。

他にも、ちょっとハードな若樫コース
なんかもあるのですが、
それはまた次の機会があれば書きましょう。


ええ汗かきました

2012年05月31日 22時30分23秒 | マラソン

昨日はマラソン友達と
飲みに行った。
節目節目に直接に間接に
力づけてくれた友人である。
いろんな話をして
久しぶりによく飲んだよ。

なので、今日は
やっぱり頑張らねばと
エイもパスして
しっかりトレーニングをした。

足の筋肉が結構プルプルしている。
普段出てこない深い部分からの
汗を絞り出した感じだ。

きっとダシのきいた汗だったろうなあ。

カツオ風味のランパン~

久しぶりに超しっかり
身体を動かしたものだから
帰ってからの
晩酌も少しだったのに
よく回ったよ~。

有酸素トレは肝臓にこたえるのかね。
もうここまでで眠くて眠くて
眠気との戦いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい

おっと、知らん間にキーボードを
押し続けていたぜええええええええええええええ

あかん。
限界だす。


100キロという距離

2012年05月28日 22時20分01秒 | マラソン

この前の日曜日、
島根で100キロマラソンが
開催された。
この大会に数人の友達が参加し
知り合いたちはすべて完走を果たした。
そんな報告をもらうのは
とてもうれしい。

自分の中にある
過去の思い出に
ほのかな明かりが灯るような気がする。


doironが初めて100キロマラソンを走ったのは、

1991年。

doiron35歳の時だ。
舞台はあのサロマ湖であった。

当時、日本で100キロマラソンというのは
多分ここでしか開催されていなかったと記憶している。
当時はフルマラソンを既に10回程度完走していたものの、
100キロは未知の世界であったし、
周りにも経験者は1人もいなかった。

なので申し込んでからの約半年間、
その未知の世界への想像を
自分の中でどんどん膨らませていったわけである。

出場までに特別にした練習は、
それまでのフルの練習に加えて、
当時の職場の松原市から奈良県の月ヶ瀬村までの
約60キロを走っていくというものであった。

その頃は走り始めて3年くらいで
ひざと腰に故障を抱えていたため、
30キロも走るとひざが痛くなり、
フルが限界で、その後走れなくなる
という状況であったのを覚えている。

従って、まさに100キロは未知の世界。
あの北の大地で、
走れなくなって
途方にくれている自分の姿が
夢にまで出てくるほどであった。

しかし、若かったこともあって
練習は続けながらも徐々に故障は癒え、
満を持して7月7日午前五時、
北の大地のスタート地点に立ったのでありました。

その時の持ち物はというと、
マメつぶし用のピンと
治療の為の傷テープ、
ガス欠に備えてのデキタブと
自販機用の小銭を
ポケットに忍ばせていたし、
途中のエイドステーションには、
ランパン、ランシャツと
靴まで預けてあった。
どんな状態になるのか分からなかったので、
それほど用意周到でした。

今思えば、心配しすぎでしたねえ。

晴天の中、午前5時にスタート。
完走できるのか、
またできてもどれぐらいで走れるのか
全くわからなかったので、
とりあえずスタートはキロ6分で入った。
ちょっと無謀でしたかね。

それでも最初は快調で、
フルも4時間22分24秒で通過した。

ところが、終盤のラスト20キロで
それまで経験したことのない状態となった。

ひざの痛みはないものの、
身体がどうにも動かない。
少し走っては、
歩き、
時に立ち止まる。

ワッカでキタキツネを見かけたときは
癒されたが、ゴールはフラフラであった。

トータル11時間44分。

それでも大満足のゴールだった。
翌日から足をずっと引きずったまま
道内を旅行したっけなあ。

それにしても完走した当時の喜びはひとしおで、
ゴール写真をずっと
部屋に飾ってあったのを覚えている。

初めて100キロを走ったのは、
そんな20年前。

その間に再度のサロマ100キロと
高野山110キロ、ダブルフルに加えて
250キロも4回走ったし、
ロングトライアスロンも17回出場した。

もし今、身体が許せば、
100キロに出場するとしても
あの頃のように
まったくの未知への挑戦ではなく、
精神的にはちょっとそこまでの感覚だろう。

20年の歳月の間に、
ウルトラの距離にもまして、
思えば遠くへ来たものである。


徐々にではありますが

2012年05月23日 22時39分08秒 | マラソン

最近の運動の状況といいますと
もっぱら、ジムの
トレッドミルでのラン。

一時間をみっちり走り
しっかり汗をかいている。

といっても過去の自分に照らすと
それはだいたいウォーミングアップ程度の
運動だった。
でもそれはもう今となっては
しっかりと受け入れなくてはならない。
とは思うものの
トレッドミルで4時間40キロを走ってた
過去の自分との落差は大きく、
それを受け入れるために
常に努力をしている。

トレッドミルで時速8キロや9キロで
走りながらも
これでいい、これでいいと
言い聞かせている自分がいる。
そうして押さえながら、一年半が経った。

少しずつ、自分と対話しながら
最近ようやく、さらに一歩進めようと
言えるくらいの自信がついてきた。

なので、近頃の練習は
トレッドミル1時間のランに加えて
8%の傾斜をつけて
2キロをえっちらおっちら
坂道ウォーキングにはげんでいる。

こうすることで
一緒に山に行きたい
仲間との山行にも備えている。

この夏は、そういう山行も
不安なくいけたらいいなと思っているし
来シーズンはもう少し
マラソンでも復活したいと
素直に願えるようにはなってきた。

新しい春に向けて
嵐のような送別会で
身についたお肉も
最近ようやく落ち始め、
海だ山だと
今年の夏の計画も
ぼちぼち決めていかねばならない
季節がやってきています。

徐々にではありますが
仕事を変わったという
大きな変化も
doironペースの人生に
しっかり馴染みつつある今日この頃なのだ。

そんな自分を見るにつけ
とにかくdoironを取り巻く
いろんな人に心から
感謝感謝の毎日ですわ。


たった二キロですが

2012年03月20日 22時30分47秒 | マラソン

あの忌まわしい事件から
1年3か月。
医者には「普通にしてたらいいよ」と
言われ、「どこまでが普通なんだろう」と
思いつつ、トレッドミルで
長い時は10キロを走ったり
外を20キロくらい走ったりと
ま、自分なりに普通に過ごしていた。
そんな暮らしの中で
普通にまで戻っていなかったのが
レースへの参戦だった。

またあんなことになったら
あんなに幸運なことは考えられず
今度はまず神様も
あきれて助けてくれないだろう。
という不安はいつもdoironを
とらえていた。

クラピカの律する小指の鎖が
心臓に突き刺さっているというのが
一番近い表現になるだろうな。
(わかる人にはわかるが
わからん人にはさっぱりわからんだろう)

ま、とにかく何かが起きれば
今度は心臓ごとつぶされる
みたいなトラウマがあり、
レース参加ができないでいた。

しかし、いよいよ新しい春が
近づくにつれ
少しはこのトラウマから
自分を解放してやろうと
実は、堺シティあたりで
レース復帰をもくろんでいたのだが
今日、ひょんなことから
大阪城のリレーマラソンに
参加することになり
突然のレース復帰と
あいなったわけである。

リレーマラソンで課せられたノルマは
2キロを2回
合計4キロを走ることだった。

恵まれたお天気の下
まず1周目はおそるおそる
キロ6分程度で
なんなく完走。
そして2周目は
少しペースを上げて
キロ5分半程度で楽に走らせていただいた。

リレーなので、順位を落とすのは
申し訳ないという気持ちも働いたが
必死で自分を抑えた結果である。
くれぐれも無理は禁物と
走りながら自分に言い聞かせておりました。

おかげさまで
何事もなく
ごく普通にタスキをつなぐことができ
ひと安心すると、同時にまた一つ
階段を昇れたかなって気持ちで
とてもうれしかったです。

たった二キロでしたが
僕には果てしなく遠く
そして限りなく意味のある2キロでした。

走り終えた後、公園内を
今日の走りをかみしめながら
歩いていると
新しい春に向けて
まだまだ桜のつぼみは
かたかったけど



何となく自分の中では
つぼみも膨らみ
ポツポツ花が咲きだしたかなあと
しみじみと考えていたdoironでした。


泉州マラソン2012

2012年02月19日 21時28分58秒 | マラソン

今日は泉州マラソン。
この大会には
ず~~~っと出ていたけど
昨年から応援に回っている。

まあ、仕方ないよな。
まだまだフルを走れる身分じゃ
ございやせんもん。

自己ベストを目指す人
復活を期して走る人
今の自分を確認しようとする人
病に打ち勝とうとする人

みんなそれぞれのフルマラソンを
走りながら
この大会を堪能していた。

スタート会場に行くと
doironの境遇を知っている人は
「元気?」とたずねてくれる。

そうやね、憎らしいくらい
身体は元気なんですが・・・
心はまだ・・・
それに家庭の事情がいろいろと・・・
なので今年もこの大会を
傍観者として見させていただきました。

それにしてもほんとに
ありがたいことに、みなさんにいっぱい声を
かけていただきました。

そうして、声をいっぱい受けながら
ずっと心に渦巻いていたのは
復活のためには
あまりにも大きな壁を
超えなければならない。
頑張っている人たちを見て
よし!やってやると自分を
奮い立たせるときと
もう、あんなには輝いて
走れないから、あきらめろという自分が
激しく交錯する葛藤でした。

そう思えば、マラソンって
これまで自分のためだけに
走っていると思っていたけど
いろんな形で見る人の
心を動かすんやなと
あらためて思った観戦となりましたなあ。

今日、走った皆さんをはじめ
参加したみなさん、お疲れ様でした。
そして、いろんな意味で
ありがとうございました

何らかの形で
復活をめざしたいと思った
doironなのでした。


泉州マラソン前々々夜

2012年02月16日 22時09分48秒 | マラソン

昔、タイムを狙って
マラソンを走ってた頃は
カーボローディングを実行していた。
というのはどういうことかというと、
人間の身体の特性を利用して
いつもより多めに糖分を蓄えるための
食事療法をするということなのだ。

マラソンの距離と人間の身体との関係を
みてみると
人は走るときには
まず身体に蓄えられた糖分を
二酸化炭素と水に変えることで
エネルギーを生み出すように出来ている。
その糖分がいよいよ枯渇し始める頃になって
今度は脂肪がメラメラと燃え
エネルギーを生み出すという仕組みになっている。

フルマラソンの42キロを走る場合
どうしても、ゴールまでには
糖分は枯渇する。
それは概ね30キロくらいからである。
いわゆる30キロの壁というもので、
マラソン経験者なら
枯渇時のつらさは、身にしみて知っているだろう。
そうして糖分が枯渇すると次に
いよいよ脂肪燃焼の出番となる。

とはいえ、勝手に脂肪がどんどん燃えるか
というとそうではない。
脂肪をエネルギーに変えるのにも
トレーニングが必要で、
それは一朝一夕に身につくものではない。
いかに、ランニングに時間を費やしたか。
大半はそれによって決まるのである。
マラソンタイムで練習はうそつかないというのは
その辺の部分でもあるだろう。

日ごろの練習が大きくものをいうと
いってしまうと、じゃ、
レース直前に何をすればいいのだと言うことになる。
生憎、脂肪の燃焼効率を
一夜漬けで身につけられるというわけではない。
でも、それを補完するために
手軽に出来ることが
ひとつだけあるのだ。

それがカーボローディング。

体内に糖分を蓄える量というのは
大体限られている。
しかし、一旦体内の糖分を
枯渇させると、
次に糖分を摂取したときには
反動でいつも蓄えている量より
多くの糖分を蓄えようとする仕組みが
我々の体の中にはあるそうだ。
そういった仕組みを利用し
糖分をいつもより多く蓄え、
糖分が枯渇するタイミングを
1キロでも後ろにずらすことができるのだ。

ではそんなカーボローディングのために
何をすればいいのかというと
一旦身体中の糖分を抜き、
しかる後にレース前に一気に
「炭水化物など、糖分になるものを
摂取するわけだから、レースの二週間前には
炭水化物などを一切断ち
1週間前になると
今度は一転、炭水化物中心の
食事に変えていくということで
かなり、カーボローディングを
実践させる事ができるってもんだ。

泉州マラソンのレースはもう次の日曜日。
今さらカーボローディングなんて出来ないと
お嘆きのあなたは
明日金曜日は、炭水化物を断ち
土曜日にしっかり炭水化物を摂るという
お手軽カーボローディングもありますので
ぜひ試してみてください。

メニューとしては
金曜日、焼肉
土曜日、パスタ
なんかがよさそうですね。

レース本番の
日曜日は寒くなりそうです。
doironも各所で応援いたしますので
出場する選手の皆さん、頑張ってくださいね~





マラソンは難しい

2012年01月29日 23時13分28秒 | マラソン

う~ん、痛々しかったなあ。

福士。

素直に彼女の力が
そのまま出ていたらなあと
誰しもが思うだろう。
それだけに
彼女の力を引き出せなかった
コーチ陣も落ち込むだろうなあ。

10キロが速くても
マラソンでは力を発揮できない選手も多い。
ところが、一方でマラソンとなると
普段考えられないような力を
出す選手もいる。

エネルギーの製造能力
同蓄積能力
それから、身体に張り巡らされた血管の様子
そして身体を巡る血液。
もちろん筋肉の特性もあるし
骨格もある。
加えて、精神的なものも
かなりの影響を与えるし、
バイオリズムのようなものもある。

短期的な調子の波
長期的な調子の波

それらすべてをひとつのレース時に
頂点に持っていくのは
難しいんだろうなあ。

大阪女子を走った皆さん
そして応援のみなさん。
お疲れ様でした。