昔、マラソンをしていた頃
良く、いろんなことを教えてもらった先輩がいる。
この人は、最初にはいった時も
職場の直接の先輩で
何度も何度もいろんなことを教えてもらった
という記憶がある。
晩年になって進む方向が違い
いろんなことが別々になってしまったが
まあ、趣味はマラソンと同じだったので
たまには時折マラソンの話などをしていた。
いずれにしても晩年は仕事が忙しく
みんなでマラソンに行ったりすることも
ほとんどなくなったようなひと時だったけどね。
彼はマラソンがとても強く
フルも2時間36分くらいで走っていたという
実績を持っている。
そんな彼も、定年を迎え、昨年一年間
再雇用で働いた跡は
もう悠々自適と楽しみに過ごしているそうだ。
そんな彼に、ちょっと忘年会の
連絡ごとがあって連絡をし
話の中で僕が入院した話を言うと、
翌日あわてて会いに来てくれた。
前の職場で僕の家を知っているのはあまりいない。
彼は30年くらい前に一度来たことがあったのだが
それ以降は一度も着たことがなく
ほとんど知らないのと同じようなものだ。
だいたい家を出るくらいの時間を言っており
近くまでついたら携帯で電話をしてみるといってた。
1時間後くらいに電話があって
あわてて外に出てみると
20m位離れたところに泊まっていた。
あわてて呼ぶと戻ってきて
ようやく家がわかったような次第だ。
結局一目見て
何にも変わってないなあという
印象だったという。
近所のファミレスに行き
最近色々とやっている話を聞いたら
結構いろんな山に登ったりもしているそうだ。
そうだ、このひとは大学時代
山登りをしていたというから
doironと同じく
そんなことをしていても全く不思議ではない。
仕事の話は、ずいぶんと大変だったそうだ。
晩年は特に大変で
環境一筋のかれはいろんな問題を抱えて
あちこちやってきたように思う。
でも、もういいよねえ。
最近は山に登ったり
旅行に行ったり
たまに孫と遊びに行ったりと
いそがしいようだ。
それにまあ、もともと強いから
麓まで自転車でいってから
ボトボチ登ったりしているときくと
またゼヒ今度はゆっくりと登ってみたいと
思ったりもしたよ。
取りあえずは忘年会。
毎年いろんな人が集まる中で
またいろんな情報が集まって楽しい
時間を過ごせるのがうれしいぞ。
本日、ランニングチームのおひとりの
悲しい、悲しい告別式でした。
doironがレースに出なくなってから
どんどん頭角を現してきた人でした。
走ることをとても楽しんでいる人でした。
現役の頃にもし一緒にレースに出ていたら
きっと火花を散らしていたでしょうね。
くすもとクン
君の無念さが胸をしめつけます。
でもどうか安らかに。
強く、強く
ご冥福をお祈りしています。
本日、晴天の下
大津川河川敷で
ランニング仲間による
「大津川さわやか三時間走」
が開催されました。
選手の皆さん
そしてスタッフの皆さんお疲れさんでした。
しかしなんですなあ
レース出場から引退して
doironも5年近くも経ちました。
やめた当初、この大会のスタッフに来ると
走っている皆さんが
うらやましくて仕方なかったんですよね。
それがねえ、年々そういう
うらやましさ感は薄れてきましたね。
祭と一緒で
だんじりの前に乗って
「行っけ~」とやってた頃から
裏方に回るようになって
こちらも3年が経ち、みんなが楽しそうに
しているのを見ているだけでいいじゃん。
という気持ちになってきたように
この三時間走をはじめ
マラソン大会そのものを
横から見ることに
抵抗なく素直に楽しめるように
なってきました。
現役の皆さんは
なかなかそんな気持ちは理解できないでしょうけど
人間、その日、その時の暮らしに
応じて自分の生き方に慣れてくるもんですな。
いやあ、今日はそういう意味から
たっぷり楽しませてもらいました。
一周目の計測はさすがに
もたもたしてしまいましたが・・・
力不足です。
そんな中、今回、役にたったのが
双眼鏡
かなり手前からナンバーを確認できるのがよかったっす。
年々目が悪くなっていきそうだから
今後も有効でしょうね。
次回は動画撮影をすべきだと
痛感しました。
まあ、ともあれ怪我も、事故もなく
無事に終わってよかった、よかった。
さあ、連休済んだら
ちょっぴり仕事をしつつも
街道歩いて、山に行って、
自分の楽しみの世界に没頭しますかね
スポーツの秋やもんね
あ、祭りもあるわ
本日スタッフされた方、選手で走られた方の
これからマラソンシーズンインの
活躍をお祈りしています~
泉大津大橋を渡った一帯は
「小津島町」。
ここには、まだあと2点の三角点がある。
さらにランニングコースを進んでいこう。
かつて一周800mのまわりの道を
インターバル練習に使っていた
大きな倉庫の横あたりの、
どうやら中央分離帯に三角点があるようだ。
注意してみていくと・・・
あった!
標高3.2mの四等三角点だ。
もしここに「〇〇山」という名前がついていたら、
三角点のある日本一低い山だったのになあ。
これでふたつ目の三角点をゲットした。
そして三つ目は緑道ランニングコースの
折り返し点である堤防のドン突きの
少し手前を右に曲がってすぐのところに埋まっていた。
これ。
ここはちょっと荒れていたので
まわりの草をチョチョイとどけて写真撮影。
ここも標高3.2mの四等三角点である。
ここまで見てきた三角点は、
すべて四等であり、標石は比較的新しかったな。
さあ、小津島の三角点は
これですべてゲットした。
次はこの南にある汐見埠頭の三角点だ。
臨海道路の歩道をちんたら走って向かっていき、
汐見町の交差点を右折。
ここには、昨年度三人の親を火葬した施設がある。
その施設のすぐ先に、
三角点があった。
これもトラックがビュンビュン走る
道路の中央分離帯に
ちょこんと顔を出していた。
ここも四等三角点。
標高は3.2mだ。
ここ汐見にも三角点はあと2つある。
海の方というのは
陸地の端っこだから
押さえの三角点を配置しているんだろう。
かつての千亀利マラソンの
折り返し地点の近くにある
汐見公園の植え込みの陰に
あったのがこれ。
またもや四等三角点で
標高は5.6m。
海の先に近づいているのに
標高が高くなっていた。
さらにその先を右折し、
埋め立て地の先端に行ったところに
もう一つあるはずなのだが、
残念ながらそこは港湾局の敷地内だ。
入り口のゲートで警備員と話したが、
入れてもらえなかったわい。
ぐすん。
仕方なくすごすごと戻った。
さあ、あと残るは市街地にある2点である。
たらたら走って行こう。
汐見町の交差点で臨海道路の中央分離帯に
赤い鳥居がある。
前から気になっていたので
折角だから調べてみることにした。
結果は・・・。
また近々考えている
「市内のナゾ」シリーズで紹介するとしよう。
次の三角点は地図で見ると、
どうやら小学校の敷地内にあるようだ。
でも敷地の端っこにあるようなので、
もしかしたら外から撮影できるかもしれないと、
周りを色々探ってみた。
しかし、学校敷地の境界にある高い壁と
周りの住宅地の人たちの不審そうな視線に
阻まれて撤退した。
なにも学校に断わって
入れてもらってまで
撮影するほどのことはないもんね。
残るはあとひとつである。
泉大津の最も南東にある公園内にあるはずだ。
大津川を遡って行った。
ところで憶えているでしょうか。
昨年6月に始まった企画の
「ほっつき百選」
2まで書いたところで
ピタッと止まってしまっている。
何も忘れていたわけではなく、
街道や山歩きにかまけて
取り組めてなかったんだよね。
近々これも再開しようと思っているのだが、
まだまだネタがたまっているので
どうなることか。
そのほっつき百選の
仮No3に選んだのが、
大津川の「ベニバナツメクサ」でした。
その花が、今年も見事に咲いていた。
おや?河原に何か石が建っているぞ。
そう思って近づいてみると、
これもなかなか由緒ある石ではないか。
またまた「市内のナゾ」シリーズに
送ることにしよう。
さて、最後の三角点がこれ。
板原第一号公園の
南東の隅に埋まっていました。
これは・・・
おお、市内で初めて見る
「三等三角点」だ。
標高は14.6mと
これまでで最も高い。
これで市内の8点の三角点のうち、
6点をゲットしたことになる。
水準点は3点のうち
1点しか見つけられなかった。
残りは、なにか機会があって
確認できれば紹介することにしよう。
市内の三角点探索の
ほっつき走り。
各地の混雑を避けての
GWの楽しく、運動にもなった取組でありました。
終わり
市内の三角点を見て回った。
蘇鉄山に行ったときに、
しげしげと三角点が記載された地図を見ていてふと、
自分が住んでいる市に
三角点はどれほどあるのかなと疑問を抱き、
調べてみることにした。
問題は調べ方である。
手元には国土地理院の地形図があるので、
それを虫眼鏡でグリグリ探してみるのもいいだろう。
でも見落としということもある。
ここはやはりネットやね。
探れば三角点の一覧表なんてすぐに出てくるだろう、
と思っていたがこれがなかなか見つからない。
どうも、ネット上に
「全国三角点等級別一覧・点の記つき」
なんて都合のいいデータは
掲載されていないようだ。
もしかしたら本として出版されているのかもしれない。
ただ、市町村の中には
ホームページの中に
一覧表を作っているところもあるようだったが、
大阪府内の分は見つけることはできなかった。
したがって泉大津市の三角点一覧表も
手に入れることができなかったのである。
しかし、調査のアプローチの方向を変えてみたら、
国土地理院のホームページ内に、
測量基準点を落とした地図が掲載されており
閲覧できることがわかったので、
さっそく探ってみた結果、
市内に三角点が8点あることが判明した。
そしてなんとその三角点のいくつかが、
いやというほどそばを通っていた
場所にあることを知って
それをしらなかったことに愕然としたのである。
三角点は位置の測量に用いる基準点。
その基準点にはもうひとつ
「水準点」というのもある。
これは高さを測量する基準点だ。
三角点探索にあわせて、ついでだから
それもあわせて調べてみることにした。
国土地理院のホームページには
市内の水準点は記載されていない。
しかし、地形図には載っているので、
多分等級の低い水準点なんだろう。
地形図グリグリ探しで3点見つけたので
それも合わせて訪ねてみることにした。
ではそれらの基準点を確認する
ほっつき走りに出かけてみよう。
まず家を出て向かったのが、
助松にあるという水準点。
地図で見る限りでは
昔浜寺ランで走った道
(紀州街道)にあることになっている。
水準点は、こういう街道沿いに
配されることが多いそうだ。
それにしても、何度も走ったり、
歩いたりした道にあることには驚きだ。
意識が違うと目に入る物が全く違うんやね。
走りはじめの重い体に
ようやく慣れてきた頃に到着。
リュックに入れてきた地図の束を探ると、
「田中本陣」といわれる、
紀州の殿さまの参勤交代の時の
休憩所として使われていた建物の前あたりに
水準点の地図記号が描かれてある。
キョロキョロ探してみると・・・
どうやらこれのようです。
そばにはなにも描かれていなかったが
四角の中に点を打ってある地図記号と
同じ形をしているからきっとそうであろう。
まずはひとつゲットということにしておこう。
ここから街道を南下し、
近くにあるもう一つの水準点を
探してみたが見つからずじまいだった。
次に向かったのが、
そのありかを知って仰天したという
問題の三角点である。
なんとかつてのランの練習コースだった
小松緑道の先にあるのだ。
しかもランコースのすぐ脇に。
入り口から緑道を通り、
昔のフェリー乗り場の横にある
こんな植樹の横を抜け、
泉大津大橋を渡る。
地面にかつて緑道の入り口から
自転車のメーターで距離を測って
doironがペイントしたライン
(これは入り口から1キロ地点)が残っている。
この日は天気が良く、
橋の上から
南にりんくうゲートタワービル、
北にあべのハルカスが見えていたな。
その橋を渡りきり、
信号の手前でテニスコートの方へ
Uターンするようにおりていく道の
入り口のところにその三角点があった。
これ
標高9.1mの四等三角点である。
かつて数えきれないくらい走った道の
すぐ横にあったとはねえ。
もしかしたら、「ああ三角点があるんやな」
くらいは思ったこともあったかもしれないが、
記憶には全然残っていなかったわい。
ゲゲゲッと続く。
さて、泉州マラソンの追加報告です。
当日は大阪みどりの百選にもなっている
スタート地点の浜寺公園まで
テクテクと歩きました。
途中、とんでもない方向へ間違えて歩き、
自分の立ち位置さえ見失ってしまい
ショックを受けましたが、
よくよく考えたら仕方ありません。
人生の立ち位置さえすでに見失っているのですから・・・
やれやれ、自分でも情けないものです。
いつもの場所に行くと、
いつもの連中が準備にかかっておりました。
最近はメンバーもとても多くなり、
その場所も賑わっています。
これがルネのユニフォームを着た、
やる気ランナー達です。
そしてそんな男連中を従える
ルネの女性エリートランナーのお二人。
のんびり余裕で準備をしてはりました。
スタート前には、ゲストランナーを確認に行きました。
おお~、あの後ろ姿は、
doiron世代のマラソンヒーローのひとり
中山竹通選手ではないですか。
きゃー、こっち向いて~と心の中で叫んだら、
ちょっとだけ斜め後ろ顔を見せてくれました。
そんな撮影後、応援のこの人達と、
スタート直後のところに陣取っていますと、
ヘリが飛び始めました。
そして定刻の午前10時30分にいよいよスタートです。
スタート直後は、人が多すぎて
知り合い選手を全く見つけられません。
向こうから見つけてくれないと
ほぼ不可能です。
なので写真は一枚も取れませんでした。
最後尾まで見てから、
次の応援ポイントである羽衣駅下がりに移動しました。
ここにやってきた選手たちの写真を
順番に掲載していきます。
他の人はごめんなさい。
見つけられなかったり、
ブレブレだったり
他の選手の陰になっていたりして
掲載に耐えない写真になってしまいました。
概ね、通り過ぎたら電車に乗ってりんくうに向かいます。
今日の昼ごはんはこれ。
あまり動いていないため、
街道歩きの時に比べて
「いつもより少なめに食しています~」。
応援したポイントは
31キロ地点くらいでしょうか。
またまた来た人順に、
きれいに撮れているものだけ紹介していきます。
頑張ってます
さらに頑張ってます
華麗なフォームです
余裕のbabiさん
あ、歩いてるし~
前の職場のランチームの元会長さんです
スタートしてちょうど3時間くらいまでは
ここにいました。
その後は、ゴール100m手前まで移動です。
陣取った時には、
3時間20分より速い人は
もうゴールしていました。
最初に来たのがオザキ君
まだまだ元気やね~
はい、笑って笑って
サブフォーおめでとう~
今回の全写真の中のベストショットです
隣でラストスパートのクラウチングスタート?
この日のレースコンディションは、
例年のこのレースに比べて風も弱く、
気温も寒すぎず良好だったと思います。
走ったみなさん、
そして応援の皆さん。
一日お疲れ様でした。
朝からてくてく歩いて浜寺公園まで行きました。
泉州マラソンの応援です。
家を出てまず目指したのが
スーちゃんの亡くなった病院です。
その手前には高石市のスポーツ施設があります。
昔、水泳を憶えはじめた頃は
よく来たプールです。
30年くらい前かな。
そして病院の横ではしっかりと掌を合わせ、
過ぎてゆきます。
そこでいったん休憩と
缶コーヒーを買いにコンビニに入りました。
ここから浜寺方向までは大体30分前後です。
時間を見ながらちょうど頃合いに着くように、
ゆっくり休憩してからスタートすることにしました。
するとそこで、今回驚きのできごとがあったのです。
コンビニを出ててくてく歩いていると、
見なれた景色が見えてきました・・・
あれ?・・・
げっ!気がついたら
方向がまるっきり逆ではないですか。
一瞬自分の立ち位置がわからなくなってしまいましたが、
冷静に考えると方向が正反対です。
西に向かって歩くべきところ、
東に向かっていたのです。
人生初めての方向違いというほど
ひどい間違いでした。
街道歩きも山歩きも頻繁にしているくせに、
頭の中のコンパスが狂ってしまっていたのです。
これは大ごとです。
老化の始まりです。
これからは十分気を付けなければなりませんなあ。
そんな錯誤をなんとか修正し、
再び公園に向かいました。
かつてランで頻繁に走ったコースに出て、
それを北上しますと、
やがて公園が見えてきます。
走っていた頃はよく来た公園です。
松林を縫って進んでいきますと・・・
今回応援をする泉州マラソンの
スタートゲートが見えてきました。
ここまで約6キロ。
いつもの場所に行くと、
大勢の仲間が準備にいそしんでいます。
聞けば、初マラソン有り、自己ベスト目標の者有りと様々です。
皆さん楽しそうで、
それを見ているとdoironも負けずに
いっそう楽しく過ごさねばなあと思ってしまいました。
普段あまり合わない人々とも会えましたし、
その辺はマラソンの応援の醍醐味を感じますねえ。
集合写真を撮って・・・
選手はスタートへと、
そして応援も適度なポジションにスタンバイです。
さてどうなったのか泉州マラソン。
詳しくは後日~
明日は泉州マラソン。
今年で22回目となるそうだ。
この大会は第17回まで走ったから、
今年で5回目の応援となる。
地元のこの大会を走るのは楽しかったな。
沿道には両親もまだ元気だった頃は
応援に来てくれていた。
スーちゃんと松の浜でハイタッチをするのが恒例だったな。
また地元の連中もdoironがすなるマラソンというものを見ようと
大勢駆けつけてくれていたりしたものだ。
当時は子ども会の役員もしていたので、
他町の役員連中とも顔なじみで、
彼らが大挙して沿道警備に出ていたりしたものだから、
スタッフの服を着て、
まるで観客のように応援してくれた。
それに、長いこと会っていない同級生からも
声がかかったりしたものだ。
だからラップを見ると、
地元を通過するときが
たいてい一番早タイムを刻んでいた。
レースとしては、
サブスリー狙いでスタートし、
いつも貝塚あたりから疲労が出始め、
りんくうでピークになる
というレースばかりしていた記憶しかない。
それでも地元はやはり楽しいし、
手軽であった。
今年も地元のスポーツクラブからも
知り合いが多数走るし、
走り始めた昔の頃に一緒にやっていた友達が
今も元気に走っているのを見ると
単純に「すごいなあ」と思ってしまう。
今年もあの人は走るのかなあ
と言う人が何人もいる。
マラソンは生涯でもっとも時間を費やした趣味だ。
だからこそそこに人生を感じてしまうんだよね。
そういう意味で、レースに出ている知り合いは
みんな同志と言ってもいいかもしれない。
あしたは応援でたっぷり楽しませていただこう。
カメラを持って、羽衣、りんくう入口あたりに出没しますので
みなさん頑張ってくださいね~
今日は大阪国際女子マラソンの
応援ということで
大阪城公園周辺に行ってきました。
この大会にはほぼ毎年
何らかの形で応援に行ってます。
思い起こせば横断幕を作っていったり
手作りプレートをかざして
応援したこともあります。
丁度途中で選手達と対面するような形の
コース設定であるハーフマラソンを
走りながら応援したこともありました。
ああ、雪の降る中の応援もあったっけなあ。
まあ、言ってみれば女性ランナーたちの
晴れ舞台でもあり、
こちらにしてみれば
応援祭りのような大会でもあるわけです。
一緒に応援するジダン達と
森ノ宮の駅で待ち合わせました。
しかし、ちょっと早く着いたので
駅周辺を散策です。
このあたりには、昔々によく
研修で来ていました。
なじみの喫茶店、行きつけの居酒屋も
あったので、それらを探索してみましたが、
残念ながらどのお店も今はなくて、
時の流れを感じましたねえ。
商店街にもこんな名前がついていました。
「太閤さんの城下町」
時の流れといえば
マラソンの方でも感じました。
参加者名簿をマーキングすると
かつては目がチラチラするほど
多くの知り合い選手が走っていたのですが
こちらの方も時の流れで
年々少なくなってきています。
自分が走らなくなったというのもありますが
レベルの高い大会なので
年代の近かった選手たちが
どうしても少なくなってきますからねえ。
合流後は昨年と同じお店で
先ず昼食です。
歳を取ってくると行動が
パターン化しがちですな。
自然にやさしい手動ドア、だって。
たかが手動ドアでなんという傲り。
だったらうちの家も自然に超優しい
おうちじゃないですかい。
おじさんはメニューも昨年と
多分同じチョイスになりました。
これ
カレーうどんの定食です。
一口食べてから
写真を撮っていないことに気づき
パチリとすると同時に
この時同時にdoironの頭をかすめたのは
ミセスが出がけに行ってた言葉です。
「今夜はカレーやからね」
やってしまいました。
おじさんパターン化の法則に見事に
はまってしまいました。
食事は昼時とあってひしめき合って
座りつついただきました。
こんな感じ
う~ん、なかなか本題に入れません。
マラソン応援でしたね。
早送りしましょう。
▽▽
大阪城公園のトイレは改修中です。
あ、もっと早送りしましょう。
▽▽▽
で、結局ガメラが連覇でした。
レース応援後は
王将で餃子をつつきながら
ふたたび生ビールを飲んで帰ってきました。
とまあ、こちらはすっかり楽しんだのですが
選手の皆さんはお疲れ様でした。
doironとジダンの姿が
少しはハゲみになったでしょうか~
皆さんの雄姿をしっかりと
心に刻ませていただき、
明日からまた頑張る日々の
糧にさせていただきます。
ありがとうございました~
駅伝シーズンである。
最近は中学生の駅伝から
実業団の駅伝まで男女を問わず
テレビ中継されているほど、
世間の関心は高そうだ。
中にはアイドル的な扱いをされる選手もいたりする。
正月と言えば、実業団駅伝と箱根駅伝。
マラソンを趣味とする(していた)人には
のんびりするのに格好のテレビ番組だろう。
doironもこたつでテレビ観戦をしていたのだが、
放映中にたまに顔が写る
元選手の監督、コーチを見て
得も言われぬ親近感を覚えるときがある。
お互い現役選手だった時代には
「ああ、あんなきれいな走り方で
かっこよくそして速く走りたいなあ」
とあこがれて見ていた選手が、
二重あごで大きなおなかを抱えてたり、
寂しくなった髪の毛をなでなでしながら
インタビューに応じていたりするんだよね。
「若い時にはどんなけカロリーを消費してたねん」
とか
「ああ、あの選手も普通の人間だったんだ」
とついつい思って親近感を抱いてしまうんだよね。
そんなことないですか?
で、ここで引退ランナーとして
日常よく出会う出来事や想いを他に挙げてみることにしよう。
題して「引退ランナーあるある辞典」
その1
は今書いた「元ランナーの監督やコーチに親近感を覚える」。
続いて
その2
「ゴールで倒れこむ選手をはげしく心配してしまう」
まるでお約束のようにゴールしてから倒れこむ選手や
脱水などでフラフラになりながら倒れる選手なんかの映像が流れると、
現役の頃の自分の姿と重なってしまう。
挙句にあんなことになった自分としては、
胸がドキドキするほど心配してしまうんだよね。
その3
「地名を聞くとその地のマラソン大会名が出てくる」
例えば、「OO町すいかマラソン」という大会名を、
行ったことがなくてもよく目にしていたりすると
OO町と聞くと
「ああ、スイカの有名なところね」となる。
出てみてあまり印象のよくなかった
マラソン大会があったところだったりすると、
「ああ、あそこはあまり行きたくないなあ」
と思ったりして、
旅の選択の基準がその地で開催されたマラソン大会や
トライアスロン大会の評価だったりするんだよなあ。
その4
「距離感が壊れたまま」
人との話の中で、ある場所とある場所が
10キロ離れていたとする。
しかもその間の移動交通手段がないとした時どうなるか。
マラソン等の経験者であれば
「10キロなら走ってでも行ける」
と考えてしまうんだよね。
それが例えば50キロになったとしても
「自転車でいけるやん」と思ってしまうところが悲しい性である。
一般人と距離感にかなりの隔たりを感じてしまうことが、
今でもよくある。
その5
「かっちょいいウェアを見かけると欲しくなってしまう」
街を歩いていてスポーツ用品店の前なんかを通ったときに、
最新のウェアなんかがディスプレイされていたりすると、
もうそれを着てレースに出るなんてこともないのに、
ついついしげしげと眺めている自分がいたりする。
最近のウェアはデザインも機能も
よくできているものが多いね。
てことで次の
その6
「普段の服もスポーツブランドを選んでしまう」
寒い日にスーパーに行くときも、
下はユニクロのヒートテックでも、
アウターはアディダスやナイキということが多い。
ちょっとおしゃれしようと思ったら
ついついそんなウェアを選んでしまうんだよね。
まだまだあります。
その7
「マラソン」の文字に鋭く反応してしまう。
新聞や雑誌、あるいは世間の看板とか見ていても
「マラソン」というカタカナ4文字が目に入ると、
「オッ」と思ってがん見してしまう。
その8
「走っている人を見ると知り合いじゃないかと顔を覗き込むように見てしまう」
これは車の運転をしている時が多い。
後姿を見かけたら、
追い越しざまに横顔をチェック。
マスクをしていたり、
帽子を目深にかぶっていたりすると、
「あれはAさんじゃなかったかな」
といつまでも気になる。
その9
「久しぶりに会う人には必ず『まだ走ってるの』と聞かれる」
まあ、その8もその9も
現役で走っている人に当てはまることかもしれない。
ただ、引退ランナーは、
以前のように日焼けしていない
とかかなりふっくらしたとかの特徴が現れるから、
久しぶりに対面する人には
必ずと言っていいほどこの質問をされる。
他にも書けばきりがないが、
ここら辺で最後にしておこう。
その10
「足腰の故障が飛躍的に減った」
まあ、引退して一番実感するのはここかな。
肉離れした、腱をいためた、腰が変になった
などの故障が飛躍的に減ったのは喜ばしい。
しかし、逆に
「生活習慣病」が忍び寄ってくる
というのを忘れてはいけないと
近頃は肝に銘じている。
以上、現役の人も思い当たることが多いでしょ。
またそのうちに現役のころを思い浮かべて
「ランナーあるある辞典」を書いてみようかな。