この時期、doironの遺伝子に
刻まれた記憶がふたつある。
ひとつは、沖縄よりさらに南へ300km
南海の孤島”宮古島”で開催される
全日本トライアスロン宮古島大会である。
doironのフルトラデビューは
この大会だった。
もう今から16年前のことだ。
「いつかは宮古島へ」を合言葉に
doironのトラ人生は始まった。
32歳で水泳を覚え、
ローカルな大会を歴戦し、
少しずつ実績を積み上げて
ようやく出場資格を得たときは
これで夢の舞台に立てるという喜びで
飛び上がって喜んだものだ。
昭和60年に開催されたこの大会の
第1回をTVで見て
まさか自分がその舞台に立つなんて
夢にも思わなかった。
そのdoironデビュー大会の成績は
11時間15分、389位。
今にして思えば
ほとんど情報もない中で
よくぞ完走できたものである。
その大会も含めて宮古には3回出場した。
なので、4月のこの時期の宮古は
doironの遺伝子にくっきりと
刻み込まれた大会となった。
そんな宮古の大会が
いよいよ明日開催される。
濱ちゃん
shimizu
ヒゲママ、ヒゲパパは
もうすっかりこの大会の常連であるが、
今年は”僕の愛車はピナちゃん”こと
N川クンが始めての宮古に挑む。
多分ネットでほぼリアルタイムで
記録が掲載されるだろうから
明日は、南の島に思いを馳せながら
皆さんの活躍をとくとみさせていただこうと思っている。
そしてもうひとつ、遺伝子に刻まれているのが
「萩往還」だ。
250kmという超長距離を
0泊3日で走るという
日々を普通に過ごしている、
ごくノーマルな人々には多分想像も出来ない
ウルトラな大会である。
例年、GWに開催されるこの大会に
doironは4回出場した。
距離と時間が長いだけに
それぞれの大会に書ききれないほどの
思い出がある。
「僕は一体どうなるんだろう」という
恐怖感に怯えながらスタートした
1回目の記憶は鮮烈だ。
大雨の大会、脚を捻挫しつつ200km近くを
走った大会、あぶさんと共に走った大会。
それぞれの記憶は強烈に
遺伝子に刻み込まれた。
もしかしたら、その時の負荷は
何らかの形で身体にも
刻み込まれているのかもしれないな。
スタートは、GW真っ盛りの
5月2日。
I原さん、babiさんをはじめ
今年もいろんな人が
いろんな思いを胸に
スタートラインに立つという。
是非とも素晴らしい3日間を
皆さんの遺伝子に
刻んできてくださいね~。
このふたつが
doironの遺伝子に刻まれた
春の出来事である。
なぜ、遺伝子なのか?
それは
単に記憶に刻まれるだけではない。
脳に、身体に、心に、そしてその人の
人生そのものに刻まれ
いつまでも残響鳴り止まない記憶だからこそ
あたかも遺伝子にまで刻みこまれる、
とこういうわけなのである。
今日は、トライアスロンつながりで
最近よく一緒に飲みにいく濱ちゃんの
忘年会に参加してきた。
料理はチーズフォンデュ。
お腹いっぱいでもう食えません
飲めません。
ワインもかなりききましたあ。
詳しくは次回以降のブログでって、
この頃かなり手抜きです。
行われている
濱ちゃん主催のトラ練習会
通称「濱練」に参加してきた。
これに参加するのは
今回で3回目だ。
前回、前々回は猛暑の中で
行われた。
どれくらい暑かったかというと
「駐車場の縁石が暑くて
座れなかった」(ひげパパ談)
「地面でパンを作れる」(doiron談)
というくらいであった。
(オーバーかな?)
そのたった二週間後の今日。
「寒い」(ひげパパ談・・・オーバーです!)
というくらい爽やかな秋晴れであった。

今日はこの練習会に
かつての「打倒シーポ」クンも参加した。
(いまは「僕の愛車はピナちゃん」と自称している。)
この練習会は三回目だが
バイクコースをみんなと一緒に走るのは
初めてだ。
濱ちゃんにコース案内を兼ねて
一周引っ張ってもらった。
その一周目は
アベレージ30km/hくらいで巡航。
しかし案内も終わった2周目は
いきなり35km/hくらいまで上昇した。
漕ぎながら
「このまま一時間漕ぎ続けたら
後のランができなくなるかも」という
恐怖感さえ感じさせられるペースである。
その2周目はなんとか付いたものの
やはり不安はぬぐえない。

それでも3周目に
「よっしゃいっちょう引っ張ってみよか」と思い、
飛び出したら、めちゃ向かい風。

ドラフティングのありがたさを
実感してしまいました。
一旦後ろに下がって、
やり過ごしたら
その先の信号待ちで
ぶわーと離れてしまった。
それでも、はるか前方にでも
彼らが見えたら
どうしても追ってしまうのは
悲しい性(さが)である。
何とか追いついたが
いよいよ脚が、ふにゃんとしてきたので
こりゃいかんと
4周目は離脱し、
ひとり別コースを走ることにした。
そしたら一度切れた脚は戻らず
そのまま終了。
なんとか後のランに
脚を残しておきたかった。
というのも、これまでの二回の
練習会で、ランをすべてまともに
付いていけてないのだ。
あのまま漕ぎ続けていたら
腰が持たなかっただろう。
となると、今回またもや
ラン脱落となることを避け、
バイクを自重することにした。
まったく腰に
時限爆弾が埋まっているような気分だ。
とまあ、そんなおかげで、今回は
ランを完走することが出来た。
海沿いの気持ち良いコースを
二往復して、最後
駐車場に到着する寸前から
足が痺れ始めたので
ぎりぎり間に合ったようである。
爆破1秒前に
配線を切って爆破を阻止した
007の気分やな。
ま、この腰痛との
付き合いも長いから、
今日は経験に基づいた
ベストな練習ができたでしょう。
駐車場で冷たい水を飲みながら
10月の練習会後にBBQをする
相談をして解散した。
海辺の広々とした公園での
BBQはさぞかし楽しいだろう。
ただ、場所が限られているようだから
濱ちゃん、リサーチ頼むね~。
こうして午前中に練習を済ますと
午後はとても精神的に
余裕に過ごせる。
のんびり読書、
あるいは午後のティータイム
などとまったりするdoironではない。
午後からはだんじりの
ブレーキテストと祭りの花寄せでした。
今年もブレーキはまずまずで
後継者の若者達も
順調に育ってきておるようじゃ。
今年は役員を降りたので
遠くからだんじりを
見守ることになるでしょう。
そして、花寄せも
祭りを支える大事な仕事。
ほとんどの花は
若者達が集めてくるけど
老舗や大口の花は
我々世代がお願いに回る。
え、花ってわかりますよね?
寄付のことですぜ。
リーマンショック以来の不況は
こんなところにもしわ寄せがくる。
毎年いただいているところでも
金額が下がったりするのは
まだましな方で、
行ってみたら店がなかったというのも
一軒や二軒ではない。
世界経済の状況は
こんな地元の伝統行事にも
暗い影を落としているのぢゃな。
花寄せが終わって一段落。
料理当番はレトルト食品でごまかし
夜は、だんじりの寄り合いにでかけた。
祭りを控えた臨時総会での司会。
10分の打ち合わせで
半ばぶっつけ本番状態だ。
でも、まあこんな場合は
たいてい司会か書記。
doironの村の中での
立ち位置はだいたいそんなところだ。
もちろん無事にしゃんしゃんと終了した。

ああ、今日も忙しい一日だったなあ。
ようやく落ち着いて
ブログに向かいつつ
チューハイをプシュッ!
う~ん、この一杯がたまらんぜ。

なんてことを言ってるから
あかんのですね。
昨日の検査結果では
身体の調子が徐々に
上がってくるのに呼応するように
尿酸値もじわりと上がりつつある。
ささやかな幸せも捨てがたいが
身体も大事にしないとなあ。
ああ、大人の事情は複雑だ

暑さ寒さも彼岸まで
とはよくいったものだ。
毎年この3連休の頃になると
潮が引くように夏の色が
薄れていく。
例年なら、この時期が
バイクの乗り納めだ。
でも今年は、もう少し
乗っていたいと思っている。
だって、いつもなら
ガシガシ乗ってた6月、7月が
あの忌まわしい転倒事故のおかげで
ほとんどバイク収納庫で
眠ったままだったし、
いつも汗まみれで一緒に頑張った
皆生でも出番がなかった。
もう少し乗ってやらないと
かわいそうってもんだ。
午前中、山麓コースを
軽く一周してやった。
日差しは強かったが
影はさすがにきもちんよかでした。
帰ってから、ランチをした後
夕食の下ごしらえをして
切りのいいところで
中央公園へ。
行く夏を惜しみながらの二時間走は
しんどかった
何度、駐車場に脚が向きかけたことか。
近頃、腰の状態が
良いとき悪いときの幅が大きくて
今日は、悪いときでした。
調子が良いとき~
悪いとき~
てな具合だ。
でもこれは、
doironの腰痛が
ヘルニアのように
骨の形が原因なのではなく、
筋肉のコリや疲れ具合に
よるものであることを物語ってると
思うのだがどうだろうか。
先週の、shimizuクンの
見立てでは、
まがいもなく
坐骨神経痛
とのことである。
多分そうだろう。
だとしたら治るのか?
カインズカフェで読んだ
今月号のランナーズでは
50歳を越えて
初フルでサブスリーをした人が
50代後半に坐骨神経痛を患った。
その人は、2年間まともに走れなかった
そうだが、その坐骨神経痛も
低負荷の練習を続けていたら
薄皮がはがれていくように治ったと
書いてあった。
そんな、記事を読むと
励まされますねえ。
doironの場合、3年くらい
患っているものの、
ここんとこ徐々にではあるが
痺れる頻度が少なくなってきているのは
まさに薄皮がはがれていってるんだと
いうことにしておこう。
早く思う存分練習をして見たいもんじゃ。
行く夏を惜しみながら
走った中央公園では
散歩の人たちのいでたちも
秋バージョンに変わりつつあった。
今年の夏の役割を
存分に果たした木の葉たちも
どことなく褪せてきている。
第一、空にモクモクわいてた雲も
今は刷毛でなぜたようになり
空の表情も変わりつつあるしね。
そんな公園の二時間走。
なんとか耐え切ることが出来ました。
今年の夏は、転倒のおかげで
散々だったけど
新しく濱錬も始まったし
山にも再び目覚めた夏だった。
今年も実りある秋にしよう
みんなの思惑が
なかなか調整がつかず、
本日やっと今年の皆生
&富士登山マラソンの
打ち上げをすることが出来ました。
場所は、カインズカフェ
縁の焼き鳥屋。
鳥の生ギモやセギモ、つくね焼き
など珍しい鳥料理を
いただきました。
皆生が終わって概ね一月半。
皆生当日も暑かったけど
今年はそんな暑い日が
大阪にもどんどん押し寄せたようだ。
打ち上げは遅くなってしまったが
連日の暑さを考えたら
まだまだ気温的には
真夏のそれだから
気温的には打ち上げにふさわしかったかも。
来年はこの打ち上げで
きちんとレースを語れるように
頑張れたらいいなあ。
埋立地で行われる
濱ちゃんの練習会、略して
濱錬
に参加した。
そこはなかなかよいところで
公園もありーの、

浜辺もありーの、

車も少ないーのであった。
思い起こせば今から17年前。
この地で一回こっきりで
とんでもない強風の中で開催された
コスモスマラソン10kmが
今でも
doironの10kmベスト記録だ。

この思い出の地で
この歳になって
バイクの練習をするなどとは
当時は夢にも思っていなかったな。
今日の参加者は、
ひげパパ、ひげママのほか
バイク初心者の
I原さんも参加しての
練習会となった。
バイクは埋立地をグルグル周回
といっても結構広い平坦地を
走り回った。


そしてランは、関空や地元泉O津の臨海地
そして遠くは明石海峡大橋も
望める気持ちのよい
海辺のコースを走りました。

駐車場代600円は
高いか安いか微妙ですな。
日曜なら、コース沿いにある
サ○ヨーの会社なんかに
とめさせてくれたらいいのにな。
サ○ヨーの乾電池を
持っていったら
もしかしたらOKだったりして。

それか、埋立地の先端近い、
釣り人用の駐車場が
無料ぽいので
次回からそこがいいかな。
濱ちゃんに、新車の
慣らし運転で行って

調べておいてもらうことにしよう。

doironにとって
なかなかゲンのいい場所で
開催されるこの練習会。
これからは、第2、第4日曜に
開催されるそうだ。
出来る限り参加することにしよう。

ただ、その自然環境を
かんがみるに、
冬は寒くてこたえそうだ。
とりあえず秋までは
何とかなるだろう。
で、いつかこの地で
練習会後BBQもいいかもね~

サングラス
doironもトライアスロンを始めたころから
ずっと欠かさず使っている。
最近はおしゃれなものが多く、
「アイウエア」などと呼ばれ、
ランナーのファッションアイテムとしても
欠かせないものとなっている。
どんなサングラスを選ぶか、
というのもまた
ランニングファッションを選ぶ
楽しみの一つとなっている。
もちろん、本来の目的は
紫外線から目を守るということだ。
トライアスロンの場合は
ほかにもいろいろ機能が要求される。
ひとつは軽くて丈夫ということだ。
軽さは長時間かけているときのストレスを軽減する。
また、頭から水をかぶったり、
汗にまみれたり、
ゴールが暗くなるときには、
つるの部分をウエアに押し込んで走ったりと
過酷な使い方をするために
丈夫さも要求される。
そしてもうひとつは曇らないことだ。
上昇する体温や蒸散される汗により
レンズの内側が曇ったりしては、
スポーツのアイウエアとしては失格だろう。
さらに、これはトライアスロン
というかバイク乗りに要求される機能として、
「風を巻き込まないこと」
というのがある。
ためしにサングラスを着けずに
ロードレーサーに乗って
風を切ってしばらく走れば、
まつげの長い人なら
いかに目がしょぼしょぼするか
わかってもらえるだろう。
ほこりだって目に入るしね。
つぶらなオメメで
まつげが愛くるしく長い
doironの場合は
涙が止まらなくなるほどだ。へへ。
もしレース時に
トランジッションに置いておいたサングラスが
なくなっていたりすると、
多分スイムからバイクに
移行することはできないだろう。
だからこそdoironは
サングラスをトランジッションには
置かないようにしているのだ。
そんな条件を満たすのが
doironの場合はやはり
「オークリー」
社製だ。
この「オークリー」、
昔doironがトライアスロンを
始めたころは
「オークレー」
とか
「オークレイ」と言ってたのだけど、
1997年に
「OAKLEY JAPAN」が設立されてからは、
「オークリー」と言われるようになった。
当時、まだ珍しかったトライアスロンという競技。
そのスタイルも
暗中模索的なところがあり、
以後すべてのアイテムが
どんどん進化していったのだが、
当時のコンセプトはとにかく
「目立つ」ことでした。
なので、サングラスも個性的なものが多く、
doironは今もあるのかなあ、
レンズが卵を寝かしたような
楕円形の「e-wire」を
愛用してブイブイ言ってたもんだ。
最近主に使っているのは、
練習では黒、
レースでは白の
ハーフジャケットだ。
そんなサングラスの呼び方も、
時代によって変わる。
昔は黒眼鏡、色眼鏡といわれていたが、
前者には「悪人」、
後者には「偏見持ち」
みたいなイメージが付きまとう。
かといって「グラサン」
というのもなんとなくダサいので、
最近はdoironは先述したように、
防風、防塵の意味もこめて
「バイクゴーグル」
と呼ぶようにしている。
するとミセスdoironはこういう。
スイムゴーグルみたいなめがねをつけて、
バイクに乗ってる「紅の豚」を想像してしまうわ、
だと。
そんな色眼鏡では見ないでほしいものだ。
メットが割れてから
行きつけのショップに
注文を出していたのだが、
その注文していたのが
新モデルであるため
なかなか入荷しないようだった。
その間ずっと、ショップで
メットを借りていたのだが
それが気になっていて
ついに、痺れを切らし
当初発注のものより
少々値が張るが、
軽さ、デザイン、機能、値段を吟味して
別のを発注しなおしていたんだよね。
昨日、そのメットが入荷した
との連絡を受けたので、
本日、午後の仕事に向かう前に
ショップに寄って
受け取ってきた。
それが、これだ。


OGKの「REGAS」
メットはGIROだぜという
ご同輩も多かろう。
「スペシャ」のデザインが
最高だぜという人もいるだろう。
国際レースじゃ「BELL」だろうという
マニアもいる。
しかし、doironは「OGK」なのである。
これまで所有したメットは4つ。


いずれもOGKである。
なぜかというと
理由はかんたん。
頭の形がOGKでないと合わないのだ。
どうも、doironの場合
耳の上あたりが
いびつになっているようですわ。
脳みそがつまり過ぎて
頭蓋骨が膨らんできているのかも~

しかもこのメットは、頭に合わせて
かなりの範囲で
きっちり調整が出来る。

頭の後ろに配された
丸いアジャスターを
黙ってかちかち回せば
あ~ら不思議、
ぴったり頭にフィットする構造になっている。
何にも不思議じゃないけどね。
それにしても、この前割れた
メットとは長い付き合いだった。
初代は誰かにあげたよなあ。
二代目はまだ
バイク置き場で眠っている。

三代目は、その昔
宮古島に置き去りに
してきてしまったんだよね

そして名誉の戦死を遂げた
四代目は当時スタンダード中の
スタンダードでした。
色もコスミックブルーと
結構人気もあったんやないかな。
なので古いけれど、
最近のメットと比べても
それほど見劣りはしなかったが
いざ、新しいメットを手にしてみると
その進化には驚くばかりだ。
まず第一に
軽い

箱で受け取ったときは
中身が空なのではないかと思ったほどだ。
そして、GIROの高級品ほどではないが
隙間も格段に多く
涼しそうだし

デザインもより精悍だね。
風を切って走るのには
ぴったりコン


頼んだぜ、新しいメット君。

もうあんな転倒はこりごりだ。
大事にしてあげるから
これからも一緒に練習、レースを
思いっきり楽しもうぜ!

出だしから帰りまで、
いや帰ってきてからも
いろいろあったが、
皆生戦士たちが躍動した、
あの感動の一日の余韻は
今もふつふつとdoironの中で燃え盛っている。
大山をバックに、
選手たちが日野川河口からいっせいに
海に入っていくのを見るのは今回が初めてだ。
三年前に故障で出られなかったときは
ラン→バイク→ランのデュアスロンだったが、
それまでの大会では
ずっとdoironはあの群衆の中にいた。
それを見ながらdoironは
下唇を噛み切らんばかりの
悔しい思いをしたもんだ。
一日中、朝から晩まで
そんな思いでレースを眺めていた
ような気がする。
知り合い選手たちの結果は
おおむね良好でよかったなあ
と思うと同時に激しく嫉妬もした。
今年は仕方ないやん
と何度も自分に言い聞かせたはずなのに、
まったく了見の狭いおっさんである。
今年も去年もエントリーしていながら
ゴールしていないということで、
心配するのは、
来年の選考から漏れるのじゃないかってことだ。
皆生に出たくて
しっかり練習して身体も作り、
いくら申し込んでも結果、
選考漏れとなっている選手たちのことを思うと、
完走もできずに
出場枠だけ占領するのは
忍びないってもんだ。
来年、選考漏れとなったら
doironは潔く皆生を卒業しようと思っている。
そんな皆生から先日
バスタオル、スイムキャップ、
ナンバーカード、トランジッションバッグ等が届いた。
わがまま言って直前に
DNS(Do Not Start)となった勝手な選手に
なんと温かい配慮であることか。
明日、大会事務局に
お礼と暑中見舞いを兼ねて
カモメールを送っておこうかな。
バイク置き場に
臥薪嘗胆とばかりに吊るしてあるヘルメット。
あの転倒で、このメットが
どんな具合になったのか、
それはdoironの心の傷ともいうべきものであるし、
長年連れ添ってきた
ヘルメットに申し訳ない
という気持ちもあって、
公開しないでいた。
しかし、最近ようやく恐怖心なしに
バイクに乗れるようになってきたし、
新しく注文したメットもまもなく届くので、
そのdoironを守った雄姿を
ネット上に残しておこうと思う。
これだ。

全く涙が出ます。

このメットで宮古島も
皆生もオロロンも完走しました。
水泳の苦手なdoironが
海から上がってくるのを
トランジッションでじっと待ち続け、
スイムを終えたら
さあ行こうぜとばかりに
doironを頭の上から
魂を鼓舞し続けた相棒だ。
時には、暑い夏の練習もずっと一緒。
そんなメットの内側には、
doironの本名、住所、電話番号、
血液型を書いたテープが貼られている。
幸い紙一重でこのテープが役に立つことはなかったが、
常に頭の上でdoironの戦いを
見守ってくれていたのには変わりない。
ミセスdoironはドライだ。
「いつまでこんなメットを吊るしておくの?
捨てたら?」だと。
う~ん、女にゃあわからんだろうなあ。
っていうか、こんなとき
案外男の方が女々しいんだろうな。
doironのトライアスロン人生を
共に歩んできた、
コスミックブルー
(星もちりばめられているのだ)
のヘルメット。
何らかの儀式なしに、
ポイと捨てるのは許されるものではないだろう。
doironを守ってくれて
ありがとう!
君はその役目をすべて果たしてくれた。
安らかに眠ってくれ!

合掌